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うっかり家近デート
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はとちゃんが普段行くところが知りたいな!せっかくお家に行けるようになったし!!
またお家に行きたいな!!!
と押しまくると、はとちゃんはデートコースを一生懸命考えてきてくれた。
わすれないようにメモしてきた、という紙を見てみたが、部分的に鏡文字になっていたり絵で表されていたり、かなり謎の多いものになっていた。
はとちゃんの文章を書く能力は小学生レベルのように見えるのだが、当時はどうだったのだろう?
……俺は今日、どこに連れて行かれるのだろうか……?
『あまるていあ』から住宅街、公園のそばを通って、ぶつかった大きい通りをさらに横断。
手をつないで歩きながら、風景を眺める。
はとちゃんは普段、こんなところを歩いてるんだな、と思うと、特にこれといって見所を感じられないわりに妙に楽しい。
「ねえ、どこに行くの? はとちゃん」
「えっとね、えまくんが、おはな、売ったところ。ぼくはよく、おけしょうひん、かいます。あと、しりあいが、はたらいています」
「あー、リサイクルショップだっけ? 知り合いって……病院の頃とかの?」
「えっと……おうちのほう。リサイクルショップとか、ほかにおみせを、なんこか、かいしゃがやってて、ぼく、さいしょはそっちで、はたらいてたの。……入院して、やめちゃったんだけど……」
「へえ。そこのお店もそういう福祉系のやつなんだ。何のお仕事してたの?」
「さいしょはねえ、こう……ふくろに、ものを入れて、とじるやつ。そのあと、おべんとうの、ざいりょうを、なんか……えっと……うつわ? に入れてたよ」
最初の奴はいわゆる軽作業系、内職のような単純作業だろうか。その次は工場の中のひとつの作業っぽい。
なんだ、はとちゃん結構普通に働けてるじゃないか?
「あっ……」
何かに気が付いたように、はとちゃんは俺の手を引いた。
「おしゃべりしてたら、とおりすぎちゃった……」
可愛いけど、とても心配。
少し道を戻ると、結構大きめの店があった。
リサイクルショップ『shell to wing』。殻から翼? 何かのことわざの一部かな?
横開きの戸を開けると、雑然とした感じの内装が広がる。玉石混交、ちゃんと物をカテゴリ分けしていない。なんでギターの隣に調理用具がかかっているんだろう? 所狭しと物が棚をはみ出して置かれている。
地震来たら崩れそう。
まあしかし、ちゃんとあの造花を取っておいてくれた店だ、邪険にはするまい。
まったく、いくらの査定だったんだろうな?
「おっす、いらっしゃい。あ、はとちゃん。化粧品入ったよ。ほい、好きなの持ってきな」
レジで座っていた強面の男が、小さなかごを取り出して置いた。化粧品の試供品や、汚れた使いさし、カラフルなネイルの小瓶なんかが入っている。
「はんぶんいじょう、のこってないのとか、ねふだ、つかないもの、もらえるの。ほかの女の子ももらうから、はやいものがちなんだよ」
はとちゃんは説明しながら、青いニベアの缶をかぱっ、と空けた。底の方にうっすら残っている。
「じゃあ、これ、もらうね。いつもありがとうございます」
「……新しい管理人さん? こっちで見たことないけど」
俺を見て、男はいぶかしげにする。
「あ……あのね……? ぼく、この人と……お、おおお、おつきあい、してるのっ……」
はとちゃんはデレデレしながら、俺の手をスリスリと撫でて言った。思わず俺も顔が熱くなる。
「せ、先月は、はとちゃんが盗まれた物をストックして、買い戻すまで押さえて頂いてたそうで。ありがとうございます。俺が贈ったプレゼントだったんで……」
男はそれを聞くと、あーはいはい、とうなずくように首を振って、口をあんぐり開けた。
「噂の彼ね。へえ……そっかそっか……。俺さ、あっ俺、宇佐美貞吉っていうんだけど、昔『あまるていあ』にいてさ、今は『ぬすばうむ』っていう同じ会社の別のマンションに移ったんだ。だから、はとちゃんとしばらく一緒に住んでた事もあるよ。抜けてるけど、すごくいい子だからさ、仲良くしてあげて」
「それはもう、はい」
……てっきり健常な店員さんなのだと思ったが、この宇佐美という人もそう、なのか。
話し方もはっきりしてるし、見た目に変な様子もない。
頭の病気は目に見えにくいものだし、病人と健常者の境目はさらにもっと分からない、のだろうか。
レジの後ろのスペースでは、数人の女性が洋服に手書きの値札をせっせと付けている。
「……あんたは、アイツみたいに無理やりやろうとしねぇよな? 惚れた奴は、泣かすんじゃねえぞ」
宇佐美さんは急に、凄むように声のトーンを落とす。かごを戻す手をよく見ると、
左手の小指が、半分に切れていた。
息を飲む。
時間が止まったかのような感覚。
フィクションの中だけの話じゃないのか?
小指を詰めるなんて、この人は……元ヤクザか……!?
よくよく見てみれば、口元の歯がいくつも抜け落ちている。歯が折れるほどの喧嘩をしてきたんじゃないのか?
見えないけど入れ墨も入ってるんじゃ……?
「しゅうとさんは、とってもやさしいよ! いろいろ、かってくれるし、大好きってだきしめて、チューいっぱいするの」
「おっ、そうかい。お熱いね。ならウチでも買ってってくれよな?」
「そ、そうですね……?」
平然と会話を続けるはとちゃんに、なんだかくらくらする。そのものズバリをしてる事実もまるでなかったみたいに、はとちゃんはニコニコ笑って、俺の手を引いた。
普通が分からなくなって、麻痺してくる。
常識は、いったん投げ捨てる必要があるのかもしれない。
宝探しのように店内を見て回り、俺は手首や肘を覆うダーツ用のサポーターを買った。
はとちゃんは、髪の毛に付けるオイルトリートメントの小瓶を欲しそうにしていたので、買ってあげた。
宇佐美さんはサポーターが何用のグッズか分からず、俺の手首をセーターの裾をめくって確認してきた。
リスカ痕隠しだと思ったらしい。
手首を掴まれた時には、心臓にナイフを突き付けられた気分で血の気が引いた。
「また来るねえ。お仕ごと、がんばってねえ」
「おう。ありがとよ」
手を振って店を出て、にこにこするはとちゃんの後をついて行きながら、内心引っかかっている言葉を反芻する。
……アイツみたいに無理やり、って。
やっぱりか。
過去に、何かがあったんだな?
しばらく歩いてバス停に着くと、はとちゃんは首から下げた手帳から、カードのような物を取り出した。
「しゅうとさん、これ、しってますか?」
薄いベージュ色の磁気カードだ。今まで見たことが無い。
「いや、知らない。何これ?」
「とバスとか、とでんが、お金なくてものせてくれる、すごいカードです。しょうがいしゃだと、くれるんですよ。これでぼく、パンやさんに、かよっています」
マジか。都バスと都電の無料パスか。あれば生活がずいぶん楽になるよな。いいぞ、都。
「ぼく、管理人さんに、バスののりかたも、電車ののりかたも、おしえてもらったんです。いっしょにのってもらったの」
ふふん、と自慢するように得意げな表情を浮かべて胸を張る。そしてメモを再確認して、バス停の文字と見比べている。
そうか、普通に出来て当たり前の事、を覚えるために、助けがいるのか……。やばいな、カルチャーショックを受けまくりだ。
到着したバスに乗り込み、2人がけの椅子に並んで座った。
窓際の席に腰掛け、はとちゃんは前をじっと見つめている。きれいな横顔だ。昼のうららかな日差しがはとちゃんの髪の毛をきらきら艶めかせている。
……聞きたいような、聞きたくないような、ためらいで奥歯を噛み締める。
過去の出来事が具体的に……俺がしたようなレベルの事なのか、もっと酷いのか分からないだけに、聞き出すことそれ自体が、傷付けることなのかもしれない。
だけど知らないままでいるのも、落ち着かない。身体をきゅっと抱きしめて、頭を撫でて、それしか俺には出来ないとしても、したくてたまらない。
加害と被害。
立場を割り切れない負の連鎖。
俺がそれを、止めてあげたい。
「あの、さ、はとちゃん……」
勇気を振り絞って口を開くと、はとちゃんは俺の唇に人差し指をふに、と押し付けた。
「……おしゃべりすると、おりるところ、わかんなくなっちゃうから、しー、だよ」
真剣な表情で、アナウンスと電光掲示板に注意を払う。
な、なるほど……さっきの二の足を踏まないように、地味に頑張っていたんだね……?
運転手にカードを提示して、はとちゃんは合法的に無銭乗車を終えた。
「よし……できたぞ……!」
小さくガッツポーズをする。微笑ましさが物凄い。
「……おしゃべりはね、このあと、パン屋さんの中に、カフェスペースがあるから、そこで、まとめておねがいします。ふだん、行かない日に来たから、ぼくもなんか、ふしぎです」
「あ、パン屋ってことは職場? 職場紹介してくれるの? 俺も行ってみたかったんだ。嬉しいな」
「ほんと? よかった……つまんなかったら、やだなあって、思ってたから、よかったです」
ほど近い住宅街の一角、パン屋は風景に溶け込むように建っていた。
『みんなのパン屋さん RESPITE』と看板がかかる。
中断、いや意味合いからすると小休止かな?
大学の頃家庭教師のバイトをしていた知識はまだ残っていたらしい。
戸を開けると、以前見せてもらったチラシのとおりの内装が広がる。レジに立っていた眼鏡でバンダナを巻いた男が、俺たちを見るとハッと目を見開く。
「た、たばねさぁん……! つれてきましたよ!」
はとちゃんは繋いだ手をぶらぶら揺らして、男に見せつける。俺が一礼すると、「たばねさん」は手で顔の下半分を覆った。
歓喜の色を瞳から感じた。
「狭川柊人と申します。はとちゃんをご指導されてる施設運営の方……でしたっけ。あまりこういうところの知識はありませんので、是非お話を伺えたらと思います」
握手しようと差し出した手を、両手で握り返された。
「束進次郎です。彼から、話は聞いてましたよ。いやあ……優しそうな人で良かった。今コーヒーを淹れますね、先に席にどうぞ」
「えっ、コーヒー、サービスなんですか?」
「えへへ……しゅうとさんに、いっつも、お金、出してもらってるからね、今日は、ぼくが出したかったの」
「給料から天引きして、って言って聞かなくてね……。ま、気持ち汲んであげてよ」
束さんは奥の方にコーヒー2つ入りました、と声をかける。
マジか。はとちゃんにおごられてしまった。
や、安いの食べようかな……?
カフェスペースはこじんまりとして、椅子は10個も無い。昼時で半分くらい埋まっていて、バターの香りとコーヒーの匂いがふんわりと広がっている。
向かい合わせにテーブル席に腰掛ける。
「やきたてのパンはなんですか? チョコのあじのパン、ありますか?」
「今焼き立てだと無いなあ。むしろシフォンケーキはどう? 昨日昭知くんが仕込んでくれたし、生地が落ち着いてちょうど食べ頃だと思うよ」
「じゃあそれを……しゅうとさんに……! あっ、えっと……食べたいですか?」
「うん。楽しみだな」
ぱああ、と見るからに満面の笑みを浮かべ、はとちゃんは束さんに注文する。
束さんはケーキケースからケーキを二切れ取り出し、皿に乗せて女性の店員に渡すと、店員はそれぞれにソースやクリームを盛り付ける。
「チョコ、好きなの?」
「もうすぐ、バレンタインだから……」
「あー、なるほどね。プレゼントしたかったんだ? ありがとね。はとちゃんは綺麗だから、むしろ貰う側だったんじゃない?」
何気なく言ったが、よく考えなくとも学校に満足に通えなかったはとちゃんが、バレンタインにチョコを貰えるタイミングって有るか? その上、女性恐怖症まである。
という勘繰りをあっさり裏切り、はとちゃんはうなづく。
「うん。病院でね、バレンタインに、ごはんのデザートで、チョコがつくんだけど、なんか、みんなぼくにくれたの。のこしちゃうから、いらないのに」
「……女の子からモテモテだったんだね」
「ううん。男のひとだけの、病棟だったよ。ぼく、女の子のかっこう、してたからかな」
今より更に幼い顔付きのはとちゃんが、男だけの病棟の中に居て、しかも女装までしていたとしたら。
なんだろう、ふわっと想像するだけでも犯罪臭が凄い。大丈夫だった? チョコ以外の、なんていうかこう、剥き出しの性欲をぶつけられなかった?
「コーヒーとケーキ、お持ちしました」
運ばれてきたケーキは、メイプルシロップのかかった黄色いものと、クリームが添えられた茶色いもの。
「こっちは、紅茶。アップルティーの、シフォンケーキです。りんごがね、おんなじ、しょうがいのあるひとたちが、そだてたりんごなの。こっちは、ココア。どっちも、ぼく、生地をまぜました。ココアのほうが、チョコみたいだから、ココアをどうぞ」
ココア味をすすす、と差し出された。
「ありがとう。……うん、美味しい。もっちりしてるね。手作りがこうやって商品として出てくるって、凄いね」
はとちゃんはメロメロな目付きで俺がケーキを口に運ぶのを見つめている。
物凄ーく偏見に満ちてるけど、障害者手作りの食べ物って、大丈夫なのかな、って疑ってた。でも普通に美味しい。目の前のこの人の手作り、ってバイアスがかかってるだけじゃない。
「……そっちの、紅茶の方、食べないの?」
「あの……えっと……あ、あーんって……したくて……」
もじもじしながらフォークで小さくケーキをつまんで、持ち上げて差し出す。
「こっちも食べて……くださいっ……」
なんだか照れくさくなりながらケーキを口に含む。林檎と茶葉の香りがふわっと広がり、ケーキも香ばしくて、美味しい。
「あ、こっちの方が好みだね。どっちも美味しいけど。はい、はとちゃん。あーん」
はとちゃんに食べさせると、なんだか餌付けみたいでちょっと面白い。また俺たちはバカップルしてるな、と妙に冷静になる。
はにかんだ笑顔は今日いちばんの可愛さで、癒された。
はとちゃんがトイレに席を立ったら、束さんがそっと席に近づいてきた。
名刺を交換し、俺はそれとなく尋ねる。
「今日、はとちゃんが以前勤めてた……系列店かな? リサイクルショップにも行ったんですけど……はとちゃん、昔、なんか……されたんですか? はとちゃんがした事は分かってますけど……」
「え、知ってるの?」
束さんが皿を片付けながら、驚いた顔で俺を見つめる。
「本人から教えてもらいました。……まあ、なしくずし的でしたけど」
束さんは声のトーンを落とし、小声でひそひそとささやく。
「……ウチにくる前の就業支援施設で、乱暴されそうになってる。未遂で終わったけど、彼、ショックで錯乱して、入院したんだ。大坪くんからは、そう聞いてる」
未遂でも、入院……。
俺が手を出して容態が悪化してないのは、たまたまってことか……?
うつむいて額を押さえると、束さんが肩をぽん、と軽く叩く。
「休憩時間になると、彼、君の話ばかりしていたんだ。友達とは言ってても、好きなんだって分かってしまうくらいには、ね。……支えてあげてほしい。いい子過ぎるくらい、いい子だ」
「……そう、出来るといい、ですけど、」
顔を上げると、トイレから青白い顔をしたはとちゃんが小走りで出てくるのが見えた。
「……ひ、昼の薬を、家に忘れた?」
なかなか度の強い忘れん坊っぷりに、俺は再びうつむき、今度は頭を抱えた。
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