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矢を持ち寄ればみんな友
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「はとちゃん、こちらをご覧ください」
「あ、体重計だあ。病院でも『あまるていあ』でも、まいにちのってたよ。おうちでものるの?」
タニタ製体重計を浴室の前に設置し、事前準備としてはとちゃんの身長と体重の数値を入力して登録。続けて俺の数値も登録する。
「これからはそうしようね。はとちゃんはこの端っこのボタン押してから乗ってね」
「うん。……こう?」
はとちゃんは体重計の上に足を乗せる。ピッと音がして数字が確定する。
絶句する。
俺と一緒に4月に受診した健康診断の結果が届き、体重計にもこの数値を登録したのだが、はとちゃんはBMI指数で「痩せすぎ」になるほど体重が少なくて、思わず二度見した。そして体重計もそのとおり示す。
アニメの女の子の体重かよ。
いくら身長が低くても、成人男子で40㎏前半はいくらなんでも、やばいだろ……!
なんとなくお姫様抱っこしてみたら、余裕で持ち上がった。うわあ、肋骨が皮膚のすぐ下にある。
これまでだって散々抱いてるけど、俺は無意識に『女の子の体格の常識』ではとちゃんの事を見てたから、異常性に気が付かなかったのか……?
「何なに? だっこしたくなっちゃったの? おもくない?」
はとちゃんは突然の姫抱きに目をキラキラさせて喜んでいる。俺はゆらゆらと揺らして重量を腕で感じる。
「はとちゃん……軽過ぎる。はとちゃんが食が細いのは分かるんだけど、もっと沢山食べて、太ったほうが身体にいいよ」
はとちゃんをそっと床に下ろすと、どこからともなくむむが駆け寄ってきて、おっ俺の遊ぶグッズかこれ、なんやこれ、平らだ、って体重計の上にでーんと寝そべった。違うよ。
しっしっ、と足で退けようとしたらはとちゃんの足に絡み付いて不満げにこちらを睨んでいる。
はとちゃんはむむを撫でて抱き上げ、自分がされたみたいにゆーらゆーら左右に揺らす。まるで赤ちゃんを抱いてるみたいに見える。
「おおつぼさんもね、言ってたよ。太ったほうがけんこうてきだって。でも、これでもぼく、体重、ふえてるんです。病院にいたころより」
「ふ、増えてそれ……?」
「じぶんしじょうかこさいこうですにゃ」
むむは相槌を打つようにみゃんと鳴いた。
なんで猫語なんだ。ちくしょう可愛いな。
いやいや可愛いのに騙されてはならない、はとちゃんの健康は美より何より優先だろ。
とはいえ、解決策はパッと浮かばない。
刺された影響で腸の働きが弱く、食べ物からの栄養吸収に乏しい。運動は不得意。そうなると、詰んでるんじゃないか……?
職場よりいくぶん仙台駅に近いビルの二階、ダーツバーへの入り口はこじんまりとしていた。
事前に検索したところ、機種違いでダーツがひとつずつあるだけで、メインはバー、という風合いだ。
「ノンアルコールもあるから、大丈夫だよ。ここに俺が会社で世話になってる人の、旦那さんが働いてるんだ。はとちゃんのこと、紹介させて」
はとちゃんは歓楽街の空気に怯えているのが見てとれた。陽が落ちてから出歩くのも不慣れで、なんというか、うぶだな、と思う。
「……怖くないよ。信頼出来る人だから、きっとはとちゃんのことも分かってくれる」
手を引いて階段を上って店に入ると、
「いらっしゃい! おっ、おおおっ、マジで彼女連れで来たのか狭川ァ! ヒュー!」
「……なんであんたがカウンターの向こう側で酒振ってんすか、パイセン副業規定でチクりますよ!? っていうか……なんで、たすくんまで……?」
あまりの事に目が白黒する。
夫婦揃って並んで働いてるのもこれ以上ないツッコミ所だし、マジでたすくんがダーツ始めに来てるし、そういえば久々会う任真(とうま)さん、横幅広くなってるし。
いやちょっと待って、夫婦は俺との面識あるし、はとちゃんのことを打ち明けても大丈夫だと踏んだけど、知り合ったばかりのたすくんは、ああもうぐっちゃぐちゃだよ。
ううう、迂闊だったか?
「ボランティアでやってるから大丈夫だよ。働く旦那を肴に酒飲むの、つまんねえからこっちに入れて貰ってるよ」
「ご夫婦で趣味が合うって、素敵ですね。さっき教えて頂いたんですけど、ハマっちゃいそうです。あの、狭川さん? か、彼女さん……?」
はとちゃんはパイセンを警戒して俺の背中に隠れている。今更後に引けないし、覚悟を決めて深呼吸をする。動揺が隠せない。
「……はとちゃん、紹介するね。あの女の人は伊吹初乃さん、俺の会社の先輩なんだ。で、その隣の人が伊吹任真さん、先輩の旦那さんでプロダーツプレイヤー。このダーツバーで働いてる。で、手前のカウンター席のイケメンが遠嶋佑くん。会社の後輩。みんな俺の知り合い」
「……しゅうとさんが、いつも、おせわになってます、ありがとうございます。は、はじめまして……」
ぺこ、と俺の背中でお辞儀をした。
喋りで、なんか変だな、とパイセンはもう感じ取っている様子だ。
「座って座って。彼女さん、こういう所は初めて? やー、26歳……には見えないね……お若いねー……」
「そう言う任真さんは、見ない間に恰幅良くなりましたね」
「おいデブって言われてんぞ」
パイセンは任真さんのお腹を小突く。ベストがかわいそうに腹肉に引き伸ばされていて、ムチムチしている。
「いやー、こんなに素敵なお嫁さんが出来て幸せ太りしちゃったよねー」
「ハッハァ、惚気やがって! 最高だな!」
夫婦漫才でハイタッチする前にメニュー表をくれ。
遠嶋の隣のカウンター席に俺が座り、はとちゃんはおずおずと俺の隣に座る。遠嶋の席のメニュー表を拝借する。
店内は落ち着いた配色で、床はチェスボードみたいに白と黒のタイルを敷き詰めてある。絨毯みたいな柔らかい素材で、足に優しい。
それなりに年季の入った店なのか、カウンターの表面は部分的に擦れて木の色が褪せている。
小ぶりで軽そうな店用のダーツが、小洒落たグラスの中に入れられている。
「ソフトドリンクはここの欄だね。どれにする? ……あー、チーズの盛り合わせあるんだ。それと……俺はジンジャーエールにしようかな」
「一杯くらい引っ掛けた方が、狭川くん調子いいのに。勝負させてよ。俺持ちで1クレジット出すよー」
任真さんがマイダーツを見せて微笑む。俺も自分の分を用意して、ダーツ盤の前に立った。
「501のセパブル、ダブルアウト。先攻は狭川くん。おっけー?」
ダーツの機械に、これまで投げてきた記録の蓄積されたカードを入れる。
「腕なまってるし恋人の前なんで、接待して下さいね」
「あはは、俺も愛する妻の手前、負けられないよー」
任真さんはニコニコしてウインクすると、パイセンはカウンターから身を乗り出して投げキッスで応えた。
はとちゃんはそれにびっくりして身を屈め、ちょっと不安そうに俺を見た。
先攻の俺。
投げた3本は20のダブル、5のシングル、インブルで40+5+50=95。
後攻、任真さん。
アウトブル2回、インブル1回で25+25+50=100。
点数的には近いが、やはりプロ資格持ちは安定して真ん中に寄せてくる。
「あの、501っていうのは減らしていく総数で、ぴたっと削り切ったら勝ちなのは分かったんですけど、セパブルとかっていうのは」
たすくんが観戦しながらパイセンに質問する。
「セパレートブル。真ん中の赤い円のブルをさらにど真ん中とその周囲にセパレートして点数分けます、ってこと。ど真ん中が50点、周囲が25点ね。ダブルアウトは、例えば最後に18点残ったとして、18のシングルに当ててはいけない。9のダブル、6のトリプル、狭い所に当ててキメる必要があるルール」
「難しくしてるんですか……」
「その方が燃えるからね。はい彼女さん、オレンジジュースお待ち」
はとちゃんはダーツ盤の上のモニターに表示される数字を見つめ、口を開けて見ていた。俺と目が合うと、握りこぶしを揺らしてがんばってと呟いた。
ゲームは進み、任真さんはあと56点。俺は177点。
次で決められる可能性がある。焦って投げて20のトリプル狙いを外し、あと116点。
任真さん。アウトブル、18シングル、残り13点。ダブルアウトだと奇数で終了出来ないので、アレンジで1のシングルに当て、あと12点。
「手加減して下さいよ」
「家でやってたでしょ。全然、イケてる」
「はとちゃんに教えたりしたことありますけど、猫飼い始めたから危なくて最近やってないですよ。いくらソフトダーツとはいえ、尖った矢ですから」
俺のターン。
インブル、20のシングル。あと46。
これでインブルに当てると点数超過でバースト、また116から削りなおしだ。
20のダブル狙いで放った矢は、まさかのトリプルに入り、バースト。
モニターの中でぱりん、とバーストを知らせる映像と音声が流れる。
任真さんは爆笑している。パイセンも手を叩いて笑っている。たすくんとはとちゃんは残念そうな顔をしている。
「あはは、ナイスインにならない残念トリプルだったねー」
そう言いながらスッと6のダブルに決め、ゲーム終了。遊ばれてしまった。
「やっぱ強い人にはそう簡単に勝てなかったよ、はとちゃん」
「おもしろかったよ。ダーツすると、音がして、テレビが色々うごくの、よかった。かっこよかった」
はとちゃんははしゃいでいる。
「自動で点数計算してくれるし、はとちゃんはお家よりこういうのの方が向いてるかもね」
チーズを貪り食べる。悪くない。
「……狭川。そろそろ彼女さんの事を紹介してくれ。さっき聞いてみたが、照れて名前も言わないし……その……」
ああ、分かってるな先輩は。
「……他言無用でお願いできますか。他に客はいな……た、たすくんはいるけど、全員、身内だと思ってますから」
伝える内容はあらかじめ決めていた。
俺が痴漢した事は秘匿。
電車の中で偶然介抱したこと。
当時はスカートを履いた女装で、勘違いから始まったこと。
はとちゃんが複数障害を抱えていること。
はとちゃんの家族の話や犯罪歴は内緒。
これだけマイルドにしてもなお、人によっては受け入れ難いだろうと思って、会社内では表沙汰にしたくないことも添えた。
はとちゃんのことだから、何度もはとちゃんの顔色を伺って、優しい言葉で話した。
はとちゃんの手は震えていた。
薬指をカウンターの下で、何度も撫でた。
「……凄い所行ったね。それこそ端の端、20のトリプルに刺さったみたいだ」
先輩はダーツを投げるフォームではとちゃんを指差す。それはど真ん中の50点より高得点ってことなのか。誰もが狙うど真ん中じゃなく、狙いにくい小さな箇所だってことか。
「波止崖……くん? ちゃん? いやー、美人は性別越えちゃうんだねー」
任真さんは店用のダーツを器用にペン回しみたいにくるくる回している。相変わらず物事を深く考え過ぎない、陽気な人だ。
一方、たすくんは押し黙り、はとちゃんのことを奇異の目で見つめていた。
まあうん、そうだよな。たかだか20数年生きて、同性愛者とも、障害者ともちゃんと交流した人は少ないよな。2つが重なれば尚更、わけわかんないよな。
はとちゃんはおどおどとして遠嶋のことを見つめて、ちょっと悲しそうに笑った。
はとちゃんの方が年上には、どう頑張っても見えない。
「……ずっと彼女さんだって思ってたから、なんか……気持ちの整理がつかなくて……。狭川さん、ゲイだったんですね」
「ん、俺? 俺がイメージと違ってて落胆させた感じか? いやー、すまん。俺ははとちゃん一筋だから、間違ってもたすくんの事をそういう目で見たりしない。大丈夫だ、安心……出来ないか。うん……ごめんな」
「謝らないで下さい。ゲイなのは、悪い事でもなんでもないですから。
だって俺も……そう、だから……」
嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な顔で赤面して、すぐに遠嶋の目は潤んだ。瞳に力があるから、迫力があると思った。
『あまるていあ』の柴さんといい、妙に最近そういう気質の人に出くわすような。
「へえ。たすくんそっち系の人なんだ。今この空間、3:2でノンケがマイノリティじゃん。胸が熱い……!」
「なんで盛り上がってるんすかパイセン。……えっと、そうだったのか。言ってくれてありがとな。仲間だな。他の人には内緒にした方がいいのか?」
「は、はい。初めて……打ち明けられたんです。家族にも友達にも、言えなかったのに……。波止崖さんの話聞いたら、なんか、自分のことも話したくなってきて……。あ、えっと、ちゃんと狭川さんの事も、そういう目で見ないように、頑張りますから」
……それはそういう目で見てたっていうカミングアウトになるような気がするんだが、まあいいや。
都合がいい。
お互い秘密を握った関係に持ち込めた。遠嶋を信用してない訳ではないが、こういう結び付きは相互監視になって便利だ。
はとちゃんは、握手を交わす俺とたすくんを交互に見て、困ったように眉を下げた。
「じゃあその3人チームとうちら2人のチームでダーツしよう。チーム戦。パーティゲームだから、初心者2人に優しいのにするよ」
パイセンは、にかっと屈託なく笑った。
この場には、俺たちやたすくんを咎めるような敵はどこにもいない。その安心感で肩の力がふわっと抜けたような気がした。
普通はど真ん中の赤いスポットだけが50点だが、範囲を広げられる。
ダブルの輪までの凄く広い範囲が赤く表示され、点数を稼ぎ易くなった。
カウントアップの、単純に点数を足し算していくルール。チーム内で順番に交代で投げる。
制限として任真さんは20のトリプル狙い、つまりは広がったブルに投げ込まない事にした。
先攻は夫婦チーム。
パイセンは相変わらず弓なりの投げ方で、いまいちまとまらない。それでもブルが広いので一回は50点が取れる。
後攻、俺たち。
たすくんは任真さんに仕込まれたらしいフォームを律儀に守ろうとして、一本スカした。流石に一朝一夕に出来るもんでもないが、ブルに入ったら喜び、俺とはとちゃんとハイタッチをした。
はとちゃんの番が来たら、俺が以前教えたフォームは何処へやら、槍を投げるかのように手元を見ないで投げ込み、まさかの3本ともブルに入れた。
きゃっきゃとジャンプしながらハイタッチをして、モニターのハイスコア用の豪華なエフェクトに喜んだ。
お互い妙に遠慮しているようなはとちゃんと遠嶋だったが、ダーツのおかげでなんとなく仲良くなったみたいだった。
ゲームは初心者2人が時々スカす分を見事に巻き上げられ、逆転で夫婦チームが制した。
「楽しかったし……俺たちのこと、分かって貰えて……本当に良かった」
帰り道、しっかりと手をつないで夜道を歩く。はとちゃんはちょっと疲れたのか弱々しい握力になっている。
「……ねえねえ、あの太ったてんいんさん、しあわせ太りって言ってた。しあわせだと、太るの?」
「えっ? ああ、そう言われてるね」
「じゃあ、ぼく、しゅうとさんといっしょにいたら、太れるねえ。けんこうになるねえ」
はとちゃんはふふ、と夜の闇の中でほくそ笑んだ。
ああ、俺と一緒に居て、幸せなんだ。
なんだか胸がきゅんとした。
「はあ、はとちゃん……結婚しよ……」
「あはは、また? いいよお、しゅうとさんもしあわせ太りさせちゃうからね」
「太るどころか、夜に朝に激しく運動し過ぎて痩せるんじゃないかな」
「うんどう?」
「うん、お布団の中で」
意味を理解して、はとちゃんはデレデレしながら顔の下半分を手で覆った。まんざらでもなさそう。可愛い人だなあ。
体重を増やす手段は思いつかないけど、心と身体が充足した暮らしをしていたら、きっと自分史上過去最高を更新出来る。
そんな楽観で、胸が弾んだ。
味方だって出来たんだ、どうにかなるさ。
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