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歓迎会2
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この‘宴会の雰囲気’というのはやはり気詰まりだ、などと思っているところへ、中学以来の親友から電話が入った。
渡りに船と思った訳ではないが、 席を外して店先に出る。
この友人の名は、早坂俊といって、個人にしては比較的大きな病院を経営している。
昔から胃痛持ちであるため、親友が消化器科の医師であるのは、正直、とても有難い。
「もしもし…、」
『お前、最近来ねぇけど、そろそろ定期健診来いよ。月1の約束だろ。』
口が悪い上に、口うるさいことを除けば。
「第一声がそれか。」
それでも、たった一人と言って良い気心知れた人間とのやり取りは、心地良い。
『俺がちょっと目を離すと悪化するんだ、お前の胃は。』
我知らず顔が綻ぶ。
「大丈夫だ。最近は、…そうでも無い。」
『おい、笑うな。…野川、お前…何かあったろ?』
「…何も無いよ。」
しまった、と微かに眉を顰める。
鋭い質問に返事が遅れてしまった。これでは…。
『お前の嘘が、俺にまで通用すると思うなよ?』
やはりダメだったか、と吐息した。
「大したことでは無いから、心配無い。」
『バカ言え! お前、明日の昼一で来い! 診てやるから。良いな?』
人の都合御構い無しだな、と思いかけたが、この場合は、反対だ。
自分の都合も顧みず、明日、時間外に診察してくれると言う。これはやはり良い親友だろう。
うるさいが。
くすりと笑い、分かった、と返答した。
『絶対だぞ。』
自分でも、おかしいと思ったのか、照れたのか、笑い混じりの念押しが返る。
「いつも、ありがたいと思ってるよ。」
まるで母の日の様に礼を言ったところで、ふと視線を感じ振り向くと、そこには、また呆然とした様子の黒木がいた。
しかも、こちらが振り向くと同時に、明らさまに顔を背けてしまった。
やれやれ、と思いながら、区切りも良いため、じゃあ明日、と言って電話を切った。
「どうしました?こんなところで。」
声をかけると、ピクリと肩を震わせ、恐る恐るといった感じでこちらを見た。
その、黒木の、迷子の様な心許ない視線が、胸に突き刺さった。
「先ほどは、すみませんでした。藤沢先生が、あんなことを仰るとは…」
「あゝ、…そのことならどうかお気になさらず。あの方はいつもああいう風に仰るんです。特に、私には。」
藤沢は、石倉がお気に入りで、石倉と仲の良い自分を邪険にする癖がある。
石倉などは、それを面白がっている節さえあった。
黒木は、不思議そうにしていたが、言及するのは控えた。
「それにさっきのあれは、私達が仲違いしているように見える、という、忠告なんですよ。わざわざ皆さんの前で否定させてくださったのです。あの方なりの愛情表現と言いますか…。」
こちらこそ驚かせてすみませんでした、と続ける。
本当に嫌われているなら気にもしようが、そうでは無いため自分は気に留めていなかった。
黒木からすれば、さぞかし慌てた事だろうと、本心から申し訳なく思った。
世話係を交代させては、という言葉は、まぁ…半分くらいは本気だったが、それも、黒木にはその方が良いと思ったからで…。
…また、だ。
いつもの溌剌とした顔は何処へ置いてきてしまったのか、今日はずっと、傷心した様子の黒木を気の毒に思う。
思いはするが、やっぱり望み通りの答えを返してはやれないと、改めて思った。
「そうでしたか。安心しました。…そろそろ、戻ります。」
と、ぎこちない笑顔で逃げるように、黒木の後ろ姿が店に消える。
それを見送るとドッと疲れて、入り口に置いてある椅子に思わず腰を下ろした。
両足に肘を置き、項垂れる。
誰も、責めないでほしい。自分は、面倒で苦しい人間関係が苦手なだけだ。
研究だけしていたいのだ。放っておいて欲しい。
彼が自分に関わろうとする程に、その思いはますます強くなっていく。
そう、自分は嬉しくて仕方がないのだ。
彼の様に誰もが認める優秀な人が、他でもない自分を、尊敬していると言ってくれることが。
そして、だからこそ、嫌なのだ。
どの論文も、これまでサラサラ書けた試しはない。いつも推敲に推敲を重ねて苦しみながら書き上げる。
自分はどう転んでも、彼が言う様な、彼が今まで傍で見てきた様な、凄い人物にはなれない。
一緒に活動することで、彼を失望させる日がきっとやってくるだろう。
このちっぽけなプライドが、自分の全てだ。
…できれば、このまま見ない振りを続けさせて貰いたかったが。
「本当に自分勝手な人だ…。」
突然自分の前に現れて、勝手な事を言い立てては、勝手に、…傷付いて。
「あんな顔を…。」
させてしまうとは。
先程の、まるで迷子になった子供の様な目を思い出し、眉をひそめる。胸が重く痛んだ。
…今から大阪出張が思い遣られる。
野川は、睫毛を震わし溜め息を吐くと、空を仰いだ。
気晴らしに月の姿を探すも、今夜は残念ながら有明月。
夜空にほんのり白い息が舞うのみだった。
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