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十四
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夜四つ(二十二時)を告げる鐘が鳴った。名目上、吉原の見世が終わる時間だ。唯一の出入り口である大門も閉じられるので、善右衛門様は帰ってしまうだろう。
取り留めもない話しかしなかったが、幸せな時間だった。きっとお会いできるのはこれが最後だ。平静を装いながら、俺はゆっくりと善右衛門様との残り少ない時間を噛みしめていた。
「そんなに寂しげな顔をするな。好かれているものと勘違いしてしまいそうになる」
手を握るだけで何もしなかった善右衛門様の顔が近付いてきた。思わず目を閉じる。待てども待てども唇に触れるものはない。なんだ、口吸いをされるかと思ったのに。
そしてそれが嫌ではない自分に驚いた。漫然とした寂しさを埋めるためじゃなく、善右衛門様に触れたいと思った。触れてもらえたら心が安らぐような気がした。
なれど触れてもらったとしても今限りのもので、この先どうなるものでもない。自分からねだれば善右衛門様は応えてくれるかもしれないけれど、互いに辛くなるだけだと思いやめておいた。
「もうお会いできないと思うと、寂しくもなります」
心よく見送ろうと口を開いたのに、すがるような言葉が飛び出してきた。慌てて善右衛門様から距離をとり、笑顔を作る。
「手練(技)のほうはご披露できませんでしたので、手管(駆け引き)くらいはお見せしようかと。せっかく吉原に来たのですから」
声が震える。本当に、善右衛門様の顔を見るまでは上手くやっていたのだ。
嫌々仕事をしていたのでは、琴乃や他のおなごに申し訳が立たない。気まぐれで俺を陰間に取り立てた札差の長倉屋や、金に目が眩んだ楼主のことは恨んでいるが、吉原にいるおなごは皆精一杯生きている。嫌々やるということは、遠回しに蔑んでいるのと同じ事だ。
だから俺も精一杯にやることにした。そうやって琴乃の年季が明けるまで生きようと決めていた。ただ唯一、善右衛門様にお会いできないことだけが悲しかった。
離れた俺を善右衛門様は強く引き寄せた。俺が発したのと同じくらい切なげな声が頭上から降ってくる。
「また、会いにくる。頻繁には来れずとも、必ずまた会いにくるから」
嬉しい。俺だって会いたい。だけど、
「金をどぶ川に捨てるような真似はしちゃいけません。俺にそんな価値はありませんから、無駄になります」
本当は、会いにきてくれるという善右衛門様の言葉が嬉しいのに、俺の口から出てくるのは断りの台詞。
「では無駄にならぬよう商いの手伝いをしておくれ。ここで生活している誠吉ならば、新しい品物の案を思いつくかもしれない。その品が売れて揚代以上に儲かるならば、ここへ来る意味も価値もある」
「思いつくかも、売れるかもわかりませんよ」
「……もしそうだとしても、私が日々を送る張り合いにはなるのだ。誠吉が居ればもっと私は頑張ることができる」
強く身体を抱かれ、鼻の奥がジンとする。おのれに芽生えた気持ちは、善右衛門様と同じように恋情なのかわからない。それでも善右衛門様と離れるのが寂しくて仕方ないのだ。
そっと広い背中に手を回した。
トクンと大きく脈打ったのは、善右衛門様の心臓か、おのれのものかわからない。けれど、善右衛門様の腕の中がひどく心地良い。
「お願いだから、また会うと言っておくれ」
善右衛門様は懇願するように俺の耳に囁いた。
俺だって、お会いできるものならば、何度でもお会いしたい。その腕に抱かれて一時の夢を見ていたい。善右衛門様への返事の代わりに、その背を強く抱きしめた。
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