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七夕 その6
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セミの鳴き声が増すグラウンド。
午後の部活が始まった。
サッカー部のホイッスルの音。
野球部の金属バットの音。
広い広いグラウンドはたくさんの音で溢れ返っている。
夏至を過ぎたといってもこれから本格的な夏になる。
既に昼の時間が短くなり始めているなどとても信じられない。
今日の日差しはまさしく盛夏そのもの。
これからの季節を思うと屋外運動部にはそれだけで辛い。
その夏の日差しが容赦なく陸上部員達を照りつける。
じりじりと肌は焼かれ立っているだけで汗が滑り落ちる。
南風は湿気を孕みどこか潮の匂いを感じた。
夏独特の濃い青をした空。
「大塚!アゴ上がってるぞ!」
「はいっ!」
「吉岡肘引け!」
「はいっ!」
短距離と中長距離の二つに別れた陸上部。
短距離では50mダッシュが行われていた。
誰もが汗だくで息を切らす中、人一倍汗を流しているのは部長の渡辺。
渡辺は幅跳びの選手であるが、基本的には短距離組とメニューを共にする。
みんなと同じメニューをこなしながら声を張り上げ続ける。
「やっぱ秋月すげぇ…」
額の汗を拭いながら井上が渡辺の隣に並んだ。
「ああ…さすがだな…」
二人の視線先にいる秋月は、息を切らしながらも真っ直ぐに前を向いていた。
秋月という男は部活において一切手を抜かない。
もちろん誰もが真剣に部活に取り組んでいるし、必死にグラウンドを駆け抜けている。
でも秋月は格別。
どんなに息が上がろうが、どんなに汗が流れ落ちようが、辛さを一切顔に出さない。
辛くない訳はないのだ。
気温はうなぎ登り。
セミの鳴き声さえ鬱陶しい。
それでも秋月には信念とも呼べる確固たる思いがある。
憧れるあの選手と同じ空を見たい。
その為にならどんな夏の日差しも酷ではない。
元々表情の乏しい顔は部活になると輝き出す。
その辛さを乗り越えれば乗り越えるだけ緒方に近づけるはずだとそう強く強く信じている。
間の抜けたド天然である事なんて微塵も感じさせない気迫がある。
「渡辺!」
短距離組と同じように汗だくで息を切らしながら瀬川が走って来た。
中長距離組はグラウンドの更に外側を走り続けている。
「どうした」
「高島が少しおかしい。息上がるの早すぎる」
ロードワークに出る時や外周を走る時。
先頭に山梨、最後尾に瀬川がつく。
山梨は前を走りながらも部員達の様子を伺いペースの調整を図る。
瀬川は後ろから部員達の変化に特に気を配る。
ペースが落ちる部員がいれば煽ったりもする。
そんな瀬川は共に走る部員達の細かい癖や体力の限界などを把握している。
瀬川の報告を受けた渡辺が中長距離組へと視線を動かした。
山梨を先頭とした集団が陽炎で揺らめくグラウンドの遠くに見える。
「分かった。次の周回に入る前に一回抜けるように伝えてくれ。あとで様子見に行く」
「了解」
瀬川は再び集団の元へと走って行った。
この暑さだ。
水分補給に気を付けていてもほんの少しの不調が顕著に現れてしまう可能性がある。
「あと一回ずつ走ったら休憩入るぞ!ラスト一本気合入れろ!」
渡辺は部員達の体調を気遣って予定より早く休憩を挟む事にした。
「あーっ!あっちぃ!」
「焼ける!」
休憩に入ったフィールド短距離組は、べったりと肌にまとわりついたシャツをバタバタとさせながら水道へと向かった。
水道脇の階段では、一人中長距離組のメニューから離脱した高島が頭にタオルを掛けて座り込んでいた。
「高島、大丈夫か?」
渡辺が近寄る。
「……すみません…情けない…」
高島の奥歯がギリッと音を立てた。
「無理するなよ。今日の暑さは立ってるだけでキツイ」
「……はい…」
高島は昨夜からほんの少しの不調を感じていた。
少し喉が痛い。
たったそれだけ。
大して気に止める事もなかったが、やはり万全の状態ではなかった。
情けない。
高島は更に下を向いた。
「よし!休憩ー!」
遠くで山梨の声がした。
既に陸上部員でごった返した水道に、更に陸上部員が群がる。
「水道譲って!」
「順番順番!」
高い声で騒いでいるのは一年生。
元気だ。
そんな声達でさえも、今の高島にとっては惨めな思いを抱くのに十分だった。
「高島、どうだ」
山梨の声に顔を上げる。
息を切らした汗まみれのその顔には不安の色が滲んでいる。
「……すみません…大丈夫です…」
「おう。水分しっかり摂れよ」
山梨はそれだけ言うとくるりと背を向けた。
下手な気遣いや心遣いは今の高島には必要ない。
そう判断したからだ。
高島はおそらく自分自身を情けなく思っているのであろう。
そんな相手に対して過剰に声を掛けてもその負の感情を助長させるだけ。
体調が落ち着けばまた高島は前を向く。
それで十分だ。
そんな山梨の意図を高島も汲み取っていた。
山梨は人を良く見ている。
人の心理状態を把握する能力にも長けているし、その人その人に合った適切なアドバイスが出来る。
高島もまた山梨に憧れる一人だ。
山梨だけはない。
三年生というのは個性は強いが、後輩達にとってはみんなそれぞれ魅力的に思えた。
そんな魅力的な三年生である山梨と緒方が話し込んでいる。
長身の二人が真剣な顔で話し込んでいる姿はそれだけで絵になる。
かっこいいよな…
俺もあんな三年生になりたい…
実は絵になる二人がとんでもなくくだない話をしている事など知る由もない高島は、とにかく今自分がする事は一刻も早く回復する事だと、思考を放棄して目を閉じた。
つづく
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