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罅(ひび)3
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雪さんがいなくなってから多分、20分は経っただろう時間に、ようやく立ち上がって休憩所から出る。部屋に戻ろうとエレベーターのボタンを押した所で、エレベーターの真上の壁に設置されている大時計の針が6時半頃を指しているのを目に留める。
「染め直してる時間は、ない、かな。」
部屋に補充してあるのは染色剤で、カラースプレーは買い置いていないことを考えると買いに行くしかない。
開いたエレベーターに乗り込んで一階のボタンを押す。エレベーター独特の浮遊感を感じながら、電光掲示板の数字が6から5へと階を下がるごとに減っていくのをただ眺めていたら、4階でエレベーターが止まった。
エレベーターの中に入ってきた2人組の生徒の会話を聞き流そうとしていたら、妙な会話に耳を傾ける。
「てか、例の場所で〝教育〟するらしいよ。」
「は?マジで?風紀はアレだけど、あんまり派手にやると中立派に目をつけられるんじゃねぇの?」
「あー、まぁ。その辺はうまくやるだろ。てかさ、友達から回ってきた情報なんだけどさ帰ってきたらしいよ。」
「誰が?」
「ウグイスって、言ったら分かるだろ?」
「…………は、まじで?」
「おおまじ。つか、腹減ったー。早く行こうぜ。」
エレベーターが1階に着くと食堂のある方向へと向かう2人の生徒から視線を外して寮のエントランスを潜り抜けると、学園とは反対側のショッピングモールに足を向ける。
※
「迷った。」
傘なんて持っていなかったけれど、キャップにパーカーのフードも被っていたからきっと大丈夫だと思っていた。だけど、髪の先から滴が滴るほどにすっかりびしょ濡れになってしまったのを見て溜息をつく。
何か目印になるものでもないかと辺りを見回すけれど、何も見当たらない。
ただ、刺すように冷たい滴が頰を滑り落ちていく感覚が身体を凍りつかせる。
「今日も晴れない。」
5年前のあの日から、最期の日の夢を見たその日は、いつだって決まって雨だった。
「………晴れ男だって、」
「ヤバイって!!流石に…………っ!」
どうしようもない雨の日の記憶に引きずり込まれそうになっていたその時、数人の足音と話し声が聞こえてきて顔をあげると、近くにいた俺に気づくことなく
その足音や声の主と思われる数人の生徒達がどこかへと焦ったように走り去っていった。
ただ事ではなさそうなその様子に、数人の生徒がやってきたその方向に進んでみると一般的な公園の数十倍はあるだろう公園が見えてきた。
少し傾斜がある公園の入り口を通って、公園の中へと進んでいくとブランコに滑り台に砂場にジャングルジムと、高校生には似つかわしくない遊具が設置されていることを不思議に思いながら、その遊具の一つのブランコに近づいて鎖の部分を掴むとキィッと寂れた音が鳴った。
暫くの間、そうしていたらカサカサと自然発生するはずのない音に気づいて、辺りを見回してみるとブランコのすぐそばにビニール袋が捨てられていてその中には開封されているゴミが入っていた。
昨日は、雷が響くほどの大雨だったことを考えると、この水滴のあまりついていないビニール袋はきっと、さっきの生徒達が捨てていったものなのは明白だった。
「黒いブレスレッドは、あの人の親衛隊(ファン)だから。」
頭を回さなければ。もう、震えは止まった。
きっと、違うから。ここにいるはずがない。
多分、あの広報に揶揄われただけだ。考えれば分かることなのに。
「今は、目の前のことを考えないと。」
何もないのならいい。ただ、後手に回って不利になるのだけは避けたい。俺に関係のないことであの人の親衛隊(ファン)が動いているのなら構わない。でも、そうじゃない可能性があるならば捨ておけない。
昨日の今日で。
もう、会長(あのひと)は、俺への興味がなくなったとは思う。むしろ、嫌悪感の方を募らせたかもしれないけれど。でも、あの広報の思惑通りに事が進んだのなら、会長(あのひと)は俺ではない別の人を探すはずだから。
「あの建物。」
公園の奥の方、沢山の木の影に隠れて建物の上部だけが顔を覗かせている。その建物がどうにも気になって近くまで寄ってみると、建物の入り口に立入禁止という貼り紙が貼られていて誰かが入らないように扉の所はガムテープで貼り付けられていたみたいだけど、それはどれも意味をなさなかったらしくわずかに扉が開いていた。
その建物の中へと入ると、等間隔に花が植えられている花壇に整備されたように小綺麗なヨーロッパ風の石畳の道、立ち入り禁止とされている割に綺麗で、そして、何故なのか懐かしい気がした。でも、懐かしいと思う割にここはあまりいい思い出がないようなそんな気がする。
証明がないため薄暗い建物の奥へと進んでいる途中で建物の中央に階段があるのに気づいたその時、カランコロンと音を立ててバケツが転がってきた。そして、その近くに黒いブレスレッドがあるのを見つけてそれを手に取る。バケツが転がってきた方へと顔を向けて目を凝らすと、誰かが道に倒れたまま突っ伏しているのを捉える。
急速に体温が冷えていく感覚がして、外では地面を叩く水滴が音を立てながら響いているはずなのに、一瞬にして世界から音が消えた。
「……………っ、は______。」
余計な事を言いそうになった口を噤んで、視線は毛先からポタリ、ポタリとと落ちていく滴をただ追いかける。
「………………っ、ぃ。」
倒れている誰かの指先が微かに動いて呻き声があがる。
その声に引き戻されるように、鉛のように固まってしまった足をなんとか動かして徐に近づき倒れている人のそばで膝を折って身体を揺する。
「大丈夫で________す、か。」
忘れたい雨の日。
取り戻せはしないあの日のあの瞬間。
いつの頃からか、夢を見なくなった。
それでも、目を閉じれば否応なしに思い出す鮮やかでモノクロなその日。
冷たく凍った身体。冷たい雨の日。
赤黒い何かが、石畳のその溝の間に流れては止め処なく広がっていくその光景は
優しすぎるほどに優しい人が、永遠に目の前からいなくなってしまったその日に
______________重なってしまった。
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