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透明人間にしないで
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『あまるていあ』の3階、管理人室に通された。棚には住人たちの名前のラベルが貼られたファイルが並び、物々しい南京錠のかかった金庫も見える。
女性が紅茶の入ったティーカップをテーブルの上に並べた。茶色に染めてラフに結わえた髪の生え際が白髪混じりだ。化粧っ気がなく、やや古めかしいアンダーリムの眼鏡をかけている。
「やぁ、久しぶりだねえ、あきちゃん。うんうん、髪伸びたし、顔色良くなったね。もうスカート履かないの? 可愛かったのに」
はとちゃんは俺の後ろに隠れて、おっかなびっくり女性を見やる。大坪さんは奥の棚から茶菓子と角砂糖とスプーンを取り出し、テーブルに広げる。
「と、ときどき……はくよ……。しゅうとさんが、いてくれる、から、大丈夫になってきたの」
「お、かなり喋れるようになったね! それともおばさんのこと、女扱いしなくなった? まあいいや、狭川くんだっけ。座って。話は大坪くんから聞いてるけど、直接聞かせて貰うよ。これ名刺。持倉尚子です」
持倉さんは、大坪さんの上司であり、名義と金だけ出し別の仕事を主体に活動している社長に代わって統率を取る、実質的なトップだという。
他の会社でも敬遠されがちな経歴の人間を受け入れる受け皿として、医療少年院や病院などとの関わりを着々と築き上げてきた。
時に留置所、裁判所、刑務所まで足を運び、入居者にとっては母親のような存在。つまりやり手。
大坪さん曰く、少々口が悪い。
持倉さんの向かいに座ると、大坪さんはその隣に腰掛け、はとちゃんは俺の隣に寄り添うように座る。
俺は持参した書類をそれぞれの目の前に差し出す。
「……これは?」
「プレゼン資料です。同棲がはとちゃんにもたらすメリットとデメリット、俺がどのように今後はとちゃんを支えていくかの展望をまとめています。俺のことを信頼して頂く前に、よく分からなくて怖いだろうと思って、かなり個人情報を記載してます。あ、はとちゃんのは読めるように平仮名と優しい言葉遣いにしてあるからね」
「しゅうとさん、6月生まれなの? ぼく4月生まれだから、ぼくのほうがおにいさん」
「うん、後でじっくり話聞くね。読んでて」
大坪さんは興味深くページをめくって目を通すが、持倉さんは半笑いで流し見している。
「お前、面白い奴だな。感情論だけじゃないのは買ってやらんでもない。だが、その口ぶりだとお前の『客』はあきちゃんで、我々があきちゃんをぽっと出のお前に託すリスクやデメリットについては思考の外か? お前は誰に向かってプレゼン作ってんだ?」
痛い所を突かれる。
「……一応、そう思って俺自身のことを詳しく書いたんですが……」
持倉さんは足を組み変え、砂糖を紅茶に入れてスプーンでざくざくと砕いた。
「狭川くんはさ、円満くんとは会った? 小太りで背が小さくて……」
「ああ、顔を合わせたくらいですけど」
「円満くんとあきちゃん、どっちの方がかわいそうだと思う?」
質問の意図が掴めず、戸惑って口を開けずにいると、持倉さんはため息混じりに笑う。
「円満くんはさ、感情を抑えるのが苦手。イマドキの言葉で言えば、発達障害。暴力や破壊行為、窃盗、家出。人を振り回す行動で人を従わせようとする、まあいわゆるメンヘラな訳よ。
一方のあきちゃん。あきちゃんはむしろ抑え過ぎ。自分を庇護してくれる者に従順過ぎるほど従い、周りを付け上がらせては暴力を振るわれてきた。本質的な意味でメンヘラね。
どっちの周囲に人間が集まると思う? どっちがより助けてあげようって感じる?」
「それは……」
暴力的な人間より、大人しい人間の方が愛されやすい、だろう。常識的に。
「ま、外見っていう違い、ましてや恋人に肩入れすんのは当然だけど、まあ普通はあきちゃんでしょ。でもさ、かわいそうかどうかで助けるか助けないか決めるなんて、前提から間違いなんだ。むしろ同情すらされない難しい子こそ、助けが必要だったりする。こいつみたいな粘り強い仕事人の、ね」
スプーンの先で大坪さんを指し示す。大坪さんは資料から目を離さず、首だけのお辞儀をする。
「メサイアコンプレックスって知ってる? 人を助ける事で、自分は徳の高い優しい人間だと感じる心的構造。つまりあきちゃんは、近づく人間皆いい人ぶれる格好の相手なんだ。しかも、メンヘラ相手なら別れても周囲からの同情のおまけ付きだ、自分が悪者にはならない。人の弱みに付け入って、甘い汁をすすってんのに。お前の事だよ、狭川柊人。……あきちゃんのため? 笑わせるなよ!
お前のオナニーに、うちの子を付き合わせてんじゃねえぞ!」
資料を俺に投げ返し、やれやれという顔で紅茶をすする。
母親のよう、という表現の妥当性を噛み締める。子供に寄り付く虫を振り払う厳しい親。
はとちゃんを支えたい、助けたいと思うことすら、俺がいい気分になるため、俺のための行動だったのだろうか。
何回身体をむさぼり食べて、何度甘い汁を吸っただろうか。
反論しようにも図星で、自分の気持ちを整理出来ない。
「……しゅうとさんを、いじめないで」
はとちゃんが、おずおずと口を開く。
「いじめてるんじゃないよ、あきちゃん。おばさんはね、コイツと同棲どころか、付き合うのも辞めた方がいいって教えるために来たんだ。あきちゃんは認知が歪んでる。優しくされたんじゃなくて、性的に搾取されてるのが分からないんだよ。とっとと別れな」
「……やだ」
おや、と不思議そうな顔で、持倉さんと大坪さんははとちゃんを見た。従順過ぎるほど、のはとちゃんが、明確に意志を示した。
「しゅうとさんはね、ぼくでもわかるように、これ、くれた。でも、もちくらさんは、いっつも、ぼくがいるのに、ぼくでもわかることばで、おはなししてくれない。だから、ぼくのこと、だいじにしてくれるのは、しゅうとさんだよ」
投げつけられた資料を拾って、持倉さんから必死に視線を外しながら言った。
それはそうだ。はとちゃんが同席しているのに、理解出来ない前提で持倉さんは話した。なんなら、はとちゃんに対して差別的ですらある言葉遣いで。
当事者不在にされて、嬉しいはずがない。
はとちゃんは震えながら、声を張った。
「ぼく、います。ぼくのこと、むししないで。ぼく、わかれたくない。しゅうとさんと、いっしょのおうちがいい。おねがい、ぼくの好きな人のこと、いじめないで」
真剣な表情で、ちょっと眩しいみたいに目を細め、ついに持倉さんを見つめる。
「それが認知の歪みだって言って、」
「まあまあ」
持倉さんを制して、大坪さんは微笑む。
「読ませて頂きました。よく作りましたね。もちろん専門家の僕らからすれば粗いと感じる部分も多いですが、むしろ外側にいるあなたの率直な批判は、改善点を浮き彫りにしてくれます。そして、僕たち以上にあなたが昭知くんのニーズを把握出来ること、痛感しましたよ」
「……どういうことだ、大坪」
「新年度のプラン作成のために、僕も今月、昭知くんと面談をして、今後の目標、課題、希望を聞いてます。でも、ほらこのページです、量も質も格段に豊富です。……僕たちは彼の気持ちを置き去りにしたプランを押し付けてたんですよ」
持倉さんは大坪さんの分の資料をひったくって見つめ、やがて眼鏡を中指で押し上げて顔を上げた。素人とあなどって緩んでいた表情が固くなり、鋭い瞳を俺に向ける。
俺はテーブルに眼鏡が付きそうなくらい深々と頭を下げた。
「俺は素人で、ぽっと出で、持倉さんの言う通り酷い男です。だけど、きっかけがどうあれ、俺ははとちゃんが……大好きで、この人のそばで生きていきたいんです。お願いします、はとちゃんを幸せにするって、誓いますから」
「ぼくも、うんとがんばるので、えっと……お、おねがいします」
はとちゃんも頭を下げたようだ。
持倉さんは嘆息し、まったく気持ちが入ってなさそうなゆるい拍手をした。
「顔を上げて。まったく、馬鹿で、若いね。分かった分かった、止められそうにないし、駆け落ちされるのも困る。あのあきちゃんが、こんなに物を言えるようになるなんて、なにやら感慨深いね。……ヤバいと思ったら、ちゃんと相談してくるんだよ。あきちゃんも、あとお前も。おばさんは神でも神父でもないけど、立てた誓いは撤回しない事」
憮然としながらも、何か楽しそうに持倉さんは笑った。呆れているのかもしれない。広げた左手の薬指で、指輪がかすかに光った。
大坪さんも喜びを噛み殺して平静を装うような、不自然な笑みを浮かべている。
「あ、ありがとうございます……!」
「え、え? や、やったー!? ありがとう、よかったねえ、しゅうとさん!」
はとちゃんは勢いよく俺に飛びついて、唇やほおにでたらめにキスしまくる。
「ふ、2人がいる前では控えようってさっき……む、ん、舌もだめ、待っ……」
「うわ、目に毒。じゃあ大坪くん、転居に関わる事とか動いて。随時状況知らせること。部屋の空きの照会してきた病院にも宜しく。本社帰るから」
「お疲れ様です。やっときます」
慌ただしく持倉さんは部屋を出ていって、はとちゃんはふにゃ、と緊張がほぐれたように俺の腕に寄りかかった。
「……よ、よかった……」
俺も脱力して、背もたれにだらしなく背を預ける。なんだか泣きそうだ。
「たった数日でよくこれだけのプレゼン用意しましたね。お忙しいみたいなのに」
「主成分はメガシャキです」
大坪さんはふふ、と笑いながら、紅茶のカップを回収し、テーブルの上を片付けた。
「僕も、恋に生きてみたかったな」
ふと大坪さんが呟いた表情は、ぼんやり遠くを見つめているような、珍しいものだった。
「大坪さん、仕事に生きてらっしゃいますもんね。この部屋の隣に住んでるんですよね? 恋愛してる暇、なさそう……」
「ええ。だから絶対に叶わない恋しかしないんですよ。諦めなくてもいいから」
大坪さんが好きになる人ってどんな感じだろう、料理も仕事も出来る人は相手に何を求めるんだろ。お世話してあげたくなるような、じゃじゃ馬な子とか?
「あっ、しゅうとさんのおうちにいったら、おおつぼさんとおわかれになる……」
「ここを巣立っていくのを見るのが、僕にはいちばんの喜びだよ」
はとちゃんの頭を、大坪さんが優しく撫でる。大きな手のひらは顔より明らかに広い。
本気で眠たくてうとうとしていたら、寝てていいですよ、僕は仕事してますね、と小声で囁かれ、するりと眼鏡が外された。
「これから、まいにち、しゅうとさんのねがお、見れちゃうんだあ……。えへへ、かわいい……うれしい、うれしいなあ……」
遠のく意識の中で、はとちゃんが俺の鼻の先をつんと指で押した、気がした。
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