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DED内で生じた歪とは何か…という疑問は残った物の、これからすべき事の見通しはたった。
互いを知ることで、誤解や懐疑心による裏切りなど、人であるが為に生じてしまうリスクの確率を少しでも下げることも出来た筈だ。
井端甫は、何もすることの出来ない自分の無力さに嘆く事はせず、それでも何か出来ることはないかと必死で考えた。
過去を知るという事は、井端甫が始めに必要だと感じた事だった。向田篤志の事を何も知らないでいたが為に、すれ違い続けた数年間の経験から、今を生きる為にも過去を知ることは大切な事なのだと思い至った。
向田篤志にそのことを相談した時は、初めはとても反対された。過去を知られたくない人間だっているのだと。過去を振り返るのではなく、前を見て、今を生きろと。
しかし、井端甫は引かなかった。わかり合う為には必要な事なのだと。過去は過ぎた事だから振り返るなというのは、しっかりと過去とは決別し、今を生きている者に対する言葉なのだと。
九十九昴や藤城悠達、『SUBARU』の面々は皆、過去と生きている。過ぎた事だと、決別などしていない。今をまさに、過去の為に生きている。彼らにとって、過去は大切なピースなのだ。
過去こそが、彼らの歯車を歯車とし得る楔。歯車の中心にて、歯車の回転の要となる物。それを失った時、彼らの歯車は回ることも止まる事もせず、ただ音を立てて崩れるのみ。
例えば、歯車が回らない歯車ではいけない。歯車と中心が別の物である必要がある。回れるだけの、そして揺らがないだけの空間が必要だ。
彼らは言わば、歯車の歯の部分。お互いに関わり合い、その人生を交差させる事で歯車を回転させている。そして、その中心にあるのは常に過去なのだ。
井端甫や向田篤志も然り。井端甫、向田篤志の人生が彼らの人生の歯車と交差したことにより、動き出した歯車がある。
つまり、井端甫と向田篤志の歯車の中心も過去であると言う事だ。『SUBARU』に集まる人々は必ず、歯車を持っている。互いに相性のあった、歯車同士でないと交差し回転することは出来ない。
『SUBARU』という時を刻む時計の中で、一つの針を前へと進ませる為に、幾つもの歯車が動く。過去を中心に動き出す。歯車を止めない為にも中心の楔を知ることが大切なのだ。
「甫…。すまない……。」
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