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「無理に思い出さなくてもいいって言っているのに。あなたの身体が一番大切なのよ?」美加は幸樹に笑いかけた。
「そ、うだよ。無理に思い出す必要なんて……」ない。と、言うつもりだった。思い出しても無駄ではないか。おまえはもう結婚しているのだ。子供だっている。
けれど。どうしても、どうしても口が縫いつけられてしまう。眼球の裏側に涙が湧き出てきて、つい、幸樹に縋りたくなる。思い出してくれ。お願いだから、自分とのあの日々を思い出してくれ。幸せではなかったのか。愛し合っていたはずではなかったのか。それなのに、どうして忘れてしまったのだろう。
「おまえの連絡先は覚えてるから。あとでメール入れとくわ。それでいい? 圭吾、人に酔っちゃったみたいだし。ほら、足がふらついてる」
猛に肩を抱かれる。
「男同士でべたべたしすぎだろう」幸樹が眉を寄せた。
「別にいいだろ? 愛の形は人それぞれだし」
「その言い方だと、妙な誤解を招くぞ」
「誤解、じゃあないから」圭吾は重い口を開いた。「気持ち悪かったら、付き合いを断ってもらって構わない」
俯き、自らの靴先を眺める。とても顔をあげられなかった。猛を利用してしまう形になって申し訳ない思いと、幸樹を責め立てたいという感情とで、思考がぐちゃぐちゃだ。
「ま、そういうことで」
猛に誘われ、その場を立ち去ろうと歩き始める。
「待て。必ず、連絡をくれ」焦ったような声だ。
「ほら、邪魔しないの」
美加の声を背中に受け、腹の奥がふつふつと熱くなった。
恨みとは、心に深く根を張るものだ。引き抜こうと土を掘り返しても、どれだけ掘り返しても、奥の奥、深遠にぐずぐずとあり続ける。胸がもやもやして吐き気を抱き、それを振りほどきたいと必死に足掻いてみても、こうやって簡単に浮き出てきてしまう。
圭吾は口を固く閉ざした。そうしなければ、自分が何を言うかわからなかった。
自らの感情を無理やり落ち着かせようとしているうちに、気づけば神社をあとにしていた。
マンションに着いて、猛が先に玄関に上がる。圭吾も靴を脱ごうとするが、足がもつれてその場に転んでしまった。
「大丈夫!?」すぐさま猛が身を起こしてくれる。
「うん、大丈夫」圭吾は歯を食いしばった。左の靴底が、大分痛んでいる。
「あの、俺、余計なお世話したかな」
連絡先を交換させなかったことに違いない。
「助かったよ。だって、電話なんかされたらたまらないから」通話をすれば、背後から家族の声が聞こえてくるはずだ。「それよりごめん。猛を利用して」
「いいって。どんだけでも利用しろよな。俺はおまえの半身でありたいんだからさ」
「そんな風に気遣わなくてもいいよ。大丈夫。大丈夫だから……乗り越えなければ。幸樹は俺の元にはもう戻ってこない。戻ってきたらいけないんだ。子供を不幸にしたくない」
圭吾は猛の腰に手を回した。
「ごめん。まだ、しばらくは揺るぐけれど。きっと後ろ髪が引かれてどうしようもないけれど、でも……俺はおまえと付き合いたいと思う。おまえとの未来を歩もうと思う。猛、俺と付き合ってくれる?」
「そんなの! オーケーに決まってる!」猛がはしゃいだ声を発した。「うわっ、うわっ、あああっ、嬉しいなぁ。夢みたいだ」
至近距離で見つめ合えば、猛は綺麗に弧を描いた一重のまぶたを緩めていた。高い鼻筋。薄い唇はきゅっ、と口角を上げている。
「あの、さ。さっそくかよって思うかもしれないけど、き、キスしていい?」はにかんでいる。
「うん……」圭吾は静かにまぶたを閉じた。
そっと、触れるだけのキスをされる。その唇の柔らかさ、漂ってくる匂い、伝わる体温。すべてが幸樹とは違う。彼のような荒々しさが猛にはなく、おずおずとした、じれったいキスだ。
何本もの槍が、次々に胸を貫く。そうして開いた穴は、猛とのキスでは埋まらない。こんなに愛してくれるのに、優しくしてくれるのに。自己嫌悪が膨れ上がる。
少しでも応えたい。支えてくれる彼を、できる限り大切にしたい。この後ろめたい気持ち、幸樹に対する感情は、水底に沈めるのだ。鎖にいくつもの錘を繋ぎ、自分では引き上げられないほどに深くへ。
唇が離れた時、圭吾は優しい笑みを浮かべていた。
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