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暗し眩し
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「あ、おはようございます」
「おはようございます」
ーーこのアパートに越して来て半年。
ちょうど同じタイミングで出勤らしいお隣さんに挨拶をし、今日は階段で降りようかと一瞬迷う。
が、今日に限ってやたらと多い資料とパソコンの重さを考え、更には最近痛めた腰のことも考え、結局一緒にエレベーターに乗り込んだ。
下りだと何階ですか、というやりとりが無いのがしんどいほど、何を言っていいやら分からない。
なにせ生粋のお人好しで気が弱い俺は、こういう沈黙が耐えられないのだ。
お隣さんはそれはもう涼しい顔をしているがーー
「今日、暑くなりそうですね〜……」
結局そんなどうでもいいことを震えながら言ってしまって、クールなお隣さんはきょとんとこっちを見返した。
馬鹿ですみません、と謝りたくなるが、意外なほどあどけない毒気のない顔でちょっとどきりとする。
「……そうですね」
それでちょっと微笑まれて、今度は俺のほうがぱちくりしてしまった。
「でもやっと洗濯物片付きそうで良かったですよ。ずーっと溜まりっぱなしだったんで」
思いがけず話を続けてくれて、不覚にも嬉しくなってしまう。
「そうですね、乾燥機欲しいくらいでした」
とは言うものの、正直一人暮らしだから俺はそんなに困らなかった。
そもそも洗濯が二日に一回だし。
けど、そう言ってしまって向こうの家族構成に話が及んでしまっては事だーーー
「あれば便利でしょうね。でもなんとなくやっぱり天日干ししたくてーー」
「ああー分かります!信用しきれないっていうか」
「そうそう、多分見くびってるんでしょうけど……」
苦笑いしているお隣さんの口調の気軽さに、俺は心底ほっとしていた。
別に悪い印象を持っていたわけではない。
入居の時に挨拶した時もきちんとしてて、少し神経質そうだけどいい人っぽくて良かったと安心したくらいだった。
けど、この人が一人暮らしじゃないらしいと徐々に分かってきて、そしてその同居相手が男だったからーーー
ーーちょっと偏った目で、見てしまっていたと言うか…………
遠巻きにしていたと言うか…………
(ほんとすんませんでした…………)
心の中で土下座で詫つつ、アパートの門で反対方向に別れた。
ーーその同居人、少し歳が離れているように見えたし、最初は兄弟とか親戚かなと思っていた。
けれど、ごくまれに漏れ聞こえる会話が、敬語まじりのようだった。
いや断じて耳を澄ましてたわけではない。
窓を開けてるときとかに、語尾の「ました」とか「ですよね?」が聞こえる程度で。
となれば親族ではないし………
それに一度、夜中にコンビニに買い物に出た時、二人揃って犬の散歩をしているのを見てしまった。
その時の雰囲気が何ていうか、ラブラブってわけじゃないんだけどどう見ても恋人同士って感じでーーー
ーーーゲイカップルかよっ………!!!!
と、その当時は思ったものだった。
やめてくれよと。
別に自分に害があるわけでもないのに。
ーーけれどその時の、触れ合ってるわけでもないのに愛し合ってるんだろうなっていう、あの雰囲気………
(幸せそうだな)
ーーと、生まれてこの方彼女がいたことがない俺は、妙に何度もしんみりと思い出してしまったのだった。
あんな風に思い合える人と一緒に暮らすってどんな感じなんだろう。
世間には、俺みたいな不躾な馬鹿とか、もっとひどいこと考える人とかいるだろうからきっと楽しいばかりの生活でもないはずで、でもああして貫こうと思うっていうのは…………
(凄いよな………)
そう思うと同時に自分が情けなくなる。
誰に憚られるわけでもないのに彼女も作れないでーー
乾いたため息をつきつつ、自作の弁当を食べ終えて携帯のアルバムを開く。
(……まあ俺にはムーがいるからいいけどね!!!)
ピンクの肉球ともふもふとお腹の写真に癒やされつつ午後の仕事もつつがなく終えて帰路についた。
猫缶と、手抜きのための惣菜を買って部屋の扉の前に来ると、焼きそばみたいなカレーみたいな、ピリッとした良い匂い。
(お隣さんいっつも飯うまそうな匂いなんだよなーーーーくそーー………)
また裏寂しい気持ちになり、決して出迎えてはくれないムーを撫でてやっと気分は平均値まで上昇した。
「あんま食欲ねえなー……」
つまみを多めにして、晩酌だけで済まそうか。
そう思って冷蔵庫を開けるとーー
「ビールねえーーー………!!!」
その場についた膝が痛い。
しかし、それ以上に心が痛い。
「2本て!2本て!!足りないよ!!!」
グラスまで冷やしておいたのに………。
冷蔵庫のドアが勝手にぱふんと閉まってもしばらく立ち直れず、無理に立ち上がると今度はおかしなテンションになる。
「もーー箱買いしてやる!!ムーちょっと出掛けてくんね!」
勇んでそう宣言すると、先に飯をよこせと猫パンチを喰らい、仰せのままに缶を開けてから少し落ち着いて着替えだけ済ませ、また買い物に出る。
明日も暑くなるらしい、真っ赤な夕日が目に痛かった。
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