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迷子
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「気持ちいい…」
彼は大人しく湯槽に浸かっている。
時折こちらをちらちらと見て、何か言いたそうな顔をするので、そのたびに私は優しく微笑み返す。そんなやり取りを、もう何回繰り返しただろうか。
とっくにオープン時間など過ぎていた。
「お湯加減も丁度いいようで…よかったです」
「うん…」
浴槽の淵に顎をのせ小首をかしげながら、蜻蛉玉のような瞳が私を捕らえる。
「おじさんは…なんて名前なの…?」
「おや、まだ名乗っていませんでしたね…。私は篠宮修といいます」
「おさむ」
「はい」
ふっくらとして形のいい唇が私の名前を型どってゆっくりと、まるでスローモーションのように歪む。
どきり、と、胸が跳ねた。
もういつぶりなのかすら解らない懐かしい感覚に戸惑いつつ、私は誤魔化すようにずり落ちていた袖を捲る。
「まだ浸かっていてくださいね、私は君が着られそうな服を探してきます…」
そそくさと立ち上がって背中を向けると、浴室に水面が揺れる音が響く。
「どうしましたか…?…うわっ、」
私が振り向くのとほぼ同時に、彼の生白く細い腕が腰に巻き付いた。
シャツが濡れて肌に張り付く。冷たい。
「行かないで、…置いていかないで…」
「ん…?」
彼は私の腹部に顔を埋めてぼそぼそと何かを言ったようたったが、よく聞こえない。
聞き返すために少し上半身を折り曲げ顔を近づけると、彼の腕の力が強まった。
「おさむも僕のことを捨てるの…?」
顔をあげ、今にも泣きそうな表情で見つめられ、喉がひきつる。
鼻先が触れ合いそうな距離だ。
私は下げていた上半身を慌てて持ち上げた。意識と反抗した背骨がぎぎぎと軋む。
「そ、そんなこと…しませんよ…」
「本当に…?」
「ええ…」
「本当に本当に本当…?」
「はい…」
「そっか…」
安心したのか、食い込むほど強く巻かれていた腕が弛んだ。
何故だろうか。
形容しがたい感情が、胸の奥に巣食っていく気がした。
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