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3つの孤独
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その日も僕は小さな洋菓子を2つ手に、愛する人の元へ向かった。 そこは随分と殺風景で、本当に人が生活なんてしているのだろうか、と見まごうくらいだった。
あるものと言えば、簡易なコーヒーメーカー、飾り気のない小さな花瓶、そして小さなテレビくらいだった。リモコンにはうっすらと埃が被っており、もう長い間使われていない事が見て取れた。
しかし、間違いなくこの場所で、一人の男が暮らしているのだった。
ベッドの淵に座って本に熱心に目を落とす彼は、僕が入ってきた事に気づく気配がなかった。
「和生(かずき)さん。」
苦笑しながら愛する人の名前を呼ぶと、彼は顔を上げて微かに笑みをたたえた。僕は彼に出会ったその瞬間から、この笑顔に首ったけなのだ。
「尚哉(なおや)。」
それが僕の名前だ。
「すまん、気づかなかったよ。」
「いえ、いつもの事ですから。これ。」
僕は右手に持っていた手土産を彼に差し出す。中身は、彼が長い間贔屓にしている洋菓子屋の甘い苺タルトだ。だが僕は彼の完璧な甘い笑顔が、翳りを帯びたのを見逃さなかった。
「ありがとう。でも、いつも言っているけれど、そんなに気を遣わなくていいんだ。尚哉は食べられないのだろう?」
そうだ。僕は、実のところ甘い物が大の苦手で、2つ買ってくるタルトを一度も食べた事がない。でも、いいのだ。
「僕がそうしたいので。ほら、1つだけ注文するというのも、なんだか気が引けるでしょう?それに、」
僕の言葉を遮るように、彼は首を傾げて優しい笑みを浮かべた。心底愛しい、といった眼差し。トクン、と胸が高鳴る。
窓から柔らかい光が差し込んで、彼の柔らかなミディアムの黒髪と、ベッドのシーツを朱に染めた。彼が眩しさに目を細める。
僕は、ゆっくりと口を開いた。その声は自分が思った以上に弱々しいものだった。
「なんだかあの日を思い出しますね。」
そうだ。僕達の人生を一変させた、あの運命の日もこうだった。
僕の記憶はこうだ。さっそうと走る2台のバイク。唸るエンジン音。顔に受ける風が冷んやりとして気持ちがいい、曇り空が些か残念だったが。
そんな僕の気持ちを察するかの様に、何かがギラリと光った。思わず目を背けた。雲と雲の間から急に顔を覗かせた太陽に、僕等は目を眩ませたのだ。
次の瞬間体に走った衝撃。目を開けた時には、真っ白な部屋に横たわっていたのだった。そう、ちょうどこの部屋の様な。
彼はしばらくベッドに目を落として沈黙を貫いていたが、ようやく口を開いた。
「忘れられないな。」
「ええ。覚えています。」
「昨日の事の様にな。」
「和生さんは、今でも、」
「あぁ、愛してる。」
それは機から聞けば幸せな恋人同士の会話。
「...よかった。」
だが僕は嘘をついた。見え透いた嘘を。
「...俊哉。」
僕の想いが成就する事は、ないのですね。そしてあなたも。
弟の恋人は、ベッドに目を落として愛おしそうに名前を呼ぶ。あの運命の日から一度も目を覚まさない、僕と瓜二つの顔を持つその名前を。
「俊哉。」
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