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運命の相手4
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「あながち、アキさんが運命の相手だったりしてな」
村田は明典も忘れかけていたことを口にした。そうだ、そういえば明典の運命の相手は誰かという話をしていたのだ。アキの姿を想像すると、明典は無意識の内に眉をひそめ、目を細めるという露骨な顔をしてしまう。それを見た村田は大笑いし、咥えた煙草が畳に落ちた。
「……タイプじゃない」
「知ってるけど。運命の相手がタイプとは限らないだろ?」
「掠めもしてない相手と始まるか?それにあの人ノンケだろ」
アキが連れていた女性を思い返す。自分が女だとしても、全く相手にされないだろう。
「バイだって噂もあったみたいだぞ」
「あの人がバイでも、俺は対象外だよ」
お前なら未だしもなと付け足すと、村田は「やめろよ」と苦笑いした。「俺はバイじゃない」という言葉に「分かってるよ」と返し、明典も村田から煙草を貰って火を付ける。この話題はさっさと流そう。村田には気まずいだろうし。そう考えて思い付いたのは、ノンケだがタイプのど真ん中を貫く佐々木のことだった。
「そういえば最近、タイプの男が現れた」
「そうなのか?」
「ノンケだから、それこそ関係ないけどな。目の保養」
そして、今日退社する前に起こった佐々木との出来事を反芻する。
「…………いやもう本当、可愛い」
「怖いから真顔で言うのは止めろ」
社会人になっても村田とは朝まで飲むというコースを幾度となく歩んだが、旦那となった今はそうも行かない。注文した品を綺麗に平らげ、近況や昔の話をしながらビールをもう3本ばかり飲むと、今回はお開きとなった。
飲み屋街だけあって、タクシーは案外簡単に拾える。それに村田だけが乗り込んだ。
「じゃあな。嫁さんによろしく」
「あぁ、じゃあな」
村田を乗せたタクシーは、道路にはみ出ながら歩く酔っ払いや付き添いの人間を轢かないようゆっくり進んでいき、角を曲がって見えなくなった。
明典は一人、賑わう飲み屋街を歩く。飲んだ酒で体温が上がっていることもあったが、梅雨があけた最近の夜は一気に蒸し暑くなったのは確かだ。既に脱いでいるジャケットの下に着ていたシャツが身体にまとわりついてくる感覚を覚え、明典はその袖を適当に捲った。
店から溢れる光や街灯の灯りを利用して、腕時計を見る。21時は既に過ぎており、22時になろうかとしていた。スマートフォンを確認するが、メッセージは何も受信していない。しかし、もう来ている頃だろうと、明典は家とは反対方向に歩を進めだした。
賑やかな飲み屋街を抜ける際、あの占い師の居る店の前を通ったが、やはり店は閉まっていた。『1回の占いにつき5,000円』という貼り紙だけは、変わりなくそこにある。果たしてあの占い師は女性だったのだろうか、それとも身体は男性で心は女性だったのだろうか。もしかするとあの見た目も、水晶同様のパフォーマンスだったのかもしれない。しかし、もう訪れることはない場所である。あの占い師とも、もう会うことはないだろう。
占い屋を素通りして、明典はさっきの賑わいが少しだけ落ち着く道に出た。洒落たバーやスナックが目立つ通りの中で、8階まである小さなビルへ入る。エレベーターに乗り込むと、迷うことなく『5F』というボタンを押した。どこの階にも止まることなく5階に到着したエレベーターは、そのドアを左右に開く。それと同時に明典が外へ出ようとすると、同じタイミングでエレベーターに乗り込んできた人と肩がぶつかった。
反射的に「すみません」と謝ると、相手からも「ごめんね~」と返ってきた。酔っぱらい特有の抑揚がある声は低い。そしてそれとは別に、「何やってんだよ」とクスクス笑う声が聞こえる。その声も一段と低い。振り返れば、扉が閉じる前に男が男を壁へ押しつけ、キスをしている光景が飛び込んできた。既に二人の世界に入り込んでしまっていたのか、彼らが明典の視線に気付くことはなく、そのまま扉は左右から閉じられる。
一瞬、壁に押しつけられていた男が正のように思え、明典はその脚を止めた。しかし、ちょうどスマートフォンが受信したメッセージは正からのもとだった。他人のそら似だと分かった明典は、正と待ち合わせしているバーの扉を開く。
「いらっしゃーい。あら、メイテンちゃんじゃない。久しぶりねぇ」
扉が押開けられるのと同時に、カランカランと取り付けてあるベルが鳴った。客が来たことを告げる音に反応して、カウンターの中にいる男が声を掛けてくる。シャツの上からでも分かる屈強な体つきと、捲られた袖から覗く筋骨隆々な二の腕、そして整えられた濃い髭を蓄える男の口からは、見た目に反して柔らかいおねぇ言葉が飛びだした。店内には既に数人の客がいる。全て男性だ。
「今日は何かイベントでもしてんの?ママ」
「してないわよ。どうして?」
空いているカウンター席に座ると、ママはすかさず冷たいおしぼりを渡してきた。それを受け取りながら、先ほど目にした光景を話すと、ママは明典の質問に納得したようだった。
「イチャつくならホテルでしてって追い出したのよ」
「相変わらずだなぁ、ママ。そのうち恨まれるんじゃない?」
「あら、感謝はされても恨まれる筋合いないわよぉ。愛の巣への後押しをしてあげてるんだから」
出会いを求めてこのバーへ来る客は多いが、店内で必要以上にイチャつくのはご法度だ。何度か正がママから追い出されている光景を見ているため、あの二人がどんな目にあったのかは大体予想がつく。エレベーターでの光景を見る限り、ママの追い出しはあの二人の空気に何の影響も及ぼさなかったようだが。
「何にする?」と聞いてくるママに、先ほどまで飲んでいたビールが気になったが、味を変えようとモスコミュールを頼んだ。ただ出会いを提供しているだけでなく、酒の種類も多いこの店は、わりかし人気がある。薄暗い店内に溶け込むジャズも良い雰囲気をつくり出しており、カップルで来る客も珍しくなかった。客の大半はゲイやバイだが、それにノンケの客が付いて来るのも問題ないため、明典は何回か村田を連れてきたことがある。若い客が多いが、40代、50代ぐらいに見える客も見たことがあった。
「今日はアイちゃんいないんだ?」
カウンター内にはママの他に『濱』と呼ばれるバーテンダーが居たが、この店の看板ともいえるアイの姿がないことに気が付いた。「今日はお休みよ~」と言いながら、ママは他の客に見えないよう親指を立てて動かす。アイ目的で来ている客もいるのだ。その点明典はアイにほの字というわけではないため、休みの理由をこっそり知ることが出来る。
しかし、ママが親指を立てるとは思わなかった。意外すぎることに驚いたが、他の客に怪しまれないよう、「そうなんだ?」と平然を装う。
「とうとうなのよ~。とうとう!ようやく!」
「そうかぁ。良かったな」
「まだそうと決まったわけじゃないんですよ。ママも憶測で話さないで下さいます」
明典とママの間に割って入ったのは濱だった。茶色い髪を全て後ろにまとめた好青年は、明典が注文したモスコミュールを出しながら苦笑する。しかし他の会話をすることなく、隣で「なによぉ。決まったも同然じゃない」と文句をいうママを置いて、すぐに他の客の所へ行ってしまった。
「……濱くんって、アイちゃんのこと、そうだったっけ?」
「違うわよぉ。あの子は別の子にお熱なの」
「ふーん」
出会いの場を提供する店だからか、働く店員もしっかり恋愛を謳歌しているようだ。モスコミュールを飲むと、スッとする感覚と共にキレのいい味がした。やはりこの店の酒は美味い。
「そういえば、今日は一人なの?あのイケメンくんは?」
「……あぁ」そういえばママは村田のことを気に入っていたことを思い出す。「さっきまで会ってたんだけど、もう帰ったよ。連れてこれなくて悪かったね」
「もぉ!イケメン補給させなさいよぉ」
「悪いついでに、もっと残酷なものを持ってきたよ」
座る椅子に立て掛けた足元の鞄を引っ張り上げると、その中から今日村田に貰った結婚式の招待状を取り出し、ママへ手渡した。「なぁにー?やぁねぇ」と言いながら、受け取った封筒をママは眺める。それが招待状であることは理解しているようだが、何を意味しているのかはまだ分かっていない顔をしていた。差出人を見るように言うと、ママは目を細めて裏面に書かれている名前を読み、そして固まる。
「……んっまー!!何よ!これあのイケメンの!?」
「そうだよ」
「悲劇だわ……もう暫く立ち直れないっ!」
「ママも恋愛相談のってたじゃん」
こういう話が出来ない店ではないが、嫌う客も中にはいるため、『結婚』という言葉は伏せられたまま会話は進む。大袈裟にふらついて見せるママに、明典は声を出して笑った。
暫く返そうとしなかった封筒が漸く明典の元に返ってきた時、ママはあんなに嘆いていたにも関わらず、「良かったわね」と優しい声を出す。村田が真剣に恋愛相談をした日から、何かと彼のことを気にかけていたため、安心したのだろう。こんなママが居るからこそ、明典は間をあけながらもこの店へ脚を運ぶのだ。
村田の話が一段落つくと、明典は「最近どう?」と話題をふった。ママからは「平和よ~」と返ってくる。「ナイフ振り回す奴もいないしねぇ」と、物騒なことをさらりと付け加えながら。
「なにそれ?」
「もう、嫌んなっちゃうわよねぇ!濱くんがいなかったら、アイちゃんもアタシも刺されちゃってたかも」
「怪我は?」
「誰も怪我しなかったわよぉ」
決して笑えない話を、ママは笑いながら話す。違う客の相手をしていたため事の詳細は分からないが、他の客の悲鳴に振り向けば、男がアイに対してナイフを向けていたらしい。ママが押さえ付けられないような体格の男ではなかったが、身体は氷つき、脚が震えて動けなかったと。バックヤードに居た濱が直ぐ様異変に気が付き警察へ連絡をしたため、事なきを得たらしいが、どうやらその男は捕まっていないようだ。明典の来ていない、2ヶ月の間にあった出来事である。
「顔はよく覚えてないんだけど、名前は聞いたのよ。……えーっと、何だったかしら?やぁねぇ、最近物忘れが激しくってぇ」と一人首を捻るママの近くに濱が寄ってきたため、明典は声をかけた。
「大変だったな、濱くんも」
「俺はほとんど見てないんで、平気だったんですけどね。アイさんが、ちょっと……」
「あの子、お休みあげたのに次の日も普通に出勤してきたのよ。何もなかったような顔してね」ママは溜め息を溢した。「周りに気を遣って自分をそっちのけにする子だから……心配なのよ」
同じことを思っているのか、濱は頷きながらバックヤードへ入っていった。明典はモスコミュールを飲み干す。
「ママ、何か憑いてるんじゃないか?」
「やぁだ。人に恨まれるようなことなんてしてないわよ、アタシ」
「でもこの店、来る度何かしら起こってるし。お祓いしてもらった方がいいんじゃない?」
「そうねぇ。まぁ、いろいろ抱えてる困ったちゃんは多いわよねぇ。そういう人たちの避難所になれば良いって思って出した店だから、ある意味夢は叶ってるんだけど」
次の酒を造りながらママはぼやく。すると再び、カランカランと扉が開く音がした。
いらっしゃいと声をかけたママが、入ってきた客を見るなり「困ったちゃんの一人が来たわ」と苦笑するのが聞こえ、明典も振り返る。
そこには細身でパーマのかかった髪が印象的な男──正の姿があり、明典もママの言葉に納得した。既にどこかで飲んできたのか、軽く出来上がっているように見えた彼は、しっかりと明典を見つけ、近寄ってくる。
「メーイテーン!待ったー?」
「あら、あんた達待ち合わせしてたの?珍しいわね」
ママが意外そうな顔をするのも仕方がない。この店で正と待ち合わせをしたのは、今回が初めてだからだ。正はママに満面な笑みを向けながら、明典の隣に座る。
「とうとう俺のこと抱く気になったんだってさ!」
「そんなこと誰も言ってないだろ」
「えー、だって優しかったじゃーん。電話付き合ってくれてさぁ」
ママからおしぼりを貰いながら、正は明典の肩にすり寄ってきた。それを押し返すが、なかなか引かない正にママが制止の言葉を言ってくれる。
「あんたも男漁りしてないで、早く彼氏作っちゃいなさいよ。濱くんとかいいじゃない」
タイミングが良いのか悪いのか、バックヤードから返ってきた濱は急に話を振られ、こっちを見た。何の話か把握できていないだろうが、正を見るなりすかさず笑みを作った濱は、「いらっしゃい、正さん」と優しく声をかける。そんな濱を、正は品定めするような目で眺めながら、「濱くんかぁ」とぼやいた。
「あんたには勿体ない程、良い子だけどね」
「濱くんってタチ?」
「そうですよ」
「じゃあいいか。ねぇ、今日俺とセックスしない?」
店の雰囲気も考えず露骨な言葉を口にしながら、正はへにゃりと笑って濱の手を取った。
「仕事じゃなければ、喜んでお相手するんですけど。残念です」
そう返した濱の笑みから複雑そうな色が見え、明典は糸が繋がる感覚を覚える。そして少しだけ、正との距離をあけた。
濱が熱を持ってる相手は、どうやらこの正らしい。
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