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暗し眩し 2
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「ぐっ…………!!!」
ーーーー腰が痛い。
アパートのエレベーターホールで俺は一人悶えていた。
(なんで箱買いなんかしたんだ俺は…………!!!)
いや、買ったのはいいんだ。
これで酒が足りないなんて言わさんと、意気揚々とビール箱抱えて車に積んで、それをまた下ろすまでは問題なかったんだ。
そこからほんの十数メートル歩いただけで、腰がピッて言ったんだ………………
(もうビールここに置いて帰るだけで精一杯だろこれ…………)
せっかくわざわざ買いに出たのに?
骨折り損のくたびれ儲けどころの話じゃないだろ、これ。
ーーーそんなの、そんな惨めなのこれ以上は許さん!!!!
「おらぁ……………っ!」
気合を入れてほんの数センチ持ち上げてはみたもののーーー
ーーーダメだ、頭までピッて来た…………。
(マジかよ…………)
もう、車にすら持っていけない。
と言ったってここに置いておくわけにもいかないーー
共用スペースに物置くなって言われるか、盗まれるか。
いや、もう「ご自由にどうぞ」って書いて置いておこうか………
形はどうであれ、本格的に運ぶのを諦め始めていると背後から足音が。
ポストでも確認しているふりをしておこうかーーー
「こんばんはーー」
「こんばんは……」
挨拶は少々訝しげだった。
姿勢が猿の反省そのものだし、挨拶は返すくせに振り返りもしないんだから余計怪しいだろう。
しかし今の俺は首すら動かせないのだ、本当に。
「あの……大丈夫ですか?」
「あっはいッ、大丈夫です………っ」
後ろ姿ですらやばそうなのか。
気の弱さと恥ずかしさから反射的に大丈夫とは言ってしまったものの、背後の住人は信じていないらしい。
誰も身じろぎしない静かなホールに、彼が連れているらしい犬の呼吸がハッハハッハ響いていた。
「良かったら俺運びましょうか」
「えッいだっ!!!」
「うわぁあ大丈夫ですか!!」
「はいぃ………」
驚いて振り返ろうとした瞬間に走る電撃。
慌てて俺を覗き込んだのはお隣さんだった。
朝に会った人じゃなく、そのもう一人のーー彼氏の方。
「あれっ、こんばんは」
「こんばんは………」
余計に恥ずかしい。
しかしこの人、男前だとは思ってたけど行動も男前だな。
「腰ですか、あれだったら病院とか……タクシー呼びます?」
「いえいえ!休んでたら治るんで!!」
「そうですか……?じゃあやっぱこれ運びますよ。歩けます?」
「た、たぶん………」
連れている大型犬のリードと小さなスーパーの袋を手首に通すと、彼は至極軽そうにビール箱を持ち上げる。
一方俺は、腰を伸ばすことも曲げることも出来ずゴリラみたいに、彼が呼んでくれてたエレベーターへとじわりじわり乗り込んだ。
この格差と言ったら、もう。
彼は笑うでもなく、気の毒そうに俺を見ている。
「腰はほんっと辛いすよね……あ、すみません返事しなくていいですよ」
「さ、さすがに喋るのは大丈夫です………」
ただ、笑おうとしたら響いてしまったから説得力など一つもない。
その後も彼は俺がエレベーターを降りる間ドアを開けておいてくれ、牛のような歩みに付き合ってくれ、家のドアまで開けてくれた。
傍らの犬もゆっくりそれに付き合ってくれる。
凄いな……ムーではこうはいかないだろう。
「ほんと大丈夫ですか、鎮痛剤とか持ってます?」
「な、ないっす………」
「じゃあうちの分けますから、ちょっと鍵閉めないでてください」
「えっ?いや、申し訳なーー」
い、と言おうとしたところで、玄関の外にいる彼は誰かから呼びかけられたようだった。
「あれっ和兄……じゃあ、ちょっと待ってて下さいね!」
「えっ!」
そう言うと彼は出ていって、ドアの向こうから漏れ聞こえる会話だけが響いた。
「なんだよ、こんな早く来るんなら買い物頼めば良かった……ちょっと下でこいつの足洗ってきてくんね?」
「……った、……くんは?」
「もうすぐ………、………だよ、あっち。…………」
そのくぐもった声が聞こえなくなっても俺は呆然としていて、やっと我に返ってから数分後、呼び鈴が鳴る。
「はいっヒッ…………!!!」
「あー……すみません、開けますよー、」
そう言って、お隣さんは控えめにドアを開けた。
申し訳無さそうな顔をしているが申し訳ないのは俺の方だーーと思ったところで、お詫びもお礼も言っていないことに気がついた。
「あのっーー」
「これ薬……、えっ?」
「あっいや、何から何まですみません!ほんとありがとうございます」
「あはは、いえいえ」
からからと笑われると、こっちが赤くなってしまう。
恥ずかしいのもあるけど本当に男前だな、この人。
「あとこれ、少しですけど食べてください。飯作るの大変でしょ?」
「ええぇ!マジですみません!!」
一見なんなのかは良く分からないけど、さっき嗅いだのと同じ良い匂いがするタッパを渡されて俺は泣きそうになった。
こんな親切にされちゃって良いんだろうか、俺ほんと失礼な目で見てたのにーー。
「えーーっと……ほんと大丈夫ですか?」
「ああぁすみません大丈夫です!」
ちょっと涙ぐんでしまった俺を見る彼の目は若干引いている。
「本当にありがとうございました!俺なんて言っていいか……落ち着いたらちゃんとお礼させてください」
「いえいえ、ほんと大したことないですから。それじゃお大事に……あ、うち今日ちょっと人集まるんですけど、静かにしますから」
「あっ全然っ!」
首を振ったらまた腰に響いて固まってしまう。
それを見て彼はまた眉を顰めた。
そりゃそうだろうな、このまま俺がどうにかなったら寝覚めが悪いに違いない。
「……あのー、分かってるとは思うんですけど、足腰温めて、できるだけ動かないで下さいね」
「えっ、冷やすんじゃなくて?」
お隣さんの顔がちょっと呆れ顔になって俺は少しビビった。
顔が整ってる人って、怒ると怖い……いや怒ってはいないだろうけど………
「温めてください、入れそうなら湯船も入ってください。これ痛い?」
「いだぁー!!!」
「あー……神経に行ってるな」
なんか怖いこと言われた。
って言うか触られたの肘あたりなんだけど、本当にもう飛び上がりそうなほど痛くて涙ぐんでしまった。
「多分尻の筋肉ガッチガチになってると思いますよ、寝っ転がってネットで当てはまる症状調べて。ツボ押しながらマッサージすれば少しは楽になるから……あーでも無理なストレッチはしちゃダメですよ!分かった?」
「は、はいっ」
引き締まった表情でタメ口混じりに言われると、後輩のような気持ちになってしまう。
事実俺よりはいくつか年上だろうし、当然ちゃ当然なんだけど。
「じゃあ、ほんと無理しないで。ゆっくり体休めてください」
そう言って彼は部屋を出て行った。
ゆっくりだけどきちんと頭を下げると、空きっ腹だけど薬を飲んでどうにか寝室に向かう。
ムーにご飯やっておいて良かった……。
ベッドに寝転がり楽な体勢を探して言われた通りにネットを立ち上げる。
と、その途端に着信。
叔母だった。
「はいー」
『あ、久しぶりー。彼女出来たー?』
「いきなりそれかよおばちゃん」
『おばちゃんって言うな童貞』
「ぐっ………」
叔母とは言っても、姉である俺の母とはかなり歳が離れてるからいとこのような感じではある。
このノリを見てもらえれば分かる通り。
「つーかね、腰ぎっくり来ちゃってんだ今……」
『えっ、大丈夫?動けてる?』
「なんとか……」
一通り経緯を説明すると、電話の向こうから深々としたため息。
『あんた……ほんと早く彼女作りなさいよぉ。もう若くないんだからー』
「若いよ!22だよ!!?」
『体に不安が出てきたらそういうのもう通じないから』
「ぐぅ…………」
ーー確かに、恋人、結婚、子供ってそういう側面もあるよな。
世話し合うとか、老後のこととかーー
(お隣さんはその辺も放棄ってことだよな……)
でもなんか、俺が憧れるのはそっちだなーーー
「例えばさぁ……」
『ん?』
「俺がまぁ、伴侶を得たとするじゃない」
『え、うん……』
「引かないでよ」
『言葉のチョイスがちょーっと気持ち悪かったかなー』
「………。でさぁ、子供が出来なかったらどうだろ?やっぱ親的には孫が抱けないって嫌なもん?」
『……まあうちの子まだ小学生だからあれだけどーー』
声のトーンが少し下がる。
『授かりものだからね。いればそれに越したことはないけど……夫婦で幸せならいいんじゃない?あたし的にはだけど』
「そっか………」
ーーそういうものか。
『………………えっなに!?もしかしてあんたか彼女かどっちか不安あるの??それはね、いいと思うよ!こうよく相談して、納得できるんならーー』
「ちがっ……違いますぅ!残念ながら違いますぅー!」
本気で気遣わしげだった声が一気に乱暴になって、なんじゃいふざけんなと一言。
そこまで言われるか。
「いや……さっき言ったお隣さんさ、男二人で住んでるっぽいのよ。けどなんかこうすげーいい感じなの、幸せそうで。今日とか、ご家族とか何人か来て食事してるみたいだしさ。なんかちょっと憧れた」
『…………………』
「…………………」
『…………あんたちょっとそれは寂しすぎておかしくなっとる』
「切ります。」
通話を切って携帯を置くと、背後でベッドが少し沈んだ。
ムーが入ってきていたらしい。
「んにゃー……ムー来たのかー……」
相も変わらず返事はないけど、ムーは俺の腰のあたりで丸くなった。
(あ、気持ちいー……)
そういえばお隣さん、腰温めろって言ってたな。
そこから続々とアドバイスを思い出して、また携帯を取る。
と、出るわ出るわ自分と同じ症例。
読み進めるのが怖くなって、できるだけ前向きに痛みを和らげる方ーーツボを探すのにシフトした。
(うわ、ほんとに尻中心だなツボ)
後ろ手に探ってみると、その動きが面白かったのかムーが俺の尻を踏み踏みし始める。
「あ、ムーそれ気持ちいいわ……ありがとー……」
しばし、無心でピリピリ言ってる尻えくぼを押す。
ーーあんたちょっとそれは寂しすぎておかしくなっとる。
「……………分かってるよーだ……」
ーーでも本当に良いと思ったんだよ。
先輩たちとか、同期の何人かは結婚してよくその愚痴を聞かせる。
もちろん愚痴ばかりじゃない、幸せ自慢のことだってあるけど、どう好意的に聞いても俺じゃ耐えきれないなって話もある。
そういう人たちの誰よりも、お隣さんは満ち足りて見えた。
世間で堂々とできなかろうと、子供ができなかろうとーー
ーーでもそれはそれで、俺には耐え切れないんだろうな。
「俺だっせー……」
お隣さんどころか、同僚たちのようなありふれた幸せすら掴めない俺が。
「なに粋がってんだか…………」
同意するように、ムーが鳴く。
少し笑ってしまったけどそれほど腰には響かなかった。
良くなってきてるのかな。
(この腰が治ったら………)
ーー合コンでも行ってみよう。
また、ムーが鳴いた。
おわり
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