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舞台から降りた日
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中学で演劇部に入り、高校でも客演のような形で部活に参加させてもらっていた俺は進路を決める時に悩んだ挙句、教員を目指すという保険をかけながら同時にサークルで舞台に立つことを選んだ。時々外部のオーディションを受け劇団で役を貰うこともあり、充実した学生生活を送っていた。
しかし大学2年の夏を最後に、俺は舞台を降りた。原因は役にのめり込み過ぎて私生活に影響があったこと。
サークルの人間は誰も俺の異変に気が付かなかった。そこまで私生活を晒していなかったから当然なのだが。
脚本は演出オリジナルの作品だった。男女の恋愛を軸に自由奔放な彼女に振り回され次第に恋心に狂気を孕んでいく、そんな主人公を俺が演じることになった。
歪んでるなぁと先輩である演出に笑いかけると、「こんなものはそこら辺に転がっている。僕だって君達だってこうなってしまう可能性は幾らでも持っているのさ」なんて返ってきた。何かを見透かされているようで、少しだけ先輩を怖いと思ってしまった。
稽古を始めてからひと月。本番へ近づけば近づくほど現実と舞台の境目が分からなくなっていった。この時点で役者失格な気はするが、それに気が付かない仲間は俺の演技を褒めるだけ。
壁にある公演宣伝のポスターが歪んで見え、きつく目を閉じてまた開いた。俺は俺でオレではなくて、俺は、何だったかな……。
「おい優夜、気を付けろよ。帰ったらすぐに寝ろ」
「あは、何がですか?大丈夫ですよ〜、お疲れ様でーす」
呼ばれた名前のお陰で現実に引き戻される。先輩の言わんとしていることを理解しながらも俺はただ笑うことしか出来なかった。
夜遅くまでの稽古を終えて帰宅した俺は真っ直ぐ寝室へ向かった。静かに眠る恋人の頬には昨日の打撲跡が、腕には数日前の切り傷が瘡蓋になって残っている。
このひと月で手酷く笑を抱いてしまうことが増えた。酷く抱くこと自体はいつもの事だ。問題は笑が悦ぶようなプレイではなく、感情に任せたまま傷つけてしまうこと。
「えみ…………」
今日こそは優しくしたくて触れるだけのキスをしてみる。軽く身動ぎをする恋人を抱き締めると、普段使いのシャンプーやボディソープに混じって別の香りがした。冷静に考えれば入浴剤や保湿クリーム、その辺りで考えが落ち着くものだが脳内には全く別の可能性が浮かんでいた。
昨日の痣に重ねるように拳をぶつけると笑の体が驚いたように跳ね、起き上がった。
「っ…………なに……」
「……誰と寝たの」
痛む頬を手で押さえながらこちらを見る笑の顔は「何のことかさっぱり分からない」と訴えていた。
「誰の匂いだよ。また知らない男に簡単に股開いたの?ほんっと懲りないねぇ……」
「どこも行ってない……」
笑の話も耳に入らず、否定の言葉すらも俺に対する反抗に思えて今度は鳩尾を殴った。
可愛らしい顔も、華奢で柔らかな身体も全部俺のものなのに。どうして他の男に触れさせるのか。
「いたい、やめて」と繰り返す声を煩わしく感じ、首元を掴み血の巡りを止めるように絞めていく。
「ねぇ笑、笑は俺のこと愛してなんかいないでしょ、っ……」
反応は無かった。俺の手を弱々しく掴んでいた笑の手が、だらんとベッドに落ちる。そこでやっと俺は冷静さを取り戻した。
「えみ…………?」
手を離し呼びかけてみるがやはり返事は無い。いつもなら力加減も時間も計算しているのに、この日だけはどれだけの力で何秒、何分絞めていたのか分からなかった。
幸いにも数分後に笑は目覚めた。怒りもしない笑を、抱き締めては情けなく泣きじゃくる。悪いことをしたのは俺なのに何の罰も無いことが辛くて、また笑の胸で泣いた。
舞台は大盛況で、時々参加していた劇団からは本格的に一緒に活動しないかという誘いも受けたが断った。笑には才能もなく向いていなかったのだと言い張り役者を辞めた。笑は納得していないようだったが。
その後残りのサークル生活は裏方へ徹し、そのまま教職へ就くことにした。ひとつだけ後悔があるとすれば、笑と共演するという夢が叶わなかったこと。だけどそんな資格は俺にはもう無い。諦めることが俺のためにも笑のためにも必要だった。
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