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へし折った飴細工 ep.2
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それからは暫くの間、だんまりの時間が続いた。ヒユウは、姫谷の鼻歌を聞き流しながら、過ぎる風景をぼんやりと見ていた。次第に木々が増えてきたな、と少し前に思ってからは、何も興味がわかない。それよりも考えるべきは今の状況であろう。
急に現れたウサギを被った早老、車に乗せられ、彼の息子になることへ提案、姫谷と春日という恋人と思しき2人の男性の登場……自分は社会からはぐれた人間。
なら、今の自分はどこにいるのだろう。フラフラと彷徨う幽霊か。さもありなん、とヒユウは車窓をぐっと睨んだ。あまりにも突飛なことが続いたせいで、自分はすっかりこの世から消えてしまった、 別の世界の住人に相成り果てた存在かと思われたのである。
そう自覚した瞬間に、まるで靄に包まれたような感覚に陥り、過去の自分に不信感……まるで今まで何をして過ごしてきたのか忘れてしまいそうになったのである。完全に自己を見失わなかったのは、何という因果か、ヒユウの親が彼を引き止めたからであった。
昔から親との折り合いは良くなかった。
共働きであった彼らは、朝になると忙しなく家を空けて夜遅くに帰って来ては、それぞれさっさと布団に潜った。朝ごはんも晩ごはんも3人揃って、手を合わせた記憶がない。2人とも家庭を築くことに不向きだったのだろう。自分が自分を大切にして、自分が生きるということに全てを注いでいた。自宅はただの日用品が収まった箱にすぎなかったのである。彼らにとっては……の話であるが。
ヒユウは、幼い頃からそんな自宅に家庭を築くことに必死であった。テレビ番組で見た、模範的な家庭のようにあるよう努めた。母が帰ってくれば、小学校での出来事を目一杯楽しそうに話そうとして、父が帰ってくれば、好きな女の子の話をした。先に帰った父が夕飯にカップ麺を持ち出せば、「お母さんが帰るまで待っていようよ」と自分はコンビニ弁当を前に食卓でじっと座って待っていた。先に帰った母が、お惣菜を次々と電子レンジへぶち込めば、「僕はご飯をよそうね」としゃもじを片手に、台所を縦横した。
そんな息子を前に、親は素っ気なかった。父は「何だ、先に食べていなかったのか 」と怪訝な顔をして「母さんもいつ帰ってくるか分からないんだ。仕事で疲れたんだし、俺は先に食うよ 」と、お湯を沸かした。母は、「そんなの自分の分だけすればいいわよ。皆んな、それぞれ好きな量をよそえばいいのよ 」彼らの効率的で合理的な考えは、幼い少年の理想には適わなかった。温みをもった照明の下で、家族が囲む出来立ての料理。果たして、実際にそのような風景を拝めるのが、いかほど少ないかなんて想像すべくもなかった。自己の家庭という実情と理想のみだけしか知り得なかったのである。
その後、思春期を迎えたヒユウであるが、反抗すべき親も家庭にはおらず、淡々と身体だけが成長していった。愛を以って育まれる心という部分が、きっと彼には欠如していた。否、語弊があるだろう。心に育つはずの果実は、未熟なままでもうその存在が誰からも忘れ去られていたのだ。
別段、両親がヒユウを見放していたわけではない。食べるものには事欠かなかったし、勉強のための環境も補償してくれたものである。友人と遊んだり趣味に使うための小遣いも与えられていた。恵まれた、そう餓えに喘ぐ子供たちや暴力に苦しむ子どもたちに比べれば、かなり恵まれていたと言っていいだろう。それでも、心にぽっかりと空いた穴は埋めるべくも無く、その穴を除けば親に望んだ幼子の輝く夢が虚無感に埋もれていた。
閑話休題。ヒユウを霧の彷徨い人から現実の者へと留めたのは、そんな親に全人格の否定と家庭からの追放されたことがためである。
ひょんな事で愛を誓い合ったのは、男同士だった。ただそれだけの話を親にしたのである。
大学で知り合った少し根暗な同級生。専門科目で隣の席に座っただけの2人は、段々とその距離を詰めていった。筆舌に尽くしがたいほどに居心地が良く、互いの心は溶け合い馴染んでいく。そろそろりと歩みを進めた恋は、蕾を柔らかくして、もう花咲くのを待たんとするばかりであった。同性同士だという事を除けば、どこにでもある純粋な恋であった。それなのに、両親はそれを認めなかった。
姫谷が窓を開けた。途端に冬の寒さが厳しい風が、ヒユウを攻める。
ぞ、とした寒気は、その冬の風のせいだけではない。昨日の惨事が脳裏に濃く濃く蘇り、思わず自身を抱きしめた。
「寒いかね? 」
与惣が横目でヒユウを見やった。
「ええ、まあ、でも……」
もっと凍えさせるのは……
口の中で奥歯がガチガチと鈍い音が響く。
「姫谷、窓を閉めなさい。寒いだろう 」
「ええ、そうみたい 」
バックミラー越しに姫谷がヒユウを嘲った。そして、
「どうしてこう心が弱い人ばかりが集まるのかしらね 」
わざとらしい言い回しは、ヒユウの心に刃を向ける。
春日は少し眉をひそめて、言葉少なに姫谷を諌めた。それでも、彼は誰にも従う様子は見せようとはしない。
「ねぇ、春日。 暖房をつけてあげなさいよ。あんなに寒そうですから 」
あーおかしい。姫谷は必死で笑いを噛み殺した。
「この車の初乗りは、どうして皆んな死相を抱えているのでしょうね 」
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