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小鳥が弟になるまで22
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「み…こと、尊……。」
誰かが呼ぶ声がする。ぼんやりと聞こえた声に導かれ、尊はゆっくりと瞼をあげた。
どうやら小鳥の頭を撫でながら、そのままベッドに突っ伏して眠ってしまったらしい。
時間を確認しようと顔を上げると、じっとこちらを見つめる雀色の瞳と目があった。
「小鳥っ!?」
「ん。…おはよ。」
ベッドに投げ出していた尊の右手の小指を、小さな手でギュッと握りしめ、いつも以上にぼんやりとした声で、小鳥が確かにそう言った。
「お前、目が覚めたんだな…」
久々に見る寝顔以外の小鳥。久々に聞く小鳥独特のぼんやりとした声。
とてつもない安堵がやってきて、思わず小鳥を抱きしめた。
小鳥の腕も、そっと尊の背中へとまわる。それが嬉しくて、体に負担を与えないよう注意しつつ、少しだけ小鳥を抱き締める力を強くした。
*****
「意識もしっかりしていますし、もう問題はありませんよ。傷も、順調に回復へ向かっていますし、ご安心ください。」
ナースコールを押して小鳥の意識が戻った事を伝えると、すぐに医師が診察に来た。
医師の、もう問題ないという言葉に改めて胸を撫で下ろした。
「ありがとうございました。」
回復経過の詳しい検査などは明日からということで、今日はゆっくり休んで下さいと言って医師が立ち上がる。
見送りに、尊も医師と一緒に病室の外へと出た。
「先生、ちょっとご相談があるんですが。」
病室の扉がしっかり閉まった事を確認して、尊は小鳥の前では聞けない内容の話を医師にきりだす。
「小鳥、母親の事を全く聞いてこないんです。だから、母親が死んだことはまだ伝えていなくて…」
目を覚ましたら、一番に聞かれると思っていたのに、小鳥は姫子の安否を確認してこない。
小鳥が眠っている間さんざん悩んだが、目を覚まして、小鳥から姫子について聞かれたら正直に事実を伝えようと決めていた。
だが、小鳥は何も聞いてこない。聞かれてもいないのに、あの小さな子供に母親の死を伝えるのはあまりにも酷だ。
「多分、あいつは姫子が死んだこと何となく分かってるんだと思うんです。だから、何も聞いてこない。」
聞いたら、姫子が死んだ事実をはっきりと突き付けられてしまうから。
「それでも…こっちから言い出すべきなんでしょうか?」
尊の相談に、医師は難しいところですねと言ってしばらく悩んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「今は、まだ体が弱っています。本人が知りたがれば事実を伝えるべきだとは思いますが、それまではそっとしておく方が良いでしょう。」
とはいえ、いつかは言わなければならない。精神的なケアも出来るよう、今度そちら方面の医師も紹介すると言ってくれた医師に礼を言い、尊は小鳥の待つ病室へ戻った。
「お医者さんは、帰ったのか?」
「ああ。明日からいろいろ検査だからな。今日はもう寝とけ。」
ベッドサイドの椅子に腰かけ、小鳥の髪をゆっくりと撫でる。
小鳥は気持ち良さそうに目をほそめされるがままで、すぐにうとうととしだした。
「寝るまで、ここに居てやるから。」
尊がそう言うと、小鳥は閉じかかっていた瞼を何やら必死に押し上げて、小鳥の髪をすいていた尊の指をぎゅっと掴んだ。
「やっぱり…寝ない。」
「何でそうなる。」
相変わらず考えの読めない小鳥に苦笑しつつ問いかければ、小鳥は眠そうな目でじっと尊を見つめて言った。
「…寝たら尊、帰ってしまうんだろう?」
「……。」
何だろう、この愛しい生き物は。多分自分は今、眉を垂れてずいぶん情けない顔になっていると思う。
「帰らねえよ。お前が寝たら受付行って宿泊許可もらおうと思ってたんだ。それがすんだら、ずっとここに居る。」
掴まれていない方の手でそっと小鳥の髪をはらい、露になった額に口づける。
そのままコツンと額同士をくっつけて、だから安心して寝てろと言うと、小鳥はゆっくりと瞼を閉じた。
指を掴んでいた小鳥の手から力が抜けて、眠ったんだと分かる。
そのまましばらく小鳥を眺めた。
あちこち傷だらけの小さな体。
真っ白な細い腕には点滴の痕がいくつも浮かび、手首や首、いたるところに包帯が巻き付けられている。
きっと、心だって酷く傷ついている。
ベッドで眠る小鳥の寝顔は穏やかなのに、とても痛々しくて。
扱い方を間違えれば簡単に壊れてしまいそうな、そんな儚さを感じずには居られなかった。
そして、この小さな愛しい子供を守らなければと、そう強く思った。
尊はいったん病院から出て、八仁へと電話を掛けた。
「…あ、親父、頼みたいことがあるんだけど……」
********************
目を覚まして一週間。小鳥は順調に回復していった。
一番深かった背中の傷も、問題なく回復に向かっている。
「小鳥、ほら口開けろ。」
スプーンですくったお粥を口元に差し出すと、素直に小鳥が口を開く。
今、尊は病院で用意された昼食をせっせと小鳥に食べさせている最中だ。
病院食を差し出しても、小鳥は何も言わずに食べている。
姫子が作ったものではないのに…
食べさせ終わり食器をトレーに戻すと、小鳥が散歩に行きたいと言った。
「昨日看護士さんが教えてくれたんだ。毎週木曜日は、屋上が開放されてるって。」
今日は木曜日。だから屋上に行ってみたいという小鳥に反対する理由もないので、車椅子を用意する。
リハビリをはじめ、小鳥はずいぶんと歩けるようになったものの、まだ屋上まで自力で行くのは無理だ。
窓から差し込む陽射しは強く、あまり日に当たっていない小鳥の体には少し刺激が強いかもしれない。
あいにく帽子はないので、屋上に付いたら小鳥の頭を覆ってやろうと、近くにあったフェイスタオルを持って行くことにする。
「んじゃ行くか。」
車椅子の上の小鳥がコクンと頷いたのを合図に、屋上を目指して車椅子を動かした。
*****
「やっぱ暑いなぁー。」
6月も半ばの今、 梅雨を感じさせないカラリとした快晴の中、日向に立っていると汗が滲んでくる。
さっそく、持って来ておいたフェイスタオルを小鳥に被せて、その姿に思わず吹き出した。
「…何だ?」
いきなり笑われ、キョトンとする小鳥。
「お前、童話に出てくる赤ずきんみてぇ。」
赤いタオルを被せたのがいけなかったのか。いや、とても愛らしくはあるのだが、何やら変なツボにはまって笑ってしまった。
「赤ずきん?」
「何だお前、赤ずきん知らないのか?」
不思議そうな顔で、小鳥がコクンと頷く。
「どんなお話だ?」
「んー、赤いずきんかぶった女の子がお婆さんと一緒に狼に食べられるけど、無傷で助かってハッピーエンドって感じだな。」
「…ホラーなのか?」
笑いながら、童話だよと突っ込むと、納得がいかないのか、小鳥は眉をしかめて首を捻っている。
「今度、絵本持って来てやるから。」
そう言って、車椅子を景色の良い場所まで動かした。
二人でしばらくの間、ただぼんやりと、空を眺めて過ごす。
ふと、小鳥がひとつの雲を指差した。
「尊、あの雲…桃に似てる。」
「あー、確かになぁ。」
そういえば病室の冷蔵庫に、八仁が見舞いに持ってきた白桃ゼリーが入っていたな、などと考えながら返事をする。
「部屋に戻ったら、桃ゼリーが食べたい。」
どうやら小鳥もゼリーの存在を思い出したらしい。
「良いけど、晩飯も残さず食べろよ。」
「…努力する。」
屋上に、小鳥と自分の二人きり。
ぼんやり空を見上げて、何て事ない話をする。
とても、穏やかな時間が流れていた。
「尊。」
「なんだ?」
「姫ちゃんは、死んだのか?」
何て事ない会話の中、視線を空から尊に移し、小鳥が言った。
いつか聞かれる日が来るとは思っていた。聞かれない事が不安で、聞かれる日を待ちわびてすらいたかもしれない。
それでもいざ聞かれると、一瞬返す言葉に詰まった。だが、返すべき言葉は決まっている。
「あぁ。死んだよ。」
小鳥の目をしっかり見つめ、たった一言、事実を告げた。
小鳥は、泣くでもなく、怒るでもなく、いつもの何を考えているのか分からない顔で、そうか、とだけ呟いた。
それきり小鳥は何も何も言わず、また静かに空を眺めだす。
尊も何も言わず、車椅子ごと小さな小鳥の体を背中から抱き締めた。
また無言で小鳥とぼんやり空を見上げる。
そういえば、小鳥が前に言っていた。姫子は、死んだ光は空の上に居ると小鳥に教えたのだと。
姫子の言い分からすれば、今は姫子自身も空の上ということになる。
非科学的な考えかもしれないが、死後の世界なんて、生きてる人間が都合良く考えればいいと尊は思う。
姫子は、空の上で光と再会できただろうか。願わくば、再会した二人が二度と離れることなく、幸せでありますように。
届くかどうか分からないが、空に向かって心の中で宣言する。
なあ、姫ちゃん。
小鳥は俺がもらうよ。
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