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考え事をしている間に、美加と待ち合わせる駅へ着いてしまった。到着のメールを送ったその時、道を歩く妻の姿を見つけた。
車の窓を開いて、声をかけようとしていた口が閉じる。美加の隣に男がいる。歳は自分たちと同じくらいか。ウルフカットの髪は金色に染まっており、派手な服装だからやたらと目立っている。
彼は美加の腕を掴んだ。
妻がそれを振り払う。
絡まれているようだ。
「美加!」幸樹は大声で呼んだ。
振り返った妻と目が合う。
男はこちらに驚いたのか、走り去った。美加が車まで小走りで駆け寄ってくる。
「大丈夫か? 絡まれていたようだが」
「強引なナンパだったの。あなたのおかげで助かったわ」美加は助手席に乗り込んだ。
そうか、と短く返事をしてから幸樹は車を走らせる。
「美樹、どうだった?」
「オムツかぶれらしい。軟膏をもらったから」
「病院に連れて行ってくれてありがとう」
「俺も、たまには役に立たないとな」
美加がふふふ、と機嫌よさそうに笑うので、今が尋ねるチャンスだと思った。
「そういえば、圭吾。引っ越したようだ」
「そうなの? 知らなかった……どこに引っ越したのかな」
「さあ。連絡はこないし。猛なら知っているかもしれない」
「猛って、新見?」
「そう。おまえも知っているだろう? 高校時代からの友人で、俺との付き合いは続いていたらしい」幸樹は苦く笑う。「らしい、としか言えないのはもどかしいものだ」
ふと沈黙が訪れた。
赤信号になり、ブレーキを踏んで美加に目を向ける。
「どうかしたのか?」
美加は鞄を膝の上に抱え、前を向いて口を閉ざしていた。
「おまえ、圭吾と会ったことは?」
「どうして?」鞄に手を突っ込んでいる。
「いや……俺の失った日々を、あいつは知っていると思うから。俺に思い出してほしいだろう?」
「わたし、ね。あなたに言っていなかったけれど……小林君のこと、少し怖いの」美加は携帯電話を手に取った。
信号が変わったので、幸樹は前を向きアクセルを踏む。
「何が怖いんだ?」
「わたしたちが付き合っていること、あんまりいいように思っていなかったんじゃあないかって。小林君からよく睨まれたもの」
「そんな奴ではないと思うが」
「あなた、記憶がないからわからないのよ」
家に着くと美加は助手席から降りて、後部座席のドアを開けた。幸樹も車を降りて、チャイルドシートから美樹を降ろす手伝いをする。
「美樹ちゃん、手洗いとうがいをしましょうね」美加は美樹を胸に抱き上げると、家の中に入った。
幸樹は車庫の奥に続く庭へ行った。ぼんやりと草花を眺めながら、頭の中にぽっかり開いた空白へ意識を集中させた。
思い出せ。
何かが、そこにあるはずだ。
思い出せ……思い出せ。
妙な焦りがある。それは、とてもか細い鈴の音のようだ。焦りが鳴るたびに自分が何か、取り返しのつかないことをしているような気がする。
草花が風に揺れた。幸樹はため息をつく。
玩具会社へ進路を変更したこと。圭吾宅のポストの鍵がああして開いたこと。美加が語った圭吾の印象。親友のはずの彼から連絡が一切こないこと。理由が見つからないものは、単純に分けてもこれだけある。
幸樹は家に入った。リビングへ行くと、玩具で遊んでいる美樹の隣に美加が座っていた。携帯電話を操作している。
「誰かから連絡でも入ったのか?」
「ううん。明日の天気を見ていたの」美加は携帯電話から顔をあげた。
「美樹のオムツ、どうだった? 替えたら薬を薄く塗ってくれ」
「わかってる。今からやるわ」
妻の様子がこれなので、自分のことばかりにかまけておられない。きっといつかは記憶が戻るだろうと、無理にでも楽観的に捉えるべきか。
ああ、もしかしたら―失ったのは、思い出す必要がないものなのかもしれない。自分の人生において、無駄な日々だった。それなので、今もまだ戻ってこない。
けれどこの、喪失感。足元がふわふわと定まらない気色悪さ。
洗面所に行き、手を洗いながら幸樹は顔を顰める。送る日々に、まるで色がないように感じた。
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