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出会い
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時が経つにつれて、ミシェルの噂をきいて、遠方からも客が来るようになった。
酒場の主人は以前にもまして忙しく、ミシェルの生活はいくぶん豪勢になった。
チップだけではなく、花束や、チョコレート、オーデコロンの小瓶などが贈られるようになった。
あるときは織物商の奥さんが、彼の背丈に合わせた鉤針編みのセーターを作ってくれた。
ミシェルは窓辺のテーブルに置いた木桶で、上等の香りつき石鹸を入れた風呂に漬かった。
アルマンはその後ろで袖をまくりあげ、石鹸を泡立ててミシェルの背を洗った。
骨ばった手が、石鹸のぬめりをかりて肌を這い、やがて前に回りこんでくる。
ミシェルは首をめぐらせ、彼に投げキスをおくった。
ひざをゆるめて、節くれ立った指が何本も脚の間に割り込むのを許す。
目をとじて桶のふちに背をもたせかけ、ゆるやかな刺激にひたった。
アルマンと秘密の遊戯をするようになってから、数ヶ月が過ぎていた。
自分の身体が性的に機能すると知ったときの喜びと誇らしさは、もうすっかり薄れていた。
たしかにそのことは、ミシェルに自信を与えはした。
だが考えてみれば、たとえ肉体が男としての機能を完璧にはたすとしても、しょせんは猫ほどの大きさしかない彼である。まともな恋愛など望むべくもない。
まして将来人並みに妻子を持つことなど、叶うはずもないと思った。
ミシェルはある部分では、人生をあきらめていた。
快楽は知ったが、その先は閉ざされている。
そのことがミシェルの精神に、無責任と、ある種のだらしなさをしのびこませた。
恋だの愛だのがどうしたっていうんだ、とミシェルは思う。
そんなのはぼくの知ったことじゃない。
女なんて一生知らなくてもかまわない。
どうせ男も女も、ぼくから見たらばかでかいだけのケダモノなんだから。
伴侶なんていらない。どうでもいいさ。
でも快楽だけはぼくのもの。
アルマンの愛撫を受けながら、ミシェルはひっそりと、小さな笑みを口元にうかべる。
少なくともひとつだけは、ぼくにもみんなと同じことができる。
きっと誰にもわからないだろう、このぼくに情人がいるなんて。
それも、こんなに献身的に奉仕されているなんて……。
「ミシェル、ここ、気持ちいい?」
気をつけてそっと手を動かしながらアルマンがきく。
目を閉じたまま、ミシェルはけだるく微笑む。
「うん。ずいぶんうまくなったね」
単純なアルマンは、たちまち声を弾ませる。
「おれ、おれうまい?」
「すてきだよ、アルマン。ぼくがお嫁さんになりたいくらいだよ」
「えへへへへ」
嬉しそうに、アルマンは笑う。
ミシェルは腰をゆすった。
秘所をおおう手のひらに自分自身をこすりつけるようにして、アルマンの緩慢な動きを補う。
アルマンはどうかすると力を入れすぎて、小さいぶん敏感にできているミシェルを痛い目にあわせることがあった。
だから彼がそこに触れる時には、やりすぎるくらいなら不足の方がまだまし、と叩き込んだのだ。
「あぁ…っ、ん……」
ミシェルはアルマンの手首を抱きしめるようにつかんで、すばやく官能のうねりにのり、軽やかに頂上へと駆け上がる。
アルマンは教えられたとおりすぐに手を動かすのをやめて、ぐったりと手首にもたれかかるミシェルを支えた。
やがてミシェルは風呂桶から出て服を着ると、いつものようにアルマンに連れられて店に下りるのだった。
店の中央にしつらえられた、金と海老茶色の縞織りの布をかけたテーブルが、ミシェルの舞台だった。
そこはいつも、梁から長い鎖で吊り下げられた、専用のランプで照らされている。
白い、エナメルのはげかかったおもちゃのグランドピアノと、太い針金の台に固定した木琴が置いていある。
客から贈られた花束が飾られることもあった。
そんなとき舞台には、燃える夕映えのような紅色の硝子の花瓶がそびえ建つ。
花束は不思議な木のごとくミシェルの頭上に生い茂り、ピアノの上に花びらを散らすのだった。
バラードを弾いていたミシェルは、新たな客が店に入ってきた気配でちらりと目をあげた。
それは三人連れの若者だった。彼らは豪華な長い上着の裾をなびかせるようにして乗り込んでくると、壁際のテーブル席に陣取った。
中央に座っている美貌の若者がとりわけ目を引いた。
優雅なことこの上なく、尊大な物腰はまるで王族でもあるかのようだ。
彼は店の主人に命じてワインを持ってこさせると、椅子の背にもたれてグラスをくゆらせた。連れの二人の青年たちが話しかける言葉に、なおざりに頷いている。
ミシェルは演奏している間中、その若者の眼差しが自分に注がれているのを感じた。
習慣でそつなく演目をこなしたが、いつになく緊張し、肌がちくちくした。
ミシェルは人に見られることには慣れている。
しかし若者の視線は、ふだん他の客から向けられるものとはまったく違っていた。
彼は驚嘆の声ひとつたてず、にこりともしなかった。
まったくの無表情のまま、冷たく値踏みするような目つきでミシェルの一挙一動を観察している。
そうこうするうち、若者が主人を呼びつけて「あの人形はどういう機械仕掛けなのか」と尋ねているのが聞こえた。
主人のくぐもった返事は聞きとれなかったが、自分のことを言われているのはわかっている。
二階の部屋で休憩をとる時刻になった。
ミシェルは小鉢に入れたスープと、パンのかけらで軽食をとった。
そこへ女給がやってきて、主人が呼んでいると言った。
アルマンの肩にのって階下へおりるとすぐに、例の三人の若者たちのテーブルへ連れて行かれた。
かたわらには、店の主人がかしこまった様子で立っている。
ミシェルは一同を見わたした。
右端にいる、やさしげな顔の赤毛の若者が、にっこりと微笑んだ。
左端の色黒の男はぐるりと目玉を回して、いたずらっぽく片頬で笑いかけてきた。
二人ともそれなりに美男だった。
しかし中央に座っている若者の並外れた存在感のせいで、この二人はとるに足らぬ従者のごとく背景と同化していた。
アルマンの肩からテーブルへと滑り降りたミシェルは、中央の男に間近で見つめられて身がすくむのを感じた。
その顔は雪原を照らす月のように白々と冴えわたり、藍色の瞳は火傷しそうなほど冷たい。
髪の色はひどく淡かった。ランプの明かりのためにやわらかな金色を帯びているが、影の部分は不気味な灰白色に見えた。
「おまえの名は?」
男がだしぬけに口をひらいた。
その声は、男の顔や身体つきから推測されるよりも一段低く、深く、どこか暗い響きがあった。
「ミシェルと申します。どうぞお見知りおきを、旦那さま」
愛想よく言って、舞台役者のようにおじぎをする。
自分よりはるかに大きな人間たちを相手にするには、仕草や動きはつねに大げさに、芝居がかったくらいにしなければ目立たないからだ。
「ミシェルか」
とくに何の感慨もなく、相手は繰り返した。
「いつからここで演奏している?」
「ずっとです」
「ずっと、とは?」
若者の、一方の眉がはねあがった。それが軽蔑のしるしのように思えて、ミシェルはひるんだ。
「……五年か六年の間、ずっと」
「なるほど。この店がおまえの人生の大半というわけか」
詩の一節でも吟ずるように、彼は言う。
「では、誰がおまえに歌やピアノを教えた?」
「先生です」
ミシェルが言葉少なに答えると、店の主人が誇らしげに口をはさんだ。
「せがれは二歳のときから家庭教師について習っております」
男はふとかがみこんだ。そして、足元の荷物の中から皮袋を取り出すと、紐をほどいてテーブルの上に置いた。
中にぎっしりと金貨が詰まっているのが、ミシェルの位置からも見えた。
「彼を売ってくれ」
主人は、突然大金を見せつけられた興奮と、怒りとで鼻息を荒くした。
「せがれは売り物じゃございません」
「では何なのだ。売り物ではなく見世物か」
若者がまばたきもせずにまぜ返す。
左側にいる男がふき出した。
赤毛の方は、わがままな子供を愛しげに見つめる親のように微笑んでいる。
酒場の主人は、黒い前掛けの両脇で、赤らんだ、ごつごつとした手をかたく握りしめた。
「ミシェルはわしらの家族です。こいつがまだウイスキー瓶ほどの大きさもなかった頃から、とにかく精のつくもん食わせて世話して、やっとここまで育ったんでございます。まだまだ背丈は一人前とはまいりませんが、なに、これでも立派なせがれです。あかの他人に金で譲り渡すなんぞ、とんでもねえことです」
若い男は背を真っ直ぐにして座りなおすと、両手をテーブルに置いた。
その手のまれに見る美しさが、ミシェルの眼を引いた。
彼の指は、ミシェルの肘から手首までの距離とほとんど同じくらいの長さがあるように見えた。
「しかし、このままでは彼はどうなる?」
見知らぬ男は言う。
「一生場末の酒場のピアノ弾きで終わるのか? 彼が世の中を知った上でそれを選択したというなら、それもよかろう。しかし、いまの彼が演奏の何たるかすら理解していないのは明らかだ。君が雇った音楽教師というのも、どうせろくなものではないのだろう。彼をこんなところに閉じ込めておくべきではない。広い世の中を見せ、外の空気を吸わせてやりたまえよ。そしてなにより本物の、生きた音楽に触れさせるべきだ」
「せがれは他の子どもらとは違うんです。こんなに小さいもんで、うっかり外を歩かせちゃあ何があるかわかりゃしません。カラスに襲われて目ん玉くりぬかれるかもわからねえ」
右端に座った赤毛の若者は主人の言葉に同情をこめて頷いている。
だが黒髪の方は「カラス」ときいてまたもやふき出し、テーブルにつっぷすようにして笑いだした。
「ミシェルはわしらの家族です」
主人はかたくなに繰り返す。
「ずっとここで守っていくつもりです」
「家族か」
よそ者の男は、あたかも汚らわしい言葉でも口にするように言った。
「優れた芸術や志のためには、時にはなんらかの帰属組織を切り捨てる覚悟も必要だ。たとえばわたしは、ある高名なピアニストに師事するため、五歳で親元を離れた」
「そりゃあ、ご苦労はお察しします。だけども、うちのせがれが同じようにせにゃならんわけじゃありませんです」
「それはもっともだ。では、一日だけでいい」
「はあ?」
「彼を手放すのが不安なら、一日だけ貸してくれというのだよ。わたしはこの通りの先の〈銀の山羊〉亭という宿に泊まっている。彼をそこへよこしてくれたまえ」
「いいや、一日でもだめです。あいにくせがれは出張演奏はいたしませんのです」
主人はそう言うと、素早くミシェルを抱き上げ、背後をうろついていたアルマンに押し付けた。主人が睨むようにして行けと合図したので、アルマンはあわててミシェルを連れて二階へ上がった。
休憩の後、再び店に下りてくると、もうあの若者たちはいなかった。
ミシェルはほっとしてピアノの前に座った。
だが、いつになくうわの空だった。
レガート部分はのろく、トリルは飛ばしすぎ、小節はところどころ抜け落ちた。
ミシェルがこれほど気を散らし、いつになくまずく弾いているにもかかわらず、誰もそのことに気付かない。
誰も気付かないのだというそのことを、ミシェルは今始めて意識した。
何度か常連客が寄ってきて、曲をリクエストした。
彼らは興がのってくると一緒に歌う。
水晶の呼子のようなミシェルの歌声は客の力強いバリトンにかき消された。
おかしなことにミシェルは、これまで自分の音楽にたいして、どんな評価も下されたことがなかった。
誰も上手いとか、下手とか言わなかった。
人々が漏らす感想といえば「へえ、こりゃたいしたもんだ」「なんて偉いんでしょう」といったものだけである。
なぜなら人が最初に注目するのはいつもミシェルの並外れた小さであり、それがすべてだからだ。
しかし、あの男だけは本当の意味でミシェルの演奏を聴いていたのではないか。
これまで自分の技量を疑ったことのないミシェルの心に、はじめて不安がしのびこんだ。
ミシェルは周囲に人がいなくなった隙をみはからってアルマンを呼び、疲れたといって早々に部屋に戻った。
そして、寝床にしている古いトランクの中にもぐりこんだ。
トランクのふたにはつっかえ棒をして固定してあり、レースのハンカチをとりつけてカーテン代わりにしてある。
トランクの底には折りたたんだキルトを敷き詰め、その上に客の猟師がくれた黒兎の毛皮が重ねてあった。
ミシェルは脱いだ服を、トランクの外側にとりつけたフックにつるすと、毛皮の上に身を横たえた。
やわらかな仔兎の毛に頬をうずめて、彼はいつしか眠り込んでいた。
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