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「俺は、停滞しない」自らに言い聞かせた。「俺だけが立ちすくむなんて、まっぴらだ」
圭吾はキッチンに行き、シンクにある蛇口を捻って、両手で水を受け止めた。これだって、流れている。
蛇口を捻れば水は流れ、止めたら水は出ない。同じだ。自分もそうすればいいだけの話である。努力すべきは、今。過去を取り戻そうとするのではなく、今を生きること。
「どうかした?」
背後から声をかけられ、肩が跳ねた。振り向いたらそこに、眠そうな顔をした猛がいた。
「目が覚めてしまったから」
「そっか。でも、まだ早いでしょ? ほら、ベッドに戻ろう」猛に腕を優しく掴まれた。「一緒に寝る、とか?」
はははっ、と笑っているが、冗談ではなく本心なのだろうと感じる。圭吾は小さく頷いた。
「え? ほんとに?」
「猛の部屋のベッドでいい? セミダブルだよね?」
「そうだけど、マジに? やったね!」
猛のはしゃいだ声を聞き、笑みが零れた。彼の明るさにいつも救われているような気がする。
手を引かれるまま彼の自室へたどり着いて、圭吾は頬を引きつらせた。
「ちょっと。掃除してないの? 共有スペースは綺麗にしてるのに」
閉めてあるカーテンの隙間から、次第に昇りつつある朝日の、淡い光が零れている。その僅かな明かりで、散らかっている様子がわかった。部屋のいたるところに雑誌が積み重なったタワーがあるし、コンビニのビニール袋やら、カフェオレの空き缶やらがごろごろと床に転がっている。
「へ、へへへ。まぁ、まぁ。ベッドは綺麗だから」猛は先にベッドへ入った。薄い毛布を捲って手招きをしてくる。
「次の休みの時に、必ず掃除すること」隣に身体を滑り込ませる。
猛が毛布を被せてくれた。
「俺と同じ時間に起きる? それとも、アラームセットしようか?」
「同じ時間で大丈夫」
「じゃあ、おやすみ」
猛が背を向けた。
「妙にそっけないね?」背後から声をかける。
「そりゃあさぁ。そっけなくしないと、どうなると思う?」猛の声は掠れている。
どっ、と鼓動が早まった。交際をし半月ほどが経過しているけれど、キスもまだだ。そろそろかとは思っていたが、猛の欲情が混ざった声を聞いたのは、これが始めてだった。
圭吾は唾を飲み込んだ。
もういいだろう。もう、他の誰かを愛したい。彼ではない、他の。
猛は優しい。大切にしてくれているし、何より愛してくれている。それが彼の言動の端々から伝わってくる。
彼に応えたいと思い、背中へ抱きついた。
「……いいの?」
「うん……」
返事をした途端、腕の中にある猛の身体が強張る。
「抱くよ」低い声だ。強い意志を感じる。
圭吾は大きく息を吸った。
記憶の隅々に、幸樹の笑顔がある。ふんだんに受けた温かな視線がある。けれどもう―
「抱いてくれ。猛に、めちゃめちゃに愛された―」
言い切る前に、猛が振り返った。胸へ深く抱きしめられる。
「圭吾。圭吾……夢みたいだ。俺の腕の中に、おまえがいる。こうやって近くに体温を感じる。うう、泣きそう」
猛は鼻をすんっと鳴らす。いじらしさを受け、圭吾の中にじんわりとした幸福感が広がった。
「今更だけれど、本当に俺でいいのか? 足、こんなだし……幸樹の存在がどうしても頭に引っかかってしまうのに」そう言いながら自らに対し卑怯者、と内心罵る。答えなんてわかっている。わかっているのに念を押す、保険をかけるなんて。
そうっと猛の顔を見上げたら、薄暗さの中に濡れ光る瞳があった。
「わかってないね。圭吾。俺がこの瞬間をどれだけ夢見てきたか。長いこと片思いをし続けていたんだよ。手に入る望みなんて抱かなかった。抱けなかった。奪うチャンスを狙うことすらできなかった。手が、届くとは……」猛が大粒の涙をぼろぼろと零す。「思わなかった。申し訳ないんだけど、でも、俺は……幸樹の記憶がなくなって、すごく喜んでしまった。そんな醜い心がある俺を、圭吾は受け入れられる?」
尖ったガラスの破片で引っかかれるような痛みが胸に走る。僅かな怒りも感じているように思えたが、喜んでしまった猛の気持ちが、圭吾にはよくわかった。理屈で感情は制御できない。恋とは、愚かさも持ち合わせたものなのだ。こんな現状なのに、幸樹に対する思いをまだ捨てきれていないのだから、そう、愚かに違いない。
圭吾は、猛の頬にある涙を指先でそっと拭う。
「俺たちはきっと、同じだ。同じ醜さを持ってる。だから」笑うのだ。決めるのだ。彼との決別を。「猛。俺はおまえとともに生きる。おまえと、人生を生きる」
猛の顔が、だらしがなく緩んだ。前面に喜びを押し出しているように見える。
「圭吾、キスをしてもいい?」耳元で囁かれた。
「もう、何をするにしても、聞かないで」圭吾は自分から彼に唇を寄せた。「猛の思うままに……」
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