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龍に抱かれ…2
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眦に涙が溜まっていた。
どこかに放置したままの携帯電話が着信を知らせて震える音がしていた。時間をオーバーしている予感があった。
見上げた天井は白々とした電気がついていた。ここに鏡があれば、自分を抱く清本の背中が見られたのに、と残念に思った。誰かに抱かれる自分など見ようと思う趣味はなかったが、背中に描かれたあの綺麗で獰猛な龍に絡め取られるところなら見てみたい気がした。
あの後、清本はことさら結希を丁寧に扱った。荒々しさを感じたのは清本が射精する直前だけだ。
「あれだけ感度がいいからって必ずしも後ろだけでイくってわけじゃないんだな」
清本はアナルセックスだけで結希を射精させるつもりだったらしい。結希は苦く笑いながら小さく頷いた。
身体を起こし、着信の在り処を探した。それはベッドの足元で着替えに埋れていた。表示された番号が店ではなく吉川個人の携帯電話のもので、結希は違和感を覚えながら液晶をタップする。
「……大丈夫か?」
ちらりと清本の方を横目に見た。
「うん、……時間、過ぎてる?」
「ああ」
「すいません、延長で。……この後って?」
小声で話す結希を気遣ってか、清本は視線を逸らした。
「一時間後」
「わかりました。それまでには」
手短に用件をやり取りして電話を切る。和弘のことがあっても吉川の心配性は相変わらずだった。
清本のことを訊きそびれた。店の大事な客とはどういう意味なのか、もう薄々気付いてはいても確認がしたかった。但し、本人を前に電話で話すことでもない。
「延長、俺の不手際だから俺の持ち出しで。清本さんともうちょっとゆっくりできる」
「自分を安売りするな」
「……清本さんならそう言ってくれると思ってた。でも、勝手に延長して機嫌損ねるお客さんはいるから」
予防線。結希はしてやったりとばかりに顔を綻ばせる。僅かながらも肩が上下するほど清本は息を吸い込む。一本取られた、とは表情に出なくても、よく見ればこうしたちょっとした仕種に清本の感情は現れていた。
「……あんなこと、誰にでも言ってるのか」
ぽつり、と清本が言う。
それが何を指すのか結希には分からなかった。
「壊して」
「ああ――……。うん、誰にでも。だから気にしないで」
「乱暴にされるのが好きなのか」
「そういうわけじゃ、ないけど」
正確には、乱暴に「させる」のが好きなのだ。
その病理を結希は知っていた。稀にレイプ被害者が同じ体験をなぞりたがる事例なら調べたことがあったからだ。相手にいいように扱われた屈辱を、今度は自分主導で体験することによって克服しようとする行為だと理解していた。そこへ母親から捨てられたと感じた自分が、誰かに強く求められることを望む心理も重なって、結希は自身の性癖を特別おかしいと思ったことはない。
酷い体験は繰り返し語ることでストレスが軽減することがある。過去を過去として受け入れ、また、それがもう過去のことであると認識するのに効果的な儀式だ。事前に客へ説明することを勧めた吉川のやり方は、その理由がどうであれ結果的には理に適っていた。
もう、殆ど立ち直っていたのだ、佐々木たちに再び蹂躙されるまでは。
接客中に暴行すれすれのプレイに及んだことは何度もある。他所のスカウトマンを陥れる為に自身をレイプさせた時も、結希には自分が主導で事に及んでいる自覚があった。
妙なクスリを使われて前後不覚に陥り、命の危険を感じるほどの輪姦で、それまでにようやく築いたバランスが崩れた。前回と異なるのは、いくらその病理を理解していても、迂闊には被虐へ身を委ねられなくなったことだ。
圭悟に対する申し訳なさと自己嫌悪が、最後の最後でどうしても割り切れなかった。
それは理屈でどうにか出来るものではない。
「安易にハーブの類に手を出すなよ」
清本はベッドの上に座ったまま静かに言った。まるで心臓を素手で鷲掴みにされたような衝撃を受け、結希は清本の方を振り返った。
「お前はクスリに溺れやすいタイプだと思う。依存して、人生を棒に振って、行く末は廃人だ。それとも、――もう手遅れか?」
黒目がちらちらと左右に揺れるのが自分でも分かる。清本がそれを覗き込みながら確認する。
「……やってない」
カラカラに乾いた口で結希は何とか声を押し出した。清本はその真偽を問わない。
高校時代の性的暴行の方が期間的には深刻だとずっと思っていた。あの頃よりは大人になり、自分の意志で解決できる部分も多くなった。
けれど、受けた傷はあの頃よりも格段に複雑なのだと気が付く。
「なんてな。ちょっと脅してみただけだ。ウチのシマでハーブ売り捌いてる連中がいてね。とっ捕まえて点数稼ぎたいってのが本音」
清本はベッドを降り、上着のポケットから名刺を一枚取り出した。
「何か分かったことがあれば連絡してくれ」
差し出された名刺を受け取り、結希はそこに書かれた文字を読む。ごくありふれた社名が書かれていた。
店に帰れば和弘がいる。和弘に訊けば、あるいは何か清本の知りたい情報は得られるかもしれない。だが、結希にはとてもそれを尋ねる気にはなれなかった。
折しも和弘とは意に沿わない再会を果たした後だ。何故このタイミングで清本が自分に接触してきたのか、結希にはそのことが気に掛かった。
自分はキャストで、表の人間だ。
裏側の中でも最も闇に位置する清本とは本来こうして会うべきではない。
「見つけてどうするんですか。点数稼ぎって、……殺すの?」
それは和弘たちに呼び出され続けていた時に恐れたことだ。
清本は横目に結希を見る。裸眼のままだったがどこか冷たい表情だった。
「ハルちゃんと同じこと訊くんだな。ウチは真っ当な会社なんでそんな物騒な真似はしないさ」
「……ハルくん?」
そう、冬場に結希が仕掛けたレイプ事件は、救出劇にハルが絡んでいた筈だ。そのハルは、店の大事な客である清本と幼馴染の関係にある。
あの時、人がひとり殺されている。その真相についてハルが清本を問い質していたとしてもおかしくはない。
結希はもう一度名刺へと視線を落とした。そこには清本の携帯番号も添えられていた。全裸のまま結希は立ち上がり、荷物を探る。清本の名刺を仕舞うと共に自分の名刺を取り出した。先日、十夜たちと撮影した写真を刷り直したそれは、もちろん営業用のものだ。写真とはいえ、パッと見だけでは結希と分からない程度の加工が施されている。
本来は手書きのメッセージを添えるために空けてあるスペースへ、結希は自分の携帯番号を書き込む。個人の連絡先をやりとりすることは禁止されている。だが、初見の客に出張サービスを行わないというルールを店が反故にしている。きっと、清本との出会いには意味がある。
結希が差し出した名刺を一瞥して清本もまた、ラックに掛けたままのジャケットへとそれを仕舞った。
結希は清本へと寄り添う。清本の腕が結希の腰へと回り、二人は特に言葉を交わすでもなくバスルームへ向かった。
情事の名残など、とうに消え失せていた。
その日は和弘を無視し続けたまま仕事を終えた。事情を知るのは吉川と本田ぐらいで、普段は人当たりの良い結希があからさまに和弘を邪険にするため、誰もが訝しがった。だが、それよりもミナミの常軌を逸した言動の方が一大事だった。待機室からは泣き喚くミナミの声が長い間漏れていたが、結希にはフォローに回る気力はなかった。
何か話したそうな和弘の視線を切り捨てて自宅へ戻る。圭悟が帰ってきたのはすぐ後だった。
「和弘が。……鈴木がウチの店で働き始めた」
疲れた様子で結希は簡潔に告げた。ベッドへ行く気にもなれずソファ下の床へ座り込むと、そこが所定位置の圭悟が隣へ腰かけた。
「裏方だけど」
圭悟は掛ける言葉を失ったまま結希の方へ顔を向けていた。結希は圭悟の方を見ることができなかった。
圭悟もまた、疲れて帰って来ている筈なのに、ただ隣に座ったまま結希の傍にいる。申し訳ないと思いつつも結希の口は重い。
「もし、俺が店辞めたら――」
それでも圭悟は自分を好きで居てくれるのだろうか。
それとも、完全に圭悟のものになれる自分を歓迎してくれるのだろうか。
「それはお前が決めていい」
「圭悟が決めて」
「だったら辞めちまえ」
圭悟は詰るでもなく言い放つ。仕事に対する中途半端な気持ちを見透かされた気がして結希は奥歯を噛み締める。
圭悟の手が結希の反対側へと回り、頭を抱き込んだ。結希は深く息を吐きながら圭悟へと身体を預けた。こうして触れ合うだけで今日一日の緊張が解けていくようだった。
「結希が決めたことなら、俺は何があっても見届ける。大丈夫だ」
圭悟の声は優しく、そして力強い。
これまでもずっと見守られてきた。結希が自分自身を傷付ける行為ですら、圭悟は目を逸らさなかった。
どれだけ過酷なことを強いているのか思い当り、結希は目を伏せた。圭悟がどれほどの覚悟で「大丈夫だ」と言うのか伝わるようだった。
「父さんに、……会ってみようかな」
それは全ての始まりだ。
抱き寄せる圭悟の腕が、より強く結希を引き寄せる。
もう、終わらせたかった。
それは自分自身のためでもあり、二人のためでもあった。
「付き合うよ」
圭悟が言った。
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