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でもね、と瑠璃条は途端に俯き加減になる。
「…とことん追いかけ回して、ようやく気づいた。…アンタは、王子様なんかじゃなかった。」
瑠璃条の、女子特有の柔らかな指先が、ビールジョッキの中を泳ぐ氷をくるくると回転させる。
「誰にも優しいってのはね、榎野。裏を返せば、”特別な人”なんていないのと同義なのよ。」
だからアンタは楠田チャンを大切にしなさい、と瑠璃条は氷に触れた指先を口に運ぶ。
「楠田チャンは、アンタから王子の壁をぶち破ってきた、唯一の人よ。楠田チャンのためにアンタはなれない音楽の世界に足を踏み入れた。楽器まで、彼が選んだものを手にした。」
アンタが叩くドラムの演奏だってさ、と瑠璃条は下唇をペロリと舐める。
「楠田チャンは、他の人に渋い顔されまくった習いたての『飾りっけのない音』に太鼓判を押してくれたんでしょう??」
すごくない??と瑠璃条は一人呟く。
「そりゃ工夫していけば、演奏を気に入ってくれる人はわんさか出てくるでしょうよ。でもね、混じりっけなしの『ありのまま』を受け入れてくれる人は滅多にいないの。だからアンタは、『ありのまま』を選んでくれた楠田チャンと正々堂々向き合うべきよ。」
っていうかぁ、と瑠璃条はいきなり間延びした声をあげる。
「現在フリー大絶賛満喫中の私から言わせりゃあ、何をウジウジしてんだアンタらっていう話よ。二人が向かうゴールはもう見えてんじゃない。いつまでもグダグダ迷ってんじゃないわよ。四十まで行かないと、人間って迷うって行動をOFFにする機能が追加されないんでしょう!?…だったら、ちょっと考えて、ない頭振り絞ってテキトーに動いてみるしかないじゃない。経験則からちょっとずつ学んでいくしか、手がないの。足で稼げっつってんのよ、若者がァッ!!」
荒れだした瑠璃条は、この後小一時間ほど世の憂いを吠えまくり、ぐったりしている後輩に代金を支払わせて帰っていった…。
榎野は昼の大学で、先輩のいう『飾りっけのない音』をドラムに打ち込み、夜は彼と過ごす濃い夜を送った。
三連休の翌日。三月二十日の夜。佐々達バンドのリサイタル本番が行われている時間帯。生活音がめっきり聞こえてこない、不可思議なほどの静謐さに包まれた夜。
ダイニングでテレビのバラエティ番組を愛想ていどの笑いで眺めていた榎野は、唐突に鳴り響いたチャイムに反応する。座っていた萌黄色のソファーから立ち上がり、玄関に向かう。扉を開けた後輩は、扉向こうの訪問者…楠田を見て、肩を上下させる。
「…楠田さん。」
楠田はだんまりを決め込んだまま、後輩の胸に頬を摺り寄せてくる。榎野は微苦笑を口元に刻んでから、相手の茶色をした髪に指を埋め、下方へと撫で付ける。
「来るとはわかっていましたけど、リサイタルの方はどうする気ですか??」
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