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やみつきシャンプー ⑵
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✱
髪を乾かしながら、俺は感動していた。髪の質感が普段とまるで違う。今触れている髪が自分のものとは思えないほどに柔らかく、しなやかだ。これが美容室専売品の力なのか。さすが、高い(値段はまだ聞いていない)だけのことはある。
潤いの詰まった自分の髪は、触っていて心地いい。だが、どうせ触れるなら一弥の髪に触れている方が断然心地いい。だからこうして、俺の膝を枕がわりにしながら小説を読んでいる一弥の髪を撫でている。
これまでに、そんな体勢で読書なんかしていたら目が悪くなると何度か忠告したことはあった。しかし一弥はそんな俺の懸念を他所に、「知ってる」とだけ短く答えるのみで、一度たりとも体勢を改めることはしなかった。その頃既に彼の視力は0.3だったのだが、今もなお視力低下に拍車をかけていることだろう。
もちろん決して視力が落ちてほしいわけではない。だが俺にとって、膝枕できるこの時間は間違いなく至福のときで、なくてはならない時間だ。
俺は時折携帯を弄りながら、一弥の髪を弄んで楽しんでいた。
くるくると指先に巻き付けてみたり、かき撫でてみたり、ふわふわと揉みこんでみたり...。これから毎日あのシャンプーで髪を洗うのか。これは癖になるだろうな。
読書の邪魔になってしまうなと思い及んだ瞬間もあったのだが、止められなかった。膝の上で丸くなっている飼い猫の背を愛撫しているときの、永遠と撫でていたい、あの感覚。きっとそれに似ている。すごくいい。
「......集中できないんだけど」
ついにその一言を言われてしまった。しかし俺は一弥の指摘を無視して言い放った。
「知ってる」
少しの間のあと、掲げている本を若干ずらして目元だけ覗かせ、俺を見上げた。もちろん思い当たる節があるはずだ。何かもの言いたげな眼差しに優越感を覚えつつ、くい、と眉を持ち上げて微笑んでみせた。結局一弥は何も言わず、代わりに短いため息をつき、再び小説を読み始めた。
なんて卑怯な男なんだろう。
よくやった、俺。
それから数十分くらいずっとそうしていたのだが、一弥は何も言ってこなかったし、俺も自分のしたいようにその髪に触れていた。だがその心地よい時間は唐突に終わりを迎えたのだ。
ごと、という音がした。一弥が手にしていた小説が、手元から離れたのだ。
一弥の目線の先で広げられていた小説は、当然そのまま重力に従って真下にある一弥の顔面に落ちた。ごと、という音は、一弥の顔面に落ちて発生した音だった。
「え、ちょっと。何やってんの大丈夫?」
「っ.....てぇ......」
そりゃ痛いだろう。痛そうに呻く一弥を気の毒に思ったが、大丈夫かと声をかけた自分の声はちょっと震えていた。
一弥が自ら静かに本をどけると、痛みに歪めた顔が現れた。くつくつ、と笑いが込み上げてくるのを懸命に堪えながら、もう一度「大丈夫?」と聞いた。一弥は鼻先を押さえながら、うっすらと目を開け、何かもごもごと呟いた。聞き取れずもう一度言うように促す。そしてはっきりと聞こえた。
「.....寝てた」と。
とうとう堪えきれずに、ぷっと吹き出した。
一弥が鋭い目線を送ってきたのに気づいた俺は、慌てて謝罪した。
「っ....あ、いや、ふふっ...ごめん」
もちろん笑ってしまったことに対してのごめんだ。
「寝落ちしてたの?」
顔に落ちただけに、と口の中で付け加える。
「...あんたのせいだ」
「えええっ、なんで俺?」
驚かすような大声も出しちゃいないし、変に体勢を変えてもいない。うっかり寝落ちして手を滑らせたあなたの自身のせいでは?と反論する。
「頭、ずっと触ってるから...」
眠くなっちゃった、てか。
わからなくもない。美容院で美容師さんに髪を触られてると確かに眠たくなるから。
腑に落ちたのと同時に、愛おしいという感情があたたかく胸を満たしていくのがわかった。
寝落ちするくらい、髪を撫でられるのが気持ちよかったってことか。
「ああ、だとしたら確かに。うん。俺のせいだなあ」
ごめんな、と改めて詫びながら、一弥の髪を撫でた。
さらさら、ふわふわ、やっぱり心地いい。
相変わらず仏頂面ではあったが、嫌がりはしないあたり満更でもないのだろう。
「そんな睨むなって。お詫びに今夜は優しく添い寝させていただきます」
一弥は、ふい、と顔を逸らし、本の落ちたあたりの鼻先を指でかいた。逸らして見えた一弥の耳が、ほんのり赤くなっているのに気付いた。
うん、いい反応だ。
これなら甘えてくれそうだと、誘ってみる。
「じゃー、もうベッド行く?」
「.....ん」
素直に頷いた一弥の鼻先に、そっと唇を押し当てた。内心ガッツポーズを決めながら。
「ちゃんと栞はしたか?」
一弥はおもむろに小説を再び手に取り、そして動きを止めた。
栞はされていなかったのだ。寝落ちしてしまったし、どこまで読んだかわからなくなったのだろう、諦めた様子で小説を静かにテーブルに置いた。どんまい、かず。
「...てって」
「なに?」
「....連れてって」
不貞腐れながらそんな可愛いわがままを言う。きゅうん、と胸のあたりが心地よく狭くなった。
たまにしかお目にかかれない甘えたモードを逃さまいと、俺は快諾して一弥を横抱きして抱き上げた。成人男子だしそれなりに体重はあるものの、華奢な一弥の身体はなんなく抱き上げることができた。
なんだかんだ、もう眠たいのだろう。目がとろんとしている。
「落っこちんなよー、おひめさま」
「俺はひめじゃない」
「ああ、王子様か。失礼」
一弥は無言で俺の首に両腕を巻き付けてしっかりしがみつく。あのシャンプーのいい香りが、鼻腔をくすぐった。
優しくベッドに寝かせて、隣に横になる。差し出した腕枕に躊躇うことなく頭を預け、身を寄せてきた。
「...髪さわって」
なにこの子、かんわいいんですけど。甘えたモード全開じゃん。
「こう?」
そっと指先を髪に差し入れ、さっきまでしていたように撫でてやる。こくり。小さく頷いて、重たそうな瞼をゆっくりと開閉する。
「やみつきなっちゃうね」
俺の囁きにこれまた素直に頷いて、小さくあくびをする。
「いいシャンプー買ってくれてありがとうなぁ」
おかげで俺も、やみつきになってるよ。
わしゃ、わしゃ。
ゆっくりゆっくり撫でる。うとうとしていた一弥の目が、完全に閉ざされる。
「おやすみ、かず」
やがて静かな寝息を立て始めた。おだやかな寝顔を見つめながら、俺は髪を撫で続けた。
end.
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