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カズとヒロの話①
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あと1日。
明後日には学校が始まる。大学は小中高のように始業式なんかなくてただなし崩しに自分の講義が入っている日から後期が始まる。和矢にとってはそれが明後日だった。
明日で夏休みが終わる。
それは死刑宣告のように重くのしかかる。胸が苦しくて苦しくて、息もできない気がして和矢は腕の中の背中を強く抱きしめた。
「どうしたの」
身じろぐこともなくヒロが言った。恐ろしく柔らかな声を聞くと余計に切なくなった。
訊くまでもないくせに。ヒロの優しい声は残酷だった。
和矢は答えない。
去年の夏休みはアルバイトに明け暮れていた。それは一年目の大学生として正しく真面目な在り方だったと思う。
大学二年の夏は、気がついたら電話一本でアルバイトを辞めていた。入学当初から続けていたスーパーマーケットのアルバイトはそれなりにやりがいがあったし、人間関係も良好で社員には可愛がられていた。それを、たった一本の電話で突然辞めた。夏休みが終わる一週間前のことだ。
――君の一週間を、僕にくれないか。
あの時から、自分は駄目な人間になってしまったのだ。
「シたい」
昨夜も散々抱いた身体に鼻先を埋め、和矢は懇願する。腕の中でヒロの心臓が跳ね、肌が熱を帯び始める。汗のにおいがした。
「うん、……僕も」
こんなにも身体は過剰に反応するのに、ヒロの声はまるで変わらなかった。物足りなさと、苛立ち。和矢は自分の気持ちを持て余し、少々乱暴にヒロの身体を上へ向けた。
薄暗い部屋の中で、カーテンから漏れた直線の朝日がヒロの顔を斜めに切り取って照らしていた。真っ直ぐに和矢を見上げる目が、片方は眩しそうに細められて輝き、もう片方は昏い深淵を覗き込んでいた。
和矢は思わず息を飲む。異常に整った造形が、疲労でやつれ、ゾッとするほどの色気を放っていた。
ヒロの腕が持ち上がり、和矢の顔を撫でる。もう一週間、髭を剃っていない。
シャワーはいつ浴びただろう? 昨夜はセックスをしながらそのまま寝てしまった。その前は? 締め切ったカーテンのせいで部屋はいつも薄暗く、昼夜の感覚を狂わせる。
気軽にエアコンをつけられない貧乏学生だから、二人の身体はあらかじめ寝汗を纏ったままだった。せめてヒロが寝苦しくないようにしてやりたかったが、突然アルバイトを辞めてしまった和矢にとってエアコンの二十四時間稼働は過ぎた贅沢だった。
(大丈夫だ、まだ、先のこと考えられてる)
そう思いながら和矢は小刻みに瞬きを繰り返した。今日の、その先。明日の、その、先。
震えそうになりながら、和矢はヒロの唇を塞ぐ。塞ぎたかったのは唇ではなく、目だ。
「ん……」
ヒロは小さく声を上げて口を開く。和矢は誘われるまま舌を捩じ込み、ヒロの舌を追った。その間にもヒロの脚を開かせ、内腿へと手を這わせる。性急な自覚はあったが、止められそうもなかったし、止める気もなかった。
「……んッ、ァ……っ」
触れたそこは、まだぬかるんでいた。ヒロが顔を背けて喘ぐ。第一関節まで埋めた指先で、くるりと淵をなぞった。
「ナカ、まだ濡れてる」
「……もっと、奥」
「挿れてほしい?」
ヒロは息を乱しながら目を伏せた。
「指?」
「……カズ。カズが、欲しい」
「痛くね?」
「多分……ヘーキ」
逃げる唇を追って啄む。ヒロは荒い呼吸のまま逃れたり応えたり、気紛れに和矢を翻弄した。
綻んだそこが和矢を受け入れるのは容易いだろう。逆に、酷く感じやすい身体は余分に体力を消耗しそうで、そちらの方が心配だった。
すべらかな腕の内側を辿り、指を絡めて頭上で押さえつける。唇を追うのを諦め、和矢は脇へと舌を這わせた。それだけでヒロは身を捩り、喘ぐ。もう一方の手も捉えて布団に縫いとめる。セックスのたびに汚れたシーツはそのままで、二人分の体重で伸ばされた布団はせんべいのように薄くなった。この布団は処分しなければならないだろう。
朝日が、ちらちらとヒロの肌を撫でる。両腕を捉えられたヒロが身を捩って下肢を擦りつけてくるから、和矢はそのはしたない仕草に顔を顰めた。
「我慢、できない?」
「いじわるしないで。カズ……挿れて、お願い」
和矢は苦笑した。もう、こうして何度も、何度も、間断なく抱いて一週間近くになる。寝て、起きてセックスして、ときどき何か食べて、トイレに行って。気が向いたらシャワーを浴びてセックスをする。
もう、拡げて馴らす必要もなかった。
「ああ……ア……ッいい……!」
けれど決して緩くもなかった。ヒロのナカは和矢を適度に締め付け、まるで搾り取ろうとするかのように蠢く。
「これが、欲しかった?」
何度目かの禅問答。ヒロは喘ぎながら首肯する。ぐっと腰を進めると一際高い声で啼き、身体を突っ張らせた。はしたなく乱れてなお、ヒロは美しかった。
蝉の声が聞こえた。
夏が終わろうとしていた。
小汚い部屋で、薄汚い自分が綺麗なヒロを穢す。そんな行為に没頭して一週間。
夏が終わろうとしていた。
――君の一週間を、僕にくれないか。
この部屋よりももっと暗いクラブでヒロはそう言った。そのテの人間がその日の相手を探すだけの場所で、なぜ彼が和矢を選んだのかは分からない。何せヒロの姿を追う視線は幾つもあった。
フロアを縦横無尽に駆ける派手なライトがヒロの横顔を掠めるたび、至近距離でヒロとすれ違うたび、見る者全員が足を止めて振り返る。
クラブには和矢好みのカワイイ子も、皆にちやほやされる美人もいた。けれど、ヒロの存在はフロアで圧倒的な異彩を放っていた。
誰もが美しすぎる花に手を伸ばせないでいた。そして和矢はそんな様子をただ見ていた。理由は簡単だ。美しいとは思っても好みではなかったからだ。
おまけにヒロは結構な長身で、怖気づく部分も充分あった。
そんなヒロをガタイの良い男数人が取り囲んだ。明らかに品の良くない彼らは、この界隈では有名で、相手にするのは何も知らない新顔か命知らずなマゾヒストぐらいだ。ひやひやしたのは和矢だけではない。
けれど取り囲まれた真ん中で、ヒロは悠長に笑っていた。無遠慮に両側から腕を掴まれ、別の場所へと連れて行かれそうになっても。
(あ、これヤベェやつじゃん?)
あんなヘラヘラついていくなんて、何も知らない新顔か命知らずなマゾヒストだ。けれど、最初から皆に遠巻きにされた彼には何も知る術はなかっただろう。
「それ、俺のツレなんすよねぇ。離してやってくださいよ」
気がついたら和矢は男たちに声を掛けていた。
振り返った彼らに身が竦む。まさに蛇に睨まれた蛙だった。
「ツレか。なら一緒に可愛がってやるから来い」
ゲラゲラと男たちが笑う。
「いやーそりゃちょっと勘弁」
うっかり和矢もへらへらと笑う。すると急に男たちの顔が凶悪なものに変化した。
「怪我したくなきゃ黙ってろ」
「妙な正義感振りかざして入院したかねえだろうよ」
和矢は震えそうになる足を必死に堪えて床を踏み締める。失禁しそうなぐらい怖いくせに、振りかざした拳を降ろせない半端者の自分を呪った。そう、こんな大勢が見ている前で尻尾まいて逃げるような真似をするぐらいなら、前歯の一本や二本、くれてやった方がマシだ。
(いやだなあ、痛えよなあ絶対)
どれほど自分は悲壮な顔をしていたのだろう。ヒロがふと溜息混じりに笑った。
「あーあ、見つかっちゃった」
場違いなヒロの明るい声に周囲を含めた誰もが押し黙った。
「悪いけど仕切り直して。ああ見えてキレたら怖いんだ、俺のツレ。そっちこそ入院騒ぎは御免だろう?」
ヒロはくすくすと笑い、やんわりと男たちの手を解いた。
彼には恐怖心というものがないのだろうか。先の不穏な会話で男たちの本性など見えたはずだろうに、堂々と彼らの間から抜け出して和矢の元へと歩みを進める。
ツレ、などただのハッタリだ。間違いなく初対面のはずだった。
「おい」
呆気に取られていた男が唸るように声をかける。伸ばされた手を、ヒロは難なく払い落とした。男は今度は鋭く恫喝する。ヒロがこちら側へ来るまでの数歩が恐ろしく遠く感じる。
ポン、と背後から両肩に手を置かれ、和矢は飛び上がらんばかりに驚いた。
「そんぐらいにしとけや。コイツ怒らせたらヤバイの、マジだから」
背後に立っていたのはこのクラブで何度か顔を合わせたことのある人物だ。和矢よりも大柄で、男臭さに溢れた雰囲気からこれまで関わることがなかったが。
それにしてもよく知らない二人から「キレたら怖い人」と持ち上げられるのも複雑だ。この窮地を脱するためとはいえ、後に変な噂でも立ったら洒落にならない。
固唾を飲んで見守る周囲は全て和矢の味方だった。否、ヒロの味方だった。
ならず者の男たちは不利を悟ったのか、舌打ちと共にその場を去っていった。
「今度紹介しろよ、アンタのツレ」
背後に立っていた男が耳打ちした。なるほどそれが目的だったらしい。何故か和矢の腕にヒロが腕を絡め、不思議そうに二人を見比べた。
「あのさ」
「あっちで一杯どう? 奢るよ」
「いや、却って俺が助けられたみたいなもんだし」
ヒロは聞く耳も持たずカウンターへと和矢を連れていった。黙って立っていれば人を寄せ付けない美しさも、こうして接すれば意外なほど人懐こくて、そのギャップに和矢は戸惑う。
「名前聞いてもいい?」
「カズ。あんたは?」
「んー……ひろみ。ヒロでいいや」
「ヒロ、ね」
名乗るまでの不自然な間合いは、こういう場所で使う名前をまだ決めていなかったということだ。そして、こんなところで本名を名乗るリスクも充分承知しているように感じられた。
「ああいう連中にさ、簡単に付いてっちゃダメだって。てかあんたみたいな人がこんなとこひとりで来るの自体間違ってる」
「あんたじゃなくて、ヒロ。どうして僕が来ちゃダメなのかな?」
「あのな、ここは大体みんなセックスの相手探しに来てんの。飢えた野獣がわんさかいるよーなトコなの。危ないでしょーが」
「僕だって探しに来てるんだから一緒だよ」
一緒なもんか、と和矢は思った。ヒロの容姿ならこんな露骨な場所で男漁りなどしなくても、シャレたバルで声を掛ければ男だろうが女だろうがいくらでも付いてくるだろう。
「で? ヒロはどっちなんだ?」
「何が?」
「抱く側? 抱かれる側?」
「どっちでもいいよ、ヤれるなら」
身も蓋もない。
二人きりになってから自分のことを「僕」などと言うヒロの口から飛び出すには不似合いな台詞だった。自棄になっているのかとヒロの顔の中から覚悟や悲愴感みたいなものを探し出そうとするが、それはついに見つからなかった。
「カズは何してる人?」
「何って?」
「仕事」
「あー学生」
「大学生?」
「そ。本業はスーパーで魚捌いてる」
「本業?」
「夏休みだからな、バイトが本業。鮮魚コーナーで一日中魚触ってっから指とかめっちゃ臭えの」
「嘘、ホントに?」
目を丸くするヒロの鼻先に和矢は指を近付ける。素直に匂いを嗅ぎ始める仕草は先程堂々とハッタリをかましてみせた姿とは同一人物に見えなかった。
和矢は思わず笑ってヒロの鼻をつまんだ。
「かわいーな」
「……そんなこと言われたことないけど」
むくれて睨む顔がおかしい。
「そりゃあんた……ヒロはどっちかってえと綺麗系だから」
それには覚えがあるのか、ヒロは反論しなかった。和矢はそっと指を離した。けれどヒロの目は和矢を捉えたままだ。
何、と訊くのは野暮だろう。
視線を外すことすら許されず、和矢も黙ったままヒロを見つめ続けた。
フロアの喧騒が遠ざかり、見つめ合う二人の間には随分と長い静寂があった。
「……夏休み、いつまで?」
「それ、今する話?」
「いつまで?」
口付けのタイミングを逸らされ、和矢はため息混じりに前を向いて首を振った。
「あと一週間ってとこかな」
相手を探しているのはお互い様で、ヒロは相手など誰でも良さそうだった。和矢にとってもヒロは好みのタイプではなかったが、この際どうでもよかった。この相手を逃せば、きっと今夜は誰とも肌を重ねることなく帰る気がした。
「なら、君の一週間を、僕にくれないか?」
「なんだそれ」
思わず和矢は吹き出す。
探しているのは今夜一晩限りの相手であって、そんな「約束」を交わす相手ではない。
「まーとりあえず一回ヤってからだな」
ヒロは黙ったまま和矢を見つめ、そして目を細めて笑った。その微笑みからは決して昏いものを感じることはなかったが、それが一度で和矢を仕留める自信からくるものなのか、それとも駄目なら駄目で構わないといった諦観によるものなのか、和矢には知りようもなかった。
とにかく合意はなされたのだ。
たった一夜、そしてそれから一週間。
一度抱いただけで和矢はヒロを自宅の古いアパートへ連れ帰り、それから殆どの時間を彼とふたりきりで過ごすことになった。食事も殆ど取らず、アルバイトもやめ、洗濯も掃除もせずにただセックスだけをする。
好みのタイプではなかった。
けれど、虜になるとはきっとこういうことだ。
和矢は自分の中の何かがヒロによって徹底的に破壊されたのだと思った。それは恐怖と共に言い知れぬ快感をもたらした。
怖いから、縋るようにヒロを求めて抱く。抱けば抱くほど深みに嵌り、恐怖心からまた求める。まるでタチの悪い麻薬のようだった。
「ヒロ、ヒロ……っ」
「ん……っあ、ア……っカズ……!」
和矢はヒロの腰を抱えて固定し、激しくナカを突き始めた。ヒロは獣のように声を上げ、ただ揺さぶられていた。造り物めいた顔が苦悶とも快楽ともつかない表情に歪み、肌が汗に濡れる。その生々しさが造形とのギャップを生み、そんなところがまた堪らなかった。
一夜が一週間になったように。一週間が一ヶ月に、一ヶ月が一年に、一年が何年も積み重なることを想像した。
ずっとこのまま抱き合って、ヒロのなかにいる。明日は起き上がれなくなるまで抱いて、なし崩しに期限を引き伸ばせはしないだろうか。
けれど和矢は真夏の夜にクーラーをかけっぱなしにすることすら躊躇う貧乏学生で、こんな時にも現実的な脳みそは食うこともままならなくなる近い未来まで想像させる。
ヒロは、共に未来を歩んでいける相手ではない。
明日を思うと悲しくて、無性に腹立たしくて、和矢はそれ以上考えるのをやめた。
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