アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
錯綜…1*
-
男の動きは早かった。
翌晩はコンビニで時間を潰してから一人で帰宅した。自然と足早になるにも関わらず、男は一定の距離で後ろをついて来た。こそこそと尾けるわけではない。堂々とした態度はどこか開き直りを感じさせ、それが一層危機感を煽った。
マンションの玄関先で結希は振り返る。男が距離を縮める。どういうつもりか正面切って問い詰めるつもりでいた。男の手の中に握られたナイフを見るまでは。
切羽詰まっているのは男の方だ、と分かればこの寒空の中、背筋を伝う冷や汗とは裏腹に、驚くほど冷静になれた。
なるべくゆっくりとオートロックを解除する。慎重に身体の位置を変え、防犯カメラに映る時間を引き伸ばした。
自棄になった男は何をしでかすか分からない。連れられるようにして大人しく七階へ向かう。
圭悟を振り切って乗り込んだエレベータの中で結希は七階のボタンを押した後、「閉じる」ボタンを連打したが、扉が閉まるよりも圭悟が追いつく方が早かった。
後ろから圭悟が十二階のボタンを押す。
「ごめん」
謝ったのは結希の方だった。
キスの名残りはなかなか消えない。
うっかりするとその場にしゃがみ込んでしまいそうだった。
芝居に付き合わせた挙句、圭悟を相手に欲情してしまったことが許せなかった。圭悟だって満更でもなさそうに見えてしまった自惚れや厚顔さ、不遜さは更に許せなかった。酷い侮辱をしてしまった気がした。
「好きになるのが怖かったんだ。……この前も、今も」
「嫌なら俺は拒否るって言ったろ。お前と違うから」
呆れたように圭悟は言う。
七階でエレベータは一度止まり、扉が開く。それを閉じるボタンで見送った。
勢いとはいえ、正直な気持ちを打ち明けると幾分か落ち着いていた。けれど口付け一つで煽られた身体はまだ内側で何かが燻っている。
「部屋入れてくれないか。聞きたいこと、あるから」
「この後に及んでこっち来ないつもりだったのかよ」
ふわふわと熱に浮かされて身体は流されて行きそうになる。
だが、やらなければならないことがあった。
エレベータが最上階を告げ、二人を吐き出した。
七階の自宅の鍵を開ける間も、男はぴたりと結希にくっついたまま離れはしなかった。腰に押し付けられたナイフの刃は、男が力を込めればやすやすと肉へ埋まるだろう。
暫く帰っていなかった部屋は、どこかよそよそしい空気に支配されていた。
「また前みたいにここで犯してやろうか」
「や……っ」
靴は脱いだつもりはなく、慌てて室内へ逃げ込むうちに勝手に脱げていた。料理をしない台所に包丁はない。その場にあるものを手当たり次第投げつける。置きっぱなしになっていたうがい薬のボトルが男の顔を掠めてドアに当たった。バシャッと液体が破裂するような音と共にドアが赤黒い血の色に染まる。激昂した男は大柄な身体を揺らし、土足のままドカドカと室内へと入ってきた。
逃げ回るうちに一度脇腹を足で蹴られ、コートは剥ぎ取られていた。男は残酷な追いかけっこを有利に進めるため、部屋の明かりを点けた。十二階とは比べるべくもない狭いリビングの端にはすぐに追い詰められる。
寝室に逃げるつもりはなかった。もし、寝室で強姦されれば、例え全ての決着がついた後でもそこで眠ることはできなくなりそうな気がした。
「……ひっ、ぅ……」
冷たいナイフの刃が頬を叩き、首筋をゆっくりと撫でる。薄皮一枚を傷付けただけで、血は流れない。
「さっさと、店辞めてくれりゃァ良かったんだよ」
男は苦虫を噛み潰したように低く唸る。ハルの予想をなぞる男の言葉が過去形であることに気付く。もう、今更店を辞めて引っ越しをすると言ったところで引き返せる訳ではない。
ナイフが、インナーごと服を切り裂いていく。
「圭悟と、最初に会った晩……」
十二階のダイニングテーブルで、外套を脱ぐことなく結希は椅子に腰かけた。それに倣うようにして圭悟がそのままの格好で向かいに座った。二人の間にはインスタントコーヒーすらなかった。
「……お前がアイツに襲われてた時か?」
「うん。……何か、証拠になるようなもの、ないかな」
ハルは証拠があれば事はスムーズに進むというようなことを言っていた。
圭悟はその意味を理解したのか、理由は訊かなかった。ただ、難しそうな顔をしただけだった。
「……録音データが、あったけど」
まさか本当に記録していたとは思わず、結希はテーブルの上で両手を固く握りしめた。顔を上げて圭悟にその先を促す。
「結希がもし警察に被害届出すっていうなら証拠になるかと思ってな。けど、実際、とても使えそうになかったから消した。お前、全然拒絶してねえから」
「あ……」
その晩のことを思い出す。確かにあの夜は、その後の予約を飛ばさないように身体が傷付かない方法を選択した。それで合意の上だと捉えられても構わないとすら思っていた。
それが、こんなところで仇になるとは。
「ていうか、ホントに録音してたんだ……」
「ん? ああ」
「圭悟なら何となく証拠とってそうな気はしたけど……何、探偵とか目指してんの?」
「まあ似たようなもんだ」
弁護士だけど? と、目の前に座る金髪の男は言った。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
30 / 123