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鼠色のページ
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「これ見て同じこと言える?」
その異様な光景に、恐ろしい程ぞっとした。
雲は午後から空をはばかり、世界を灰色に塗りつぶした。呼び出された体育館裏で、俺は学校に持ってきてはいけないはずのスマホの画面を、矢代に嫌らしく見せつけられた。
スマホから漏れ出す光にさえ、気味の悪い空気がまとっていた。目を閉ざしたかったが、その強い反動でなのか、より目を見開いてしまい、画面の中身をとうとう直視してしまった。
それは剥き出しの脳みそを、重く殴られる感覚に似ていると思う。吐き気にも似た動揺が、脳内だけでは食い足らず、全身まで苛む。顔の前に差し出され、嫌でも目に映ってしまったものに、一瞬で、全身の機能を殺された気がした。
画面の奥で、つい数時間前まで隣で笑っていた鈴谷が、
「…なん、だよ…」
あの日、笑いながら「じゃあな」と手を振っていた鈴谷が、
「なんだよ…これ…っ」
淫猥にも思われてしまうような格好で、顔を羞恥と絶望に歪ませていた。
そのまま画面から目を反らせずにいると、収集しきれない猥雑な情報が耳と目に流れ込んでくる。
体育館倉庫の中、
大縄とび用の縄で両腕を縛り上げられ、
制服を無理やり剥がされた鈴谷が、
何度も何度も「やめて」と、
悲痛に掠れた声で、泣き詫びていた。
画面の中には鈴谷以外に矢代、それからいつもの不良グループがいて、鈴谷を囲むようにして下品に笑っていた。 矢代が鈴谷に近づいて、何か取引を持ち掛けようとした。鈴谷はその意図に気づかず、怯えた表情で退いた。 矢代は心底楽しそうに顔を歪ませ、鈴谷に言う。
『なぁ鈴谷ぃ、水野の気持ちになれて嬉しいかぁ? 大好きな水野より酷いことされてんだから嬉しいに決まってるよなぁ?』
『…っ』
『…まだ少ーし反抗的な目するよな、お前』
ぐにっと、矢代の足が鈴谷の肌を踏みにじる。 鈴谷は小さく喘いだが、溢れた涙で潤む目で矢代を見つめた。その姿に、矢代は眉を歪める。
『…じゃあこの動画水野に見せて、鈴谷こんなに頑張ってますよーって教えてやろっと』
『っ!! やめろ!! それだけは…! 俺には何してもいいから…水野には何も言うな…!』
『…普段あんないちゃこらしてんだから、ふつーすがるんじゃねぇの? 水野に』
一瞬きゅ、とつぐんだ口から、鈴谷の震える声が静かに響く。
『…すがったら、意味がない…っ 俺は…水野と違って弱い…、だからこのことを知ったら、水野は絶対俺をかばって自分が標的になろうとする…! そんなのダメだ…水野はずっと、静かに耐えてた…っ だから、俺も耐える…俺も水野みたいに強くならなきゃ、水野の隣に並べないんだよ…!!』
はっとした。あの日の鈴谷の言葉を、乱暴に呼び起こさせられた。
ーーーなんで、そんなに強いの?
鈴谷は優しかった。優しいから、その優しさを弱さだと思ってしまったのだろう。あの日、俺の態度と言葉で、鈴谷は要らない責任を感じてしまったに違いない。あの日「じゃあな」と手を振った鈴谷があんなに嬉しそうだったのは、俺が嫌がらせを受けなくなったからだ。
自分が、代わりに受けることで。
今、鈴谷がこうなっているのは
俺のせいだ。
画面の中の鈴谷が、澄んだ声で静かに吠えた。
『もう水野は関係ない、水野に近づくな…!! 水野が普通に過ごせるんなら、俺は…裏で何されようが構わない…!!』
『…ちっ 水野水野うるせんだよ、自分のモノみてぇに…っ』
苛立った表情で忌々しく呟いた矢代は、次には表情をがらりと変えて、安い笑顔で鈴谷に近づく。
『わかったわかった、水野には見せねぇよ。その代わり…』
『…な、なにすん…』
鈴谷が不良たちの背で隠れた瞬間、悲痛な喘ぎが鼓膜にぶつかった。鈴谷の苦しげな声を無視するように映像が止まり、動画は終わった。
俺のせいだ。
硬直したままの俺に、矢代はスマホをぶら下げて随分と楽しそうに話す。
「俺Twitterやってんだけどさぁ、結構フォロワーいるんだよね〜」
矢代が薄く骨張った親指でスマホをスワイプする。
「…この画像、俺が流したら鈴谷の人生終わっちゃうね」
鈴谷の、SMプレイの最中のような画像を突きつけられ、俺は矢代を穿つような目で睨みつけた。
「お前…っ」
「それが嫌だったら俺の言うこと聞けよ」
矢代の口から初めて直接聞いた要求だった。
今垣間見たものが矢代の真意なら、本当に、くだらないと思った。
「…俺を、従わせたいだけなのかよ…?」
「まー、それもあるし? 他にも色々あるけど。なぁ、水野。お前俺のグループ入れよ。それで鈴谷をシカトしろ。 鈴谷に嫌われろ。 俺に従ったらこの動画は消す。 画像も流さないでおいてやる。 …どうする? 水野」
目の前の顔面をぶん殴ってやりたかった。屈辱的でならなかった。 だが、このまままた矢代の要求をスルーしたり、抵抗したりすれば、鈴谷の体裁や名誉に関わる話だった。俺はきっと自分が感じている以上に長い間沈黙していたと思う。そして口をかたく結んだまま、矢代に従う意思を示した。
矢代の薄い唇が、とても嬉しそうに歪んだ。
その次の日、何も知らない鈴谷は、いつもと同じ煌めいた声で「おはよう」と声をかけてきた。
おはよう、とどうしようもなく笑い返したくなった。目を合わせて、他愛ない話を飽きるまでしたかった。だが俺の決めたことは、それを一切許さない。 そのまま鈴谷を遮断して、素っ気なく生返事をした。
不安げな顔で俺の名前を、鈴谷が小さく呼んだ。 それを無視して、「来い」と目で指示する矢代の元に不本意ながら足を運ぶ。場違いな輪にわずかに体を入れ、鈴谷へ密かに目線を送ると、その優しく穏やかな顔は、やはり、絶望していた。
震えたその声に応じることができないのが、酷く辛く、悲しかった。
鈴谷が声をかけてくることはなくなった。
当たり前だ。鈴谷からしたら、代わりにいじめの標的になってまでかばってやった人間が、いじめグループに編入していただなんて、裏切りでしかない。きっと今も俺の視界の外で、鈴谷はいじめを受けている。見ればわかる。 日に日に体の傷が増えているのだから。しかもその傷は、他人にバレないような薄く刻まれたものが大半で、矢代たちの陰湿さが表れていた。
その薄くつけられた痕を見る度に思った。
鈴谷に近づきたくて仕方ない。
だが俺の決断と、矢代の監視下にあるせいで、俺の行動はほぼ制御されていた。鈴谷の連絡先も残らず削除するよう、命令された。
俺が鈴谷を再度かばえば、あの画像が流出してしまう。それを阻止するために、鈴谷と距離を置いた。だがその裏の出来事を鈴谷は知らない。 だから俺が鈴谷を身代わりにして逃げたと、きっと思われている。だが矢代に隠れて、鈴谷に全てを話す術がない。
一度、ハッカーを雇って鈴谷の画像を削除してもらおうかとも思ったが、そんなハッキングのプロを雇える金も無かった。
俺のせいで鈴谷が辛い目にあっているのに、何もできることがない。鈴谷と言葉を交わさなくなってからずっと、心臓をコンクリートの塊に圧迫されているようだった。
ある日、偶然トイレでふたりきりになった。鈴谷と俺だけの空間だった。ばったり会ったものなので、お互い顔を逸らす間もなく、数秒見つめ合う形になった。互いの顔をはっきりと認識したのは久々だった。だが、しばらくはお互い何も話せなかった。
しばらくの沈黙の後、それを破ったのは、俺の消え入りそうな声だった。何か伝えるなら、チャンスは今だと思った。
「絶対、…助けるから。 待ってて…っ」
震えた。想像以上に声が震えた。無視されることを覚悟した上での発言だった。だが鈴谷は、しばらく黙った後で、それを全否定した。
「わかってる。大丈夫だから、水野は頑張らないで…。全部、わかってるから…っ」
熱を持った、絞り出すような声に、鈴谷を救わなければいけない俺のほうが、救われてしまった。
久々に、間近で鈴谷の声を聞いたせいもある。だがそれよりも、俺の予想を塗りかえた鈴谷の言葉に、目元がじわりと熱くなった。心に染み込んだ言葉が涙を押し出して溢れそうになる。四方から強いられた緊張が一気に緩んだ。崩れそうになるのを必死にこらえる俺と顔を合わせないまま、鈴谷はすっと横を離れていった。
汚れた上履きが力なく教室へと戻るのが、視界の隅に見えた。俺がなんとかしなければと、強く思った。
それから数日の間、俺は矢代たちの領域の中で、必死に鈴谷を今の状況から救い出す手段を探した。不良仲間を観察し、矢代を観察し、どこかにセキュリティホールのようなものが現れないか、注意深く、密かに見続けた。
反対に、鈴谷が放課後に乱暴されているのを知りながら、おとなしく矢代の元に在る俺を、矢代は満足気に横目で見ていた。
静かに、荒々しく打開策を探していたとき、ある可能性が浮かび上がった。矢代が楽しむために所持し、まだ未使用の、残っている玩具の1つ。
鈴谷いじめを、俺に強要することだ。
チャンスはその時だ。ターゲットの味方を、自分の側に引き込めた時、あるいは自分の仲間に出来た時、必ず相手は油断する。その隙を突いて、俺や鈴谷を動きづらくしているあの画像をなんとかして削除すれば、後はこちらのものである。
はじめに見せられた動画には矢代たちの姿がはっきりと映っていた。だから鈴谷の了承次第ではあるが、これを利用して権力の強い立場から矢代たちに処分を下してもらい、鈴谷を守ってもらおう。リスキーではあるが、この方法が最も正攻法に思えた。
徐々に光が見え始めた気がした。 後は俺が、鈴谷の手をひき、その光へ連れ出すだけだ。光が最も漏れ出す日を待つ。
その日はすぐに訪れた。
違った形で。
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