アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
3
-
一条様が、ご自分のお屋敷と勤められている支社がある街から、ご両親が経営されている本社がある街へと行く事になったのは突然の事だった。
「渚、話しがあります。実は、本社へ移るように言われました」
「遠くに、行かれるのですか?」
お茶を淹れる急須が僅かに音を立てる。
「…はい。もう簡単にはこの街に来られなくなります。私はこの度、本社の重役に着任する事になりました」
「それは、おめでとうございます」
頭を下げ、見えない様に一度目を閉じると顔を上げて笑みを浮かべた。
「どうか、お体を大切になさって下さい」
まるで、別れの挨拶のようだ。
「…会いに来ます」
僕は俯き微笑を浮かべながら小さく頷いた。
「必ず、迎えに来る」
突然両肩を掴まれ思わず顔を上げた。
真摯な目を向けられ、それは心からの言葉なのだと僕は思った。
「…はい。待っています」
抱き寄せられ髪を撫でられる。
ああ、僕はこの方が好きだ、心から愛している。
「体の弱い貴方の事が心配です。ですから信頼の出来る人間をこちらに寄越す事にしました。本当は私が傍に居たいのですが」
「ありがとうございます」
会えなくてもその方が居れば一条様の事を知る事が出来るかもしれない。
きっと仕事は今よりももっと忙しくなり、会えないどころか手紙も中々届かなくなるだろうから。
「さらって行ってしまいたい…」
強く抱き締められ僕の耳元で小さく呟く。
言葉だけでそう出来ないのはこの方が一条様だからだ。
本人の意思だけで生きて行く事は出来ない。
これからもっと立場のある立派な方になる。僕は傍に居てはいけない存在なのだ。優しいこの方を僕は苦しめたくない。
それでも僕は信じ待つ事を選んでしまった。
自分から離れる事など到底出来ない程に、これまでずっと噓偽りなく愛してもらった。
だから、僕は見えない未来を信じ、夢を見続けるしかないのだ。
次の日目を覚ますと、想い焦がれるその姿は、もうどこにも無かった。
そして数日後、村井さんがやって来た。
品のある素敵な男性で、身分の無いこんな僕にも親切にしてくれる。
その姿は父親のようでもある。
休日は、以前の一条様のお屋敷に戻られてしまうので寂しく思う。
村井さんはこの家にやって来てから僕が頼むまでもなく、お屋敷から戻ると一条様の事を沢山教えてくれた。
やはり仕事がとても忙しい事、厳しいご両親の元、努力され、皆に認められるよう頑張っておられる事。
「お体の方は…?」
「ええ、とてもお元気です。それと、内密に手紙を預かって参りました」
「本当ですか!?」
渡された手紙を何度も撫でていると涙零れた。村井さんがそっとハンカチを手渡してくれる。
「私は自室におりますので、何かあればお呼び下さい」
気を遣い部屋を出て行く村井さんに頭を下げると、震える手で封筒を開けた。
僕の体調を心配する言葉や、最近あった出来事、仕事の事、それと、僕への想いが沢山綴られていた。その手紙を胸に抱き、何度も名前を呼びながら、喜びの涙を流し続ける。
会いたい、会えない、でも待っている。
早く、僕を迎えに来て
朝食を食べ、布団に横になりながら初めて貰った手紙と、二度目に貰った手紙を読んだ。
擦り切れた二通の手紙を読み直すと、近くの引き出しに丁寧にしまった。
一条様から手紙が届いたのは二年前が最後だった。
会えなくなって、どれくらい月日が過ぎて行ったのか、もう両手では数える事も出来ない。
必ず、迎えに来る
その言葉を信じるしかなかった。
でも本当は分かっていた。
その時は来ないのだと
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
3 / 11