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翌朝、約束よりも20分遅れで、マイクロバスがホテル前に来た。
フランスに限らず、海外では時間にルーズだと知ってたから、そうイライラせずに済んだけど。日本人用のツアーなんだから、日本人の感覚に合わせろよな。
日が長ぇから気も長ぇのか?
昨日、結局陽が暮れたのは、午後10時近くだった。いや、確かに日本でも夏至は6月だし、それなりに日は長くなるけど、ここまでじゃねぇ。
1日が長ぇと、「そんなに急ぐことねーだろ」って気分になれんのかな?
でも、パリでは日本人の経営する日本食レストランが人気らしいって聞いたけどな。
味とか物珍しさもあんだろうけど、それよりスタッフの動きがキビキビしてて、料理の出てくんのが早い、って評判だっつー話だ。
確かに、昨日ホテルで食った晩メシも、食い終わるまでに相当かかった。
食い終わった皿を下げに来んのも遅いし、次の料理が来んのも遅い。
美味かったからいーけど、これでもしオレがフランス語堪能だったら、会計ん時に絶対イヤミ言ってる自信がある。
連れがいりゃ、こんな時、談笑して時間つぶすんだろうけど……1人だし。
お蔭で昨日の写真男のこと、ずーっと頭から離れなかった。
オレを乗せたマイクロバスは、色んなホテルをぐるぐる回り、1人、2人と客を拾った。
全部で10人くらいになっただろうか。
「皆様、おはようございます。それではこれより、ノートルダム大聖堂へと参ります」
シリル=バローが、昨日と同じビミョーなイントネーションの日本語で言った。
ホテルめぐりをしてる内に、割と近くまで来てたらしい。セーヌ川を渡ったと思ったらすぐ、角を左に曲がる。すると途端に、目的の大聖堂が見えて来た。
パリの街並みに溶け込む、白っぽい石造りのゴシック建築。四角い本体の上に、同じく四角い塔が左右に2つ載っている。
「塔の上にも昇って頂けます。滞在時間は、1時間の予定です……」
じりじりと近付く大聖堂をバックに、シリルが簡単な説明を始める。
けど、オレはそれを聞いちゃいなかった。
「あっ」
思わず声を上げ、バスの車窓にかじりつく。
大聖堂の手前、広い広い石畳の広場の横を、昨日の青年が歩いてた。
駆け寄って声を掛けようかとも思ったけど、バスが停車する前に思いとどまる。
よく考えてみりゃ、ただの通りすがりだし。
オレが一方的に見てただけで、あいつにとっちゃオレは無関係の他人だ。
落とした写真を渡してやる事も考えたけど、そういや写真は、ホテルの部屋に置きっぱなしになっていた。
それに……人違いかも知んねーし。
けど、そうは思うものの、気になって仕方なかった。
最後の審判が描かれてるっていう門も、33メートルもある高い天井も、キリストの像も、全部が上滑りに頭の中を素通りする。
「この上には、たくさんの種類のシメール像があります。シメール像には魔除けの意味があって……」
シリルの説明をぼんやりと聞き流しながら、400段近い階段をぐるぐると昇る間も、あいつのことを考えてた。
凱旋門でも、彼を見かけた。
バスに乗ったまま、カルチェラタン区域を回った後。
パリ市庁舎、ソルボンヌ大学、パンテオン……名所らしき名所のどこにもなかった黒髪のふわふわ頭が、地下道から現れてドキッとした。印象的なつり目がちらっと見える。
「あの地下道って、何だ?」
側にいたシリルに訊くと、道路の反対側に出る地下道だと教えてくれた。
凱旋門は、地図で見るとよく分かるけど、放射線状に12本の道路が延びる、円形広場に建っている。
その広場をぐるっと囲む円形道路には横断歩道がねーから、代わりに地下を行くらしい。
「地下鉄でここに来る時は、皆さんも使って下さい」
シリルの説明をぼんやりと聞きながら、例の青年をじっと見る。
地下鉄で来たのか。
観光客か?
彼はやっぱり、周りを不安そうに見回しながら、泣きそうな顔で――写真に視線を落としてた。
途方に暮れたような顔。
頼りなく下がった眉。
はぐれた連れを探すように、周りの観光客に向けられる目。
そして、その目からつうっとこぼれる大粒の涙。
その涙を手の甲でぬぐって、彼は写真をしっかりと握ったまま、展望台へのチケット売り場に入ってく。
あいつ、展望台に上がるんかな? 上がるんだよな?
「皆さんのチケットはありますから」
そう言うシリルに先導されるまま、オレは彼より先に、展望台へのらせん階段をカツカツと上がった。
そして1つしかねぇ階段から、あの印象的な顔が、頭が、昇って来んのを見守った。
その後彼は予想通り、展望台で泣きながら、数枚の写真を破ってたけど――なんでそんなことをすんのかとか、誰の写真なんだとか、結局何も訊けなかった。
声すらも、かけらんなかった。
こんなに気になって仕方ねーのに。
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