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愛を告ぐ
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〈1〉
「・・・愛してる。」
足の指が冷たくなり自分の心がつま先から抜け出て行く。身体が欠けていくような感覚に縛られて指先さえも固まってしまう。
返事を期待する瞳・・・そんな顔で見ないでくれないかな。
どうして皆同じ事を言い、同じ言葉を貰おうとする?
「愛してる」という言葉が向けられる度に、何かが少しずつ削られていく。
心が固くなりどんどん冷たくなる。
「俺のこと愛してる?」
・・・ほらね、そうやって確かめるんだ。
さんざん抱き合って、心地よい気怠さに漂っている時に限って僕に聞く・・・
いつだって、どんなときだって、僕はそんなこと言わないよ
どんなに寂しくても
どんなに相手の腕が欲しくても
だって・・・言いたくない
だけど、誰もそれをわかってくれないんだ
だから僕は、これからもこのまま削られ続けるんだろう・・・
〈2〉
結局いつものように紗江の前に座って、また一人ぼっちになった報告をしている。
いつものように「愛している」を言う言わないをきっかけに、僕らは言い争った。そして互いに悟った
・・・もう無理だね。
だから僕はこの部屋に一人で帰って来た。そしていつものように紗江を呼んで愚痴を言う。紗江と出会う前と友達になってから、同じことを何回繰り返しただろうか。
僕は何回「愛している」を言われた?
相手を何回「傷つけた」のだろう。
「実感がないのに言葉にするのは嫌なんだ。愛しているって言われるたびに自分が減ってしまう気がする。」
紗江は僕の話を遮ることはない。自分でもよくわからない心を言葉にしても、ちゃんと聞いてくれる。
わからないと言うより知らないからそう感じる。たぶんこれが答えだろう。
僕は「愛」が何を意味するのか知らないから。自分が無条件で愛されたという記憶も経験もない。
この世に生まれたということは両親が存在した。僕が生まれるだけの想いや感情があったと思いたい・・・認めたくはないけど、深い心があったのなら、僕は一人ではなかったはずだ。
二人の間にあった愛情の結果は捨てられたーそれが僕だ。消えた愛情とともに、この世に独り放り出された。
愛されたいと願うくせに、愛していると言われたら困惑だけが身体の中で燻る。「好き」と「愛」は何が違う?差し出された身体を受け取る。そこには人肌のぬくもりと二人だけの世界が存在する。交換しあった体温と共有した時間が重なっていくと、それが愛に変わるのか?
その境目がまったくわからない。受け取ったら返礼しなければならないのだろうか。無償の愛という言葉があるのに、お返しが必要?
わからない。気持ちが育つ過程も、愛しているという感情が・・・まったくわからない
「今度の人のこと、本当に好きだったの?」
「紗江のいう「本当に」ってどういう意味?」
「そのままよ。」
「・・・よくわからない。体の相性はよかったけどね。」
「由樹はいつもそう言うわね、体の相性はよかったって。」
「だって本当なんだ。誰にでも合わせられるのかな。」
「由樹に合わせてくれる人は?」
興奮もするし熱くなる。理性が役立たずになることだってある。愛を確かめる?いや・・・それとは違う。快楽を追う「作業」-それが自分にとって一番ぴったりする言葉だ。自分が気持ちよくなるために、相手にも気持ちよくなってもらう。自分にメリットがなければ相手を盛り上げる気にはなれない。
「好きなら相手が望むように言ってあげればいいのに。タダなんだしね。」
「紗江・・・減らないからってヤラせる?」
「ちょっと!それとこれとは話が別じゃないの?」
「僕にとってはたいして変わらないよ。」
「由樹はまだ誰かを好きになった事がないのよ。」
「紗江はあるんだろ?」
「どうかな・・・本当に好きな人にはまだ出会っていないのかもね。」
「かもねって・・・なんだよ。」
「その時がきたら由樹にちゃんと言うわ。」
「あっそ。」
ススキノの店で知り合った紗江は僕の知っているタイプとは違う女性だった。紗江は男として僕を見ていない。それがとても新鮮だった。来るもの拒まずの心根が見え隠れしているのか、誘いは常に周りにあって不自由はなかった。街を歩きさえすれば声がかかる。客にそれとなく口説かれることもある。髪を触るというやや性的なニュアンスがそうさせるのか、鏡の向こうから見つめ返す瞳の色ですぐわかる。僕を欲しがる相手と過ごすことでいつか愛情を手にできると信じていた。
でも愛しているという言葉をくれる誰もが、僕に「愛」がなんたるかを教えてくれない。
愛って・・・どこにいけば見つかるのだろう。
〈3〉
やっぱり・・・。
仕事を終えて店の外にでたあと、同僚と別れて地下鉄に向かうその先に男が立っていた。品よくスーツを着こなす30代半ばのサラリーマン。清潔な身だしなみと穏やかで柔らかい声をしていた。僕に対して髪を切る役割以上の興味を抱いていることを隠しもしない、男の視線と指先の動き。カットを終えて店を後にするまで、その男は何も言わなかった。言わなかっただけで、何度も通ううちに誘いを掛けてくるのは見え見えだったが素知らぬ振りをした。
まさか翌日待ち伏せをするほど積極的なタイプだったとは。
「今晩は。」
「こんばんは。」
「どうしても逢いたくなりました。」
「直球ですね。」
男は心持肩をすくめて目を細めた。出逢いに困らない、そして失敗したことのないタイプ。断られることに慣れていないことはすぐにわかった。断れば傷ついた顔をするのだろう。でもしつこく付きまとったり逆上はしないだけのプライドを持っている。他を当たれば代わりはいくらでもいる、そんな男。
「まどろっこしいのは嫌いでね。」
「それはこっちもだけど。ただ最初に言っておくけど、男も女も抱くほうが好きなんだ。」
「かまわないよ。」
「成立。」
並んで歩きながらススキノ方面に向かう。打ち合わせは必要ない。「お腹減ってる?」そんな気遣いもない。それはお互い様だ。
この男は「愛」を教えてくれるだろうか。
・・・たぶん無理だろう。愛をよこせと言うだけだ。ずっと愛をもらって生きてきたはずだから。
それは自分も同じで、互いに愛をよこせと言い合い短い関係は熱が引くように消えていく。
わかっているのに賭けてしまうのだ。
そのわずかな確率に。
〈4〉
季節が巡っていく・・・愛はみつからないまま、関わった男女の数だけが増えていく。だんだん諦め始めた心が透けて見えるのか最近は「愛している。」という言葉を聞くことが無くなった。体が削られてしまうと嫌がっていた言葉を聞かなくてすむのはいい事なのに、寂しいと感じてしまう。人間は欲張り、そして常に答えを欲しがる。形あるもの、無いもの、すべてを欲しがって手に入らないと嘆く。
身体を重ねる時間を繰り返していくうちに、目の前にある関係に意味を探すことをしなくなった。確率に賭けることもしない、多くを望まない。その場、その時間「必要」とされることを重ねる日々。
最近言われるのは「他に好きな人がいるのね。」という問いかけ。他?誰もいない。「いない」という答えに満足しない・・・誰もが。
相変わらず紗江だけは話を聞いてくれる。時に優しく、時に辛辣に。嘘がないと信じられる相手の言葉は素直に聞けるから不思議だ。
「由樹は付き合っている相手と何をしているの?」
「付き合っているかどうか・・・も定かじゃないよ。」
「美味しいものを食べにいったり、映画をみたり。色々な話をしたり。そういう過ごし方は?」
「してな・・・いな。言われてみれば。」
「じゃあ、なにをしているわけ?」
「セックスだね。」
紗江にじっと見られて居心地が悪くなった。セックスしかしていないのは事実で、それを恥ずかしいと思った事はなかったし、それでいいと割り切っていた。でも何故か紗江に言ったことを後悔する気持ちがグジグジとしみだしてくる。そんな時間しか過ごすことのできない自分を知られたくなかった。
「寝るだけの相手から気持ちはもらえないわよ。わかっていると思うけど。」
「わかっているよ。でも紗江が言ったこと、ちゃんとしてるし。」
「私が言ったこと?」
「映画を見たり、気になる店に行く、あとは話をする。」
「してないみたいな言い方だったじゃない。」
「・・・紗江としている。」
紗江は呆れた顔を遠慮なくこちらに向けた。言葉にしたあと自分が一番驚いた。唯一友達だと自信を持って言える存在が紗江しかいないこと。楽しい時間を楽しみ、共有している相手が紗江であること。
驚きのあとには困惑と焦り。ギュウと喉の奥が閉まる様な感覚と、気が付いてしまったことの重要性に対する混乱。
「由樹?」
「・・・なに。」
「自分を安売りするのはやめたら?もっと自分を大事に・・・違うわね。もっと自分に向き合ったほうがいい。」
「なんでそんなこと言うんだよ。安売りなんて一度も言ったことなかったのに。安売りしているつもりはないよ。わかってるだろ?」
紗江は頬杖をついて窓を見た。綺麗な横顔が目の前にあるのに、自分に視線があっていないだけでとても遠い存在のように思える。またしても落ち着かない気持ちが腹の底に溜まっていく嫌な感覚。
「私はもう、由樹の話を聞いてあげることができないの。」
「どういうこと?」
「電話も繋がる、2時間バスに乗れば顔だってみられる。でも逢おうとしないと逢えなくなるの。」
「・・・何言って・・・んだよ。」
「私、実家に帰るわ。田舎に引っこむことにした。」
目の前が真っ白になった。
淡々と話し続ける紗江の言葉が思考に引っ掛っては消えていく。
「親の意向でも何でもないの、私が決めたの。」
「サトは田舎に引っこんじゃダメだって気がする。あのこはここで生きていくべきだわ。」
「コンビニ経営よ?悪くないと思わない?」
決めた・・・悪くない・・・?
良い?悪い?
「寂しくなったら遊びにくるといいわ。」
「行くかよ、紗江こそ遊びに出てこい。」
そう返す自分の声は他人のようだ。グルグルとうねる渦が身体の中で暴れ続けて消えてくれない。
こういう時こそつま先から出てしまえばいいのに・・・
なくなってしまえばいいのに・・・
〈5〉
ふわふわトロトロの玉子、柔らかい鶏肉。ちょっと甘めだけどしっかり出汁のきいた醤油味。美味しいと評判の店で一人座って親子丼を眺めている。無性に食べたくなったから来たのに、目の前で湯気をあげている丼に手をつける気になれず、ぐずぐずしていた。
『美味しい!どうやったらこんな風にできるのかしら。』
紗江が驚きとともに言った言葉だ。瞳をキラキラさせてパクパク頬張りながら「美味しい」を何回も言った。紗江が作ったほうが美味しいけどね。そう言おうとしたけれど、あまりに紗江が美味しそうに食べるから言わなかった。
キラキラしていた、とっても。
のろのろと箸をとり、一口含む。トロトロの食感と出汁のしみたごはんが口の中に広がる。でもそれだけだった。美味しい、そうそうこの味、なんていう感想がでてこない。味を感じる前に咀嚼された親子丼が飲み込まれていく。何を食べても同じ・・・最近ずっとこんなことを繰り返している。
気分転換にみた映画も同じだった。見終わったあと感想を言い合って白熱したり感動を噛みしめることができない。本屋に行っても紗江が好きだった作家や買っていた雑誌にばかり目が行く。
一番最悪だったのは気が紛れるだろうと縋った人肌だった。それは余計に心を冷たくするだけで、温かみを感じることができない。無意味すぎる行動が引き起こす自己嫌悪に潰れそうになるだけだった。
紗江が言ったようにバスに乗れば逢うことができる。電話で話すことだってできる。何度も電話を掛けようとしたのにできなかった。顔が見えない相手と声だけで繋がる。どんな表情をしているかな?どんな服を着ている?そんな想像はより一人であることを感じるだけだとわかっていたから。電話をする前よりも落ち込む自分が見えて電話は諦めた。
『一口だけ食べて残すなんてお店の人に失礼よ。』紗江はそう言うに決まっているから、機械的に口に運ぶことを繰り返した。色々なことを思い出さないようにすればする程、紗江がいないという現実が堪える。2/3を何とか胃袋に収めて席を立った。
元気がないですね、体調悪いですか?最近は必ずスタッフに言われる。仕事にできるだけ集中して1日をやり過ごした後、帰宅した家で一人だと実感する。毎日顔を合わせていたわけじゃないのに、ずっと一人で生きてきたのに・・・どうしてこんなに一人ぼっちが苦しいのだろう。
紗江がいないと何も楽しくない。
紗江がいないと味気ない。
紗江がいないと自分に自信を持てない。
紗江がいないと
紗江がいないと
紗江がいないと
紗江がいないと・・・怖い。
怖かった。正直に向かい合ってくれる人、正直になれる人から離れるということがこんなに苦しいことだと思わなかった。寂しい・・・不安・・・怖い・・・
紗江・・・怖いよ。どうしたらいいのかな・・・
返事のない自分しかいない部屋。
ふいに溢れた涙がポタリと落ちる。目を閉じたのに、瞼の奥からどんどん流れ出てくる。
こんなわずかな水ですら止めることができない。
紗江が・・・足りない
〈6〉
「由樹・・・由樹・・・」
声のするほうに必死で腕を伸ばす。自分の身体がユラユラ揺れている、肩口が温かい・・・
「由樹?由樹?」
まだ夜が明けきっていない青い色の中に、紗江の顔がぼんやり見えた。
「由樹?大丈夫?」
「さ・・・え・・・?」
「怖い夢でも見た?」
目じりを紗江の親指が優しく滑り、自分が泣いていたことにきがついた。
「ゆ・・・め。」
「そう、夢よ。」
ありったけの力で紗江を抱きしめる。そこには体温も重さもちゃんとあって、安堵にまた一筋涙がこぼれる。
「大丈夫よ、ここは安心安全。代わり映えしないベッドの中。」
しがみつくように腕に力を込めても紗江は何も言わなかった。代わり映えしない?当たり前にいつもあるものこそが安心じゃないか。
「昔の・・・夢を見た。」
「どんな昔?」
「フラフラしていた頃、そして紗江がいなくなっちゃって、怖いって・・・泣いている夢。」
「ここは昔じゃないわ。ちゃんと今だから安心して。おかえりなさいって言えば少しは怖くない?」
「・・・ただいま。」
「おかえり。」
ふうう・・・ため息をつきながらこみ上げそうになる涙をやりすごす。いい歳して夢を見て泣くなんて。これで父親だっていうんだから情けない。
「私も綾子もちゃんと一緒にいるわよ。」
「・・・うん。」
「愛してるを誰もくれない、誰も教えてくれないってジタバタしてた。」
「そうね。でも今は違うわ。」
「うん・・違う。」
「由樹?」
ようやく腕の力を抜くと紗江の顔が見えた。手の甲で涙の跡を拭ってくれたから、また泣きそうになる。
「教えられるものではないし、答えもない。でも由樹は自分で見つけた。人を愛すること、愛される人間であること、それを見つけた。」
「紗江がくれた。」
「私がしたのは由樹から離れるっていう一か八かの賭けだけよ。」
「賭け?ぜったい追いかけてくるって思ってなかったの?」
「思うわけないでしょ。どれだけ由樹がフラフラしてたか知っているのに。」
「・・・そうだけど。」
「でも今はこうして二人で一緒にいる。父さんも母さんもいる。そして綾子もね。」
「うん。」
「それが大事よ。」
「そうだな。」
「ついでだから言っちゃおうかな。」
「何を聞かせてくれるのかな。」
「私が由樹に惹かれたのは、あなたが一人だったから。」
「一人?」
「愛情をもらって生きていくのが当たり前だった。両親や弟と仲良く家族という枠組みの中でね。でも由樹はそれを持っていなかった。だから・・・あげたいって思ったのよね。由樹にもそれをあげたいって。」
「そんな・・・素振りなかったじゃないか。」
「そんな風に誰かに何かしてあげたいって考えたことがなかったから自分でも驚いちゃったのよ。それに私が由樹と一緒にいたいなんて言ったら、その他大勢と一緒にされちゃうもの。」
「・・・だったのかな。」
「絶対、だったわよ。」
さっき夢にみた自分の姿が思い出されて照れ臭い。そして紗江がそんな風に想っていてくれたことが嬉しくてくすぐったくなってきた。
「私みたいにあって当たり前っていう感覚があると、上手に教えられない不安もあって。」
「不安?」
「そう、愛情ってとても大事で素敵なものだっていうことを綾子にね。」
「それは綾子が大事だっていう気持ちを持って一緒にいれば伝わるよ。」
「そうね、両親がくれたように「当たり前」だってことを伝えていくわ。」
「うん。」
「由樹はきっと私より「愛情」の素晴らしさを教えることができるわ。あなたはもがきながら「愛情」の正体を追い続けた。そして見つけて大事にしながら毎日を生きている。きっと私にはできない言葉や行動で、綾子に伝えられると思うの。」
「・・・紗江。」
湧き上がってくる想い。衝動のままに力いっぱい抱きしめる。
大事な人・・・
素敵な人・・・
君と生きていくよ、ずっと。
愛がたくさんの家族。
君と綾子に「愛している」を沢山言おう。
もう心が冷たくなることはない。
誰かを想うことはとても暖かいものだって、わかったから。
「紗江・・・愛している。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぱーるさんからのリクエストでした。麗しの由樹兄さんの華麗な恋愛遍歴、夜遊び風景でもいいです。という由樹の過去話を要望されました。夢落ちでもいいですという逃げ道もいただいたのでどうにか形になったといった所です。
華麗とはいいがたい、どちらかと言うと鬱々とした由樹の過去、そして現在です。
こんなんで大丈夫でしたか?
理の散髪をしているとき「紗江がいないのに、どこをみても紗江が見えて初めて一人泣いた。」みたいなことを言いますよね。
ぱーるさんのリクエストと由樹の一行の言葉がうまく合致してエピソードになりました。
これで由樹ファンが増えてくれるといいですね、ぱーるさんww
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