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「思い出したの?」圭吾は考えぬまま尋ねる。「どれだけ思い出した?」
「頭の片隅に引っかかっていたらしい。無意識に、企画していたよ。もうすぐ発売される」
「そっか」鼻の奥がつんとした。自分という存在の欠片が彼の中にあると思うと、凄まじい喜びと同時に、心へ走る激痛を感じた。
「そうなんだ……」圭吾は再び言う。
幸樹から、訝るような視線が届く。
「圭吾?」
「少しでも、思い出そうとは思わない? 失ったものを取り戻したいとは?」彼を振り切ろうと決めたくせに、つい、そう言ってしまった。
肩を強い力で掴まれた。
「何かを知っているんだな? そうだろう?」必死な形相を浮かべている。「俺は、何を失ったんだ」
「俺にそれを言えと?」
「今の自分が本来の自分ではないような感覚が、おまえにわかるか? 足元が定まらない。大切な何かが記憶にあったはずなんだ。それが美加だとは……思えない」肩から手が離れた。幸樹は顔を弱々しく歪めている。「笑えよ。笑ってくれ。子供もいて、幸せな生活を送っているはずなのに、この喪失感は何だ。俺は何を忘れているんだ」
今更何を言うのだ。交際期間中に渡したプレゼントの数々。手紙を交換したことだってある。記念日にと、お互いの名前が入ったキーホルダーを買ってもいる。
「手元に何も残っていないと? 思い出せなくても推測くらいはできるはずだ」圭吾は静かに言った。手元にあるはずの思い出の数々を見て、少し考えればこちらと付き合っていたことがわかりそうなものなのに。思い出す気配がないということは、心の底で、同性愛に対する抵抗があるとしか思えない。だからこそ、そういった物を見ても、友人の戯れだとしか受け取れないのだろう。
「ニット帽は、誰かからもらったのか? それとも俺の趣味が変わっていたのか」
「心から幸せだと思う日々を過ごしてもらいたいと、誰かに思ったことは? 星座のモチーフの、置物をもらったことは? コタツ、買った記憶は?」
圭吾が次々と言えば、幸樹は額に手を当てた。
「……星座……? 置物、あれは……」
何かを探るようにしている彼へ口を開こうとした時、携帯電話がメール着信音を鳴らしたので確認する。猛からだった。無事に職場に着いたか、と尋ねる内容だ。
圭吾は奥歯を強く噛み締める。そう、自分には猛がいる。昨夜彼に抱かれたばかりだというのに、何を言っているのだ。幸樹が記憶を取り戻したとしても、時は戻らないし、猛に抱かれたことを後悔するのも嫌だ。囚われたくないと強く感じた。
圭吾は泣きたくなるけれど、ぐっと堪え、険しい表情を作る。
「俺は、思い出してくれとは言えない。言えないよ。前に進んでいるんだ。振り返れない。戻れない」
「圭吾? 説明してくれ。俺は―」
「子供のことを考えろよ! おまえは結婚しているんだ!」幸樹の言葉を遮り、圭吾は叫ぶ。
頭を殴られたような顔を見せられ、視線を逸らした。
「結婚しているんだよ、幸樹。責任があるだろう? おまえももう、戻れないところまで来てしまった。そうだろう?」
表現できぬ沈黙が訪れた。風が吹き付けてくる。
また歩きだすけれど、幸樹はついてこないようだ。話は終わったのかと振り返りたくなる心を押し殺す。
「頼む。もし過去に、誰か別の人間がいたとしても、家庭を大切にしなければならないとわかっている。しかし、それでも、思い出したい。ただただ、思い出したいだけなんだ」
背中から声をかけられ、足がどうにも動かなくなる。ゆっくり振り向いたら、幸樹が頭を深く下げていた。
「お願いだ。心が、千切れてしまう。俺が俺らしくあるために、どうしても記憶が必要なんだ」
彼のそんな姿は見たことがない。今にも折れてしまいそうなか弱さを受けた。ああ、どうしても。いくら気持ちを捨てようとしても未練が錆のように浮かんでくる。こんな姿を見せられてはなお更だ。揺らぐ心が憤怒の嵐を巻き起こす。
「どうして……どうしておまえはそうも身勝手なんだ!」圭吾は拳を震わせた。捨てたのはおまえだ、と叫びたかった。こっちの心なんぞ、すでに粉々だと怒鳴りたかった。「っ、畜生! 俺は、揺るぎたくない。もう二度と、絶望したくない」
まばたきを繰り返し、鼻を啜る。
幸樹が顔をあげた。縋るような目をしている。
「どういう意味だ」
彼を抱きしめたい。思い出してくれと泣いて懇願したい。あの日々は、おまえにとっては忘れてもよいものだったのか、と責め立てたい。圭吾はそれらの感情すべてに蓋をした。
「さようなら、幸樹。二度と会うことはない。もう、二度と」圭吾は顔から表情を消す。「おまえを振り返りはしない」
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