アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
小鳥の夏休み17
-
小鳥は、雀色の澄んだ瞳でじっと聖を見つめて返事を待っている。
並んでベンチに座っているので、いつもよりずいぶんと顔の距離が近い。長い睫毛に、透き通るような白い肌。
思っていたより小鳥がずいぶんと愛らしいことに今更ながら気付いた。
「…理由は?」
うっかり魅入ってしまい少し間が空いてしまったが、頭を切り替え尋ねる。
聖には付添人として尊に報告の義務がある。小鳥の願いをきいてやるのは難しい。
だが、頭ごなしに無理だと言うのもどうかと思うのでとりあえず理由を聞いてみた。
まあ大方、尊に心配を掛けなくないなどと考えているのだろうが。
小鳥は、ベンチが高くて少し地面から浮いていた足をプラプラと動かしている。
自分の足の爪先をぼんやりと見ながらポツリ、ポツリと話し出した。
「…言ったら、尊が怒るから。」
「怒る?尊がお前を怒るのか?」
聖が怒りを向けられる可能性なら多いにあるが、尊がこの件で小鳥を怒るなど考えられない。
「俺に怒ったりはしない。…けど、痴漢した男に対して、すごく怒ると思う。」
「それが、何か問題なのか?」
聖でさえ、あの痴漢にはかなり腹が立っているのだから、小鳥を溺愛している尊の怒りは相当なものになるだろう。
しかしそれが、痴漢にあった事を隠したい理由とどう繋がるのか聖には理解できない。
「…尊には、怒って欲しくない。俺と要る時には、いっつも、楽しいとか、嬉しいとか、幸せな気持ちだけを感じてて欲しい。」
怒りの向く先が自分だろうが、そうでなかろうが関係ない。
自分と居る時に、尊を嫌な気持ちになんてさせたくない。
そう、小鳥は独特のぼんやりとした口調で語った。
「尊はいつも俺の事を心配してくれる。心配かけて悪いなと思うけど、心配してもらえるのは嬉しいんだ。それだけ、俺を気にかけてくれてるって事だから。」
一言一言、丁寧に紡がれる小鳥の尊への気持ちを、聖は黙って聞く。
「でも、実際危ない目にあって、それを知った尊が怒ったり悲しんだり、嫌な気持ちになるのは嫌なんだ。」
「…お前は、こんな時でも尊のことばかり考えてるんだな。」
話せば話すほど、小鳥の中は尊で埋め尽くされていることが伝わってくる。
小鳥は痴漢なんて怖くなかったと言っているし、実際ケロリとしていたので聖もその言葉を信じていた。
けれど、いくら他人に関心が薄いからといって、理不尽に襲われて全く怖くないなんてはずがないのだ。
少しも傷付いていないはずなんてない。
話している間中、痴漢に舐められた耳を擦る小鳥の手の指先が強ばっているのに気付いて、聖はそう思った。
清峰小鳥は、他人に関心が薄い。
そして、それ以上に自分自身に関心が薄い。自分に対する優先順位が極めて低い。
いつでも尊が一番で、自分のことなどそっちのけ。
だから、自分が傷付いていることに自分で気付いていないのだろう。
小鳥は、自分の大事な人を優先するあまり色んなものが抜け落ちてしまっている。
痛々しいほどひたむきに尊だけを想う小鳥は、ひどく危うい。
そんな、危うい雰囲気が良からぬ輩を引き寄せるのだろう。
目には見えないし、本人に自覚もないけれど、聖には小鳥が傷だらけなような気がして放っておけなくなる。
「お前の言いたい事は分かった。けど、それでも尊には話した方が良いと思う。」
「でも…」
食い下がろうとする小鳥を遮り、聖は更に言葉を続ける。
「確かに痴漢の話を聞いたら尊は嫌な気持ちになるだろう。けど、お前がひどい目にあったのに、それを隠された方があいつはずっと悲しむ。」
「……。」
小鳥が無言のままへにゃりと眉をさげる。
「尊から、何かあったらちゃんと話せって言われてないか?」
「…言われてる。」
項垂れた小鳥の頭を、元気付けるようにポンポンと軽く叩く。
「まあ気持ちは分かるけどな、隠すのは無理だと思うぞ。」
聖の言葉に、小鳥は不思議そうな顔で首を傾げた。
「小鳥。」
よく知る声に名前を呼ばれ、小鳥の肩が大きくビクリと跳ねる。
「ったく、何かあったらちゃんと話せっていつも言ってるのに。」
尊が、後ろから小鳥の頭にボスンと顎をのせ、ため息をついた。
小鳥からは死角になっていたが、話の途中から尊は近くに立っていて、聖はそれを分かっていてあえて話を続けた。
おかげで小鳥の事情はすでに尊に筒抜けだった。
「小鳥、何があった?ちゃんと話せ。」
「…聞いてたんだろう。」
「俺は、お前の口からちゃんと話して欲しいんだよ。」
「……。」
小鳥の体を抱上げくるりと反転させ、自分と向き合うようにする。
尊は、座っている小鳥の目線に合わせて腰を屈めると、ぐっと顔を近付けた。
「…聞いても、楽しい話じゃない。」
「まあそーだろうな。でも俺は聞きたい。」
「…聞いたら、尊は嫌な気持ちになる。俺は、尊を、…幸せにしたいのに。」
「大好きな小鳥にこんだけ大事に想われて、俺は十分幸せだけど?」
「……。」
額同士をくっつけて、至近距離で尊が笑いかける。
長い付き合いだが、こんなにも優しく笑う尊を、聖は初めて見た。
その笑顔に観念したのか、小鳥は尊の手をギュッと握って、ゆっくりと電車でのことを話し始める。
そこには、完全に二人だけの世界が広がっていた。
この場に聖が居ることを忘れているかのように、小鳥の瞳には尊しか映っていない。
ほんの少しの会話で、尊は小鳥の意識を全て自分へと向けてしまった。
寄り添う二人には、他者が入り込めないような特別な雰囲気が漂っている。
目の前の光景を、聖はただ黙って見守るしかない。
なせが無性に、小鳥から一心に愛を向けられる尊を、羨ましいと思った。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
68 / 233