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冬、訪れた変貌 第三章 ②
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「あなたが、田村幸昌さん?」
聞こえた声は、優しく彼に降り注いだ。
目線だけで、彼は答えた。
視線の先に見えた人物は、透けるような状態の精神体。
「俺は、中条秀と言います。あなたの声が、聞こえたから……」
どうしたものかと、彼は思う。
言葉を発せないので、申し訳ないと心で彼は謝った。
「謝って欲しいとかじゃなくて……えーっと……」
悩んでいる青年の姿に、彼は何を返せば良いのかわからなくなる。
言葉はなくても、その青年が自分の思いをくみ取ってくれることが、彼にはありがたかった。
「うーん。そうですね。勇は、平気ですよ。ちゃんと守ります」
彼の心に沿うように、穏やかに青年は話す。もしかしたら、青年の言葉は、彼の心に直接語りかけているものかもしれない。
霊力の失われた彼にも、見える存在としてそこにいる、青年の力の強さに、彼は感嘆する。
精神体だけで、そこに在り続けられる強さ。純粋にすごいと、彼は思う。
同時に、息子の無事を、守ることを約束してくれた青年に、彼は涙していた。
たしかに、彼は中条の彼らに、何かできることがないか、と考えていた。けれど、ここまで格の違いを見せつけられたら、自分は何もできない小さな人間だと、感じてしまう。
「あなたは、決して小さな人間じゃない。こうして、死の淵にあってさえ、勇のことを心配して、さらには俺たちのことも心配してくれた」
優しく彼に降り続ける言葉。
「約束します。勇をここへ、連れて来ても良いですか?」
問いかけに、彼はそっと心で頷いた。
成長した、息子の姿を見ていない。見たいと思っても、もはや自分は動けない身。
それを悟って、青年は息子をここへ連れて来てくれるという。
放置した、自分を息子はどう思うだろう。
母を守れなかった、自分をどう思うだろう。
それでも彼は、息子に会いたいと願った。
「少しだけ、です。待っていて下さい。天野を俺たちが、どうにかするまで」
優しい穏やかな力が、彼の体に沁み渡った。
忘れていた、霊力の欠片が、彼に宿るように。生命の源に。
「天野を、どうにか、できるのかい?」
掠れた声。しばらく声を発しなかった喉が、ひりついた。
それでも、青年の分け与えてくれた力のおかげで、自分は少しだけ生き延びる。それが、感じ取れた。
「今は、まだ。でもあと少しです。俺の力が戻るまで。天野は精神体で、誰かの体を乗っ取って生きている。今は、俺たちの仲間の体です。だから、俺たちは仲間を取り戻すとともに、天野を消し去る」
驚いた。色々なことに。
青年の力が、これですべてではないことに。
天野が精神体で、生きていたことに。
彼らの仲間の体を、乗っ取ったらしいことに。
「私が、数年しか、天野を封じられなかった、せいだな」
自然、自嘲の笑みが浮かんでしまった。
そのたった数年の封印でさえ、自分には過ぎた力で、こうして死の淵にいる。
「そんなことはない。いつかは誰かが、気付いていた。それが、俺たちだったというだけです。前の体を使い物にできなくしたのは、間違いなくあなたの力だ」
青年は、彼に優しい。
今、青年の仲間が、天野の手の中に落ちたというのに。
「俺は、天野を許しません。あなたと、勇の為にも」
静かに青年は言った。それは、天野が勇の母親を殺したことも、怒っているという意味だった。
「君は、とても、優しいな」
静かに涙しながら、彼はそう言った。
勇と彼が出会ってから、数ヶ月しか経っていないのに。それなのに、勇の為に憤ってくれている。
初めて会った自分の為に、憤ってくれている。
「優しくは、ありませんよ。あなたが、誰よりも優しいから。だから、その影響です。……次に会う時は、普通の姿で、勇と一緒に」
青年はそう言って、彼の前から姿を消した。
青年は自分は優しくないと言った。そんなわけは、ない。
死を目前にしている自分に、少しの猶予として、分け与えられた、暖かな力。
何よりも、会いたいと願った息子に会うだけの猶予を、彼はくれたのだ。
「ありがとう……」
もういない青年へ、静かに彼は言葉を綴った。
※
「う、ぐ……」
自分の力に、ここまで翻弄されるとは、秀は思ってもいなかった。
普段は静かに姿を消して、傍にいるだけの存在の式神や式が、自分を抱き締めていることに、気付いている。
彼らにすがりついている自分がいることに、秀は気付いている。
溢れ出す力は、弱い式たちには辛いものだ。
「下がれ」
そう言うが、彼らは自分を支えようと、傍から離れなかった。
「來雅(らいが)、駄目だ。彼らを下がらせてくれ」
すがり付く腕を、式神にのみ伸ばし、他の式を下がらせるように頼み込む。
自分でまだ、制御できない。悔しい思いとともに。害にしかならない力の本流を叩きつけられてしまう式たちを、どうにかしたかった。
來雅の目線が、式たちに向く。だが、誰一人としてその目線に、頷きはしなかった。
「秀、力を一端抜きなさい」
優しく來雅が言う。彼らを下がらせることは不可能と感じ、それならば、己の主に力の制御をしてもらうのが先になる。
すがり付く腕は、力が入りすぎている。体も強張ったままで。
少なくとも、幼い頃は幼いなりに、この力を扱えていたのだ。こうまで翻弄されているのは、秀自身が構えすぎているから。
「はっ、來、雅……」
静かに目を瞑り、秀は何度か深呼吸をする。
來雅にすがる秀の手の力が、少しだけ抜けてきた。
「秀、大丈夫です。あなたの力が、彼らを傷付けるわけがない。安心なさい」
來雅は、主の頭を静かに撫で続けた。
ずっと、封印していたのだ。その力をいきなり解放した。
それなりのリスクがあることを、秀も來雅もわかっていた。
式たちも、秀の本来の力を知っている。知っていて、式に下ったのだから、当たり前だ。だから、主に下がれと言われても、下がらない。自分より各上の來雅に言われようと、下がりはしない。
彼らだって、主を案じているのは、來雅と同じ。力は弱いかもしれないが、主の力が自分たちを傷付けないことを、誰よりも知っている。
「身の内に、抑え込もうとしないで。自然に、あなたの力はあなたの体に宿るもの。大丈夫です」
静かに來雅は主に言い聞かせる。
秀が、封印した力を解放するのは、仲間の為。
頑なに、他人を拒絶していた主が見せた、仲間への優しさと、信頼。
その心を、守りたかった。
だからこそ、式たちも下がろうとしていないのだ。
秀の呼吸が、自然なものに変わって行く。
本来の力が、制御不能に暴れていた姿から、秀の体に自然に宿るものへと変化した。
「平気だ。悪かった」
主は式たちを案じて、言葉をかける。
「それから、ありがとう」
來雅にも、式たちにも。静かに言葉をかける主の姿は、昔見慣れた清浄な空気を纏う、美しい姿でそこにいた。
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