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七夕 その14
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なんとか無事に全員の短冊が竹に吊るされた。
「……なんつーか…」
「……ああ…すげぇな…」
田沼と山梨が苦笑いのようななんとも複雑な表情を竹に向けている。
色とりどりの飾りに全部員分の短冊。
飾りは急きょ足の生えた鶴が大量に製作された為、正直とても不気味。
この竹は井上が電車に乗って持って来た。
つまりそんなに大きなものではない。
枝は飾りと短冊に埋めつくされて、まるで収穫直前の稲穂のようにこうべを垂れている。
「で?」
瀬川が右へと首を傾げ
「で?ってなに?」
井上は左へと首を傾げた。
「七夕ってこの後なにするの?」
「そんなの決まってるだろ?!」
井上が得意そうに腕を組んだ。
「緒方が知ってる!」
「えっ?!はっ?!おっ俺?!」
突然の振りに緒方は大慌て。
「知ってる訳ないでしょ…」
と瀬川が口にしたが、陸上部員全員の心の声である事は言うまでもない。
「えっと!ほら!あれだ!秋月が知ってる!」
困った時は秋月に頼るに限る。
「最初から秋月に聞けばいいのに…」
と田沼が口にしたが、これも秋月と井上以外の陸上部員の心の声である事も言うまでもない。
秋月は一見博識だ。
シナプスについて細かく説明したり、生類憐れみの令の原文を覚えていたりする。
だがしかしとにかく知識の偏りがすごい。
言い方を変えるのならば世間に疎い。
コスプレの意味を知らなければ、ツンデレの意味も壁ドンの意味も知らない。
とにかく高跳びばかりだった男だ。
興味のある事に関しては例え幼い頃に見た図鑑の内容でさえ事細かに覚えているものの、興味のない事にはとことん興味がない。
秋月はとてもアンバランスである。
でも七夕については知ってる。
「七夕は中国の行事であったものが奈良時代に日本に伝わり、元々日本にあった棚機津女の伝説と合わさって生まれたと言われています」
「たなばたつめの伝説…?」
聞いた事のない言葉にみんな揃って首を傾げた。
「たなばたの語源は古事記でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある」
「ちょっと待て!」
山梨が止めに入った。
「あめのかわ…?」
「あじ…すき…?」
井上と緒方の頭の中にはひたすらハテナマークが羅列している。
が、それはみんなも同じ。
秋月はいつもの抑揚のない声で流暢に話すものの、聞き慣れない言葉はもはや呪文のように感じられる。
「もっと簡潔に頼む!」
「はぁ…分かりました」
山梨に頼まれ頷いたものの、十分簡潔なのに…と秋月は不思議な気分だ。
「つまり元々は神事だったんです」
シンジって誰だ…
と眉間にシワを寄せたのはやはり井上と緒方。
「七夕は全国的に笹に願い事を書いた短冊を飾る事が行われていて、その他に地方によって様々な習慣や風習があります。でも最近はいわゆる七夕まつりとして、商店街のイベントのようなものに変わり風習や神事はあまり重視されていません」
「確かにな!」
「祭りを楽しむって感じ!」
「なので特に笹に飾りをした後にどうするべきだというちゃんとした定義がある訳ではないんです」
「めっちゃ勉強になる…」
「さすが秋月さん…」
一年生達は羨望の眼差しを秋月に向けた。
一年生達は誰しもが先輩である二、三年生に憧れの念を抱いている。
個性の強い三年生は憧れの的であるが、二年生の存在も一年生にとってはとても大きい。
気さくで明るくみんな優しい。
こんな先輩になりたいと思わせてくれる。
そんな中で秋月充という存在はまた格別だった。
圧倒的に美しい容姿。
高身長で手足も長い。
男子高校生にはそぐわない色香。
高跳びの実力も然ることながら、スポーツは何をやらせても万能。
学力の高さも半端ではない。
それらを一切鼻にかける事のない謙虚な姿勢。
一見孤高でクールだが、どこか漂うぼんやりとした柔らかい空気感。
最近は特によく笑ったり、三年生に囲まれて声を荒らげたり、天然丸出しのズレたマイペースな発言をしたりと新しい一面を見せるようになった。
それらはこれまでのイメージを大きく変えるものであり、親近感が生まれた。
一年生が憧れない訳がない。
陸上部のみならず秋月に憧れる人は多い。
「じゃあじゃあとりあえず!」
井上が仕切り直した。
「せっかくだからみんなで竹に祈ろう!」
「竹?!」
「笹じゃなくて?!」
「これ竹なんすか?!」
笹だと思い込んでいた部員達は驚き声を上げた。
やっぱ誰も気づいてなかったのか…
と山梨は苦笑い。
「つーか竹と笹の違いってなに?」
井上がまた首を傾げた。
やはり緒方に聞いても分からなかったようだ。
ここで再び秋月の出番だ。
「竹も笹もイネ科タケ亜科に属する植物で、一般には大型のものを竹、小型のものを笹と呼びます」
「えっ?!じゃあこれ笹でいいの?!」
井上の表情が輝いた。
「でも実際は全く別の植物です」
輝きは一瞬にして砕かれてしまった。
「一番判別しやすいのは茎を包む鞘の部分です。竹は節の部分に鞘がついてないのですが、笹は大きくなっても鞘がついてます。なのでこれは竹ですね」
竹はタケノコが成長したもの。
その成長の過程でタケノコを包んでいた鞘が朽ち落ちるのが竹。
一方笹は秋月の言ったように成長しても鞘がついたままだ。
ここで田沼にひとつの疑問が浮かんだ。
「秋月は最初からこれが竹だって分かってたのか?」
分かっていたのに何も言わなかったのだろうか。
「いえ、深く考えてませんでした」
出た!可愛い!
と、心の中で人知れず悶絶しているのはもちろん緒方。
しっかりしているようでしていない。
見ているようで全く見ていない。
何を考えているのか分からない謎めいた部分が可愛くて仕方がない。
「まぁとにかくみんなで竹にお願いしよう!」
渡辺の笑顔にみんな頷き、手を合わせて目を閉じた。
開け放たれた窓から生ぬるい風が吹き込んできた。
カサカサ、さわさわと音を立てながら竹が揺れる。
三年生にとっては最後の夏が始まった。
二年生にとっては三年生と過ごせる最後の夏。
一年生にとっては三年生と過ごせる最初で最後の夏。
それぞれバラバラな願いを書いたものの、結局みんなが竹に祈るのは、そんな夏を大切に過ごせるようにという事だった。
こうして暑い一日を終え、陸上部員達は帰路についた。
つづく
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