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カズとヒロの話②
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ずっと夢を見ているようで現実感は乏しい。閉じた瞼でも陽の光を感じるから、今が昼だと認識して目を開ける。カーテンの色がやけに明るく見えた。
隣にヒロの気配はなく、ぽっかりと空いた半人分の敷布団があるだけだった。寝過ぎなのか寝不足なのか酷い頭痛がして、和矢はゆっくりと身体を起こす。
全部夢だったと言われたら納得してしまいそうだった。
だから玄関の扉が開く音がした時、和矢は驚きのあまり表情を失った。
「おはよ」
カサカサとビニル袋の擦れる音がした。
「……いなくなったかと思った」
「どうして?」
「どこ行ってたんだよ」
「ちょっとコンビニ」
「なんで」
シャワーも浴びたのか、ヒロはさっぱりとした出で立ちで和矢の質問に短く答える。
「買うものあったから」
「なに」
「教えない」
「なんで」
今度は答えない。そもそも和矢がヒロの質問に答えていない。
「カズ、シャワー浴びておいで」
「なんで」
「さっきからそればっかりだな」
ヒロは笑いながらコンビニの袋を漁る。中から取り出したインスタント食品をテーブルに置いて、台所へと向かった。
「食事にしよう。さすがにお腹がすいたよ」
和矢は、ヒロが上機嫌でヤカンを火にかける背中を見ていた。シャワーを浴びて、食事をして、そのひとつひとつが現実の世界へと帰る儀式に見えて仕方がなかった。
それと同時に、随分慣れた手つきで湯を沸かすヒロのことが不思議だった。自分の家の台所を勝手知ったる場所のように扱うヒロの姿は悪くはなかった。
夢が、現実へと繋がりそうな期待を胸に、和矢はシャワーを浴びる。この一週間、いちどもヒロをひとりにできなかったことを思えば、ほんの小さな一歩だった。髭を剃って歯ブラシを手にする。これから食事だと思い出しながら歯を磨く。
(食事が済んだらまた歯を磨こう)
そういえばヒロに渡せる予備の歯ブラシはあっただろうか。いや、歯ブラシスタンドには和矢の歯ブラシしか立っていなかったが、ここへ連れてきた最初の夜に渡したような気もする。そんなことを気にしながら浴室を出たらヒロに遅いと叱られた。
「麺が膨張してる」
「なんでもうお湯いれてんの」
「カズ、なんか雰囲気違う」
「あー惚れ直した?」
「そうか髭がないんだ」
「意外とイケメンでしょ、俺」
「最初会った時からカズはかっこよかったよ」
「そりゃどーも」
タンスの引き出しから適当なTシャツを引っ張りだす。服を着るのも久しぶりだった。そして、服を着ているヒロを見るのも久しぶりだった。
「カレーとシーフード、どっちがいい?」
「……なんで普通のヤツがないんだ」
「だってここ来てから普通のしか食べてない」
「じゃあそもそもインスタントヌードルじゃないやつにしたらよかったんじゃね? カップ焼きそばとか、うどんとか蕎麦とかパスタとか」
「あっ、……そうか」
「マジで?」
カレー味とシーフード味のインスタントヌードルが蓋をされたままロアテーブルに乗っていた。それらを前に鎮座するヒロの隣に腰を下ろす。空きっ腹にはどちらの匂いも強烈で、美味しそうだと感じる以前にヘビーだ。和矢はよりヘビーだと感じるカレー味へと手を伸ばす。長身ではあるが見るからに食の細そうなヒロにはシーフード味を譲る。
ヒロは何も言わなかった。ただ、シーフード味のヌードルに手をつける気配もなかった。
「食わないの?」
まるで親の敵でも見るようにカップを睨みつけるヒロへ声をかけると、彼は驚いたように顔を上げた。ふたたびカップへ目を落とす。
「……なんか、おなかいっぱいになっちゃって」
「ふうん。じゃあそっちも俺が貰う」
「ん」
ヒロはにこにこと笑いながらカップを和矢の方へとずらした。
部屋の中に麺を啜る音だけが響いていた。ひとくち、食べ物を胃に放り込むとそれが刺激になったのか途端に空腹を抑えられなくなった。
あっという間にカレー味のヌードルを平らげ、シーフードへ手を伸ばす。
「これ食ったら買い物行こうか」
ヒロは何も言わず和矢の方を見ていた。和矢は麺を啜りながら横目に彼の顔を伺っていた。
「ヒロが食べるもの買わねーと」
一夜が一週間になったように、一週間が一ヶ月に。一ヶ月が、一年に。
「それから、服とか。あと歯ブラシ。まぁ、なんか……いろいろ」
それがどういう意味か、ヒロに分からない筈がない。
ヒロは答えないまま和矢が食事を終えるのを待っていた。
勝算は半々だと見積もって、和矢は答えを急かすことなく伸びきった麺を平らげる。部屋の中は性と食のひどい悪臭に満ちていた。ここは、最底辺だ。
和矢は律儀に手を合わせ、二つのカップを汚れたシンクへと運ぶ。洗うのは明日にしようと思う。明日は部屋を換気して、掃除して、布団も買い直そう。
「カズ」
背中越しに聞こえるヒロの声はとてもか細いものだった。和矢はそっと目を閉じ、五秒数える。
振り返ったら伝えたいことがあった。
三。
たった一言。
二。
好きだ、と。
一。
けれど振り返った和矢は、結局なにも言うことができなかった。
ぶつかる視線の先で、ヒロの瞳が濡れていた。
「……セックスしようよ」
和矢はぎゅっと目を瞑った。
だから、そんな和矢のことをヒロがどんな顔で見ていたのかは知らない。
ただ和矢はヒロを抱き寄せ、口付ける。初めはそっと触れるように、そして段々と深く唇を重ね、角度を変えて貪る。
カーテンは閉めたままだったので、昼も夜も関係なかった。いつまでも夜のままなのに闇夜というには明るすぎて、夢と現実の間を行ったり来たりしていた。
きっとタチの悪い夢を見た。
和矢の一週間を欲しがったヒロは、自分の一週間しか和矢に与えるつもりがない。
和矢は美しい人を腕の中に抱き込み、泣きながらその体をまさぐる。
明日など要らない。
「たぶん加減できない」
明日など、この腕の中で抱き潰してしまいたい。
「うん」
まるで和矢のことを絡めとるようにヒロが腕を回す。汚れた布団の上に、二人は縺れるようにして転がる。どちらからともなく相手の衣服を剥ぎ取りながら何度も口付けて、互いの身体を確かめるように触る。狭い布団の上で何度も上下を入れ替え、口付けて、やがて二人は互いのペニスを握り合った。和矢は、萎えたままの自身がヒロの手に包まれる心地良さにうっとりと目を細める。見上げた先にヒロがいた。和矢に覆い被さる形でヒロが見下ろしていた。
和矢はヒロの背中に両腕を回し、その身体を引き寄せてみた。素直に預けられた体重はいくら細身とはいえ重くて、それ以上に密着した肌の感触が心地好い。
「なんで一週間」
「夏休み、終わるから」
ならば夏休みが終わらなかったら、と和矢は訊けなかった。その答えは和矢の望む答えではないだろうし、ヒロも言いたいわけではないだろうと思った。
たった一週間。一週間が終わらないうちに、この蓄積した「一週間」にひとつの傷もつけてはいけない気がした。
上下を入れ替え、和矢はヒロを組み敷く。憂いを帯びた目が、少しは離れがたく感じてくれているような気がして夢中で口付けた。ヒロの身体の隅々まで、その全てを記憶するかのようにまさぐる和矢の下で、ヒロがあられなく声を上げて乱れる。
カーテンが閉められたままの部屋に昏いオレンジ色が差し込んで、段々と闇に染まっていく。言葉を交わすことなく二人はただ縺れて絡み合い、吐息と唾液を交わして互いを貪る。
「水……。喉、渇いた」
切れ切れに訴えるヒロを解放し、和矢は台所で空のペットボトルに水を詰める。戻るついでにカーテンを少し開けると、月が高くに上がっているのが見えた。
満月だ。
振り返るとヒロがぐったりと横たわったまま目だけで同じ月を見上げていた。やつれた頬が青白い月の光に照らされ、儚く頼りないものに見えた。
頭を抱えるようにして上体を起こし、ペットボトルから水をのませてやる。喉を鳴らして勢いよく水を飲むから、口移しなどというまどろっこしいことをしなくてよかったと思った。
透明なプラスチックがヒロのピンク色した唇から離れた瞬間ペットボトルを奪って口付けた。ヒロに触れる何もかもが嫌だなど、自分は一体どうしてしまったのだろう。けれどヒロはそんな和矢の気持ちを察するかのように口付けを受け入れて応えてくれる。
「まだ、足りない」
和矢がそう囁くと、ヒロは小さく頷いた。
「いっぱいシて」
うっとりと目を閉じ、囁き返す。
こわい。
そう思いながら和矢は手を伸ばした。
時間の感覚はとうに失われ、何時間抱き合っているのかも分からなくなった。月の光が傾いて、カーテンの影へと隠れる。肌を合わせて吐息を交わし、うたた寝を繰り返す。
うつらうつらと眠りたがるヒロを起こして、繋がったままのナカを強く穿つと無防備に弛緩していた身体がこわばって震えた。妙な夢を見ていると思ったら手を引かれて肩先に歯を立てられた。二人は一晩中、眠りながら相手を貪っていた。
いつ本格的に眠り落ちたのかも分からなかったが、徐々に上がる室内の温度で目を醒ました時には、もうヒロの姿はなかった。そして、二度と戻らないのだと分かり、和矢は嗚咽を堪えることなく大声で泣いた。
あっけない、夏休みの終わりだった。
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