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台風の夜 2(藍川の話)
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私の両親は、夫婦で小さな喫茶店を営んでいました。
だから、私が高校生になると、夕食を作るのは私の仕事になっていました。
高校卒業後、短大に行かせてもらいましたが、卒業近くになって父が病気になったので、就職はしないで家や店の手伝いをすることになりました。
父が亡くなってからは、私と母で店を続けていたんですが、母も体調を崩して店をたたむことになりました。
私のできることは家事ぐらいなので、家政婦紹介所に登録して家政婦として働き始めました。
母も病気で亡くなった後、30歳の時に通い始めた家は、その家の主人と高校生の長女、中学生の長男、それに、主人の母の4人家族でした。
ご家族はみな、私の働きぶりに満足していただいたようで、継続的に使っていただきました。
特に、ご主人にはとてもよくしていただき、通い始めてから3年たったころ、この私と結婚したいとおっしゃっていただきました。
私は初め、その申し入れをお断りしました。
他のご家族が喜んではいないことはわかっていましたから。
でも、結局、主人に押し切られる形で求婚を受け入れることにしました。
もちろん、私も主人のことを愛していましたし、この先、結婚話なんて二度とないと思いましたから。
予想通り、子どもたちや姑は、私のことを家族として認めてくれませんでしたが、主人の深い愛情で私は幸せでした。
でも、結婚して7年後、主人が病気で亡くなりました。
ご家族は私を無料の家政婦として家においてもいいと思っていらっしゃったようですが、私は家を出ようと決めていました。
そんな時、弔問に訪れたのが先代の綾倉夫妻でした。
先代の旦那様と主人とがお知り合いだったそうです。
今の大奥様は私にお悔やみの言葉をかけてくださり、今後はどうするのかお聞きくださいました。
私が家政婦だったことも、家族といい関係でないこともご存知でした。
「家を出て、また、どこかで家政婦をしようと思っています」
家を出ることは既に姑には話していましたが、家政婦として働くことには反対されていました。
曲がりなりにも、自分の家の嫁だったものが、万が一、知り合いの家で家政婦でもされたら、たまったものではないと姑は考えていたようです。
でも、私には他にできることもなく、背に腹は代えられませんでした。
「もし、あなたが良ければうちに来ない?
できれば、住み込みで働いてくれると助かるんだけど」
大奥様の提案は、私には願ってもない話でした。
ただ、綾倉ご夫妻とはこの日初対面でしたので、その親切な申し出が少し不思議でもありました。
「大変ありがたいお話ですが、私で構わないのでしょうか」
「あなたのご主人から、あなたの話はよく聞いていました。
彼が結婚までした方なのだから、あなたは信頼しても良い人なんでしょう」
大奥様のお言葉で、亡くなってからも、私は主人の愛情を感じることができました。
ありがたいことに、大奥様は姑も説得してくださいました。
姑としても、綾倉家であれば格がずっと上なので、同じくらいの家で働かれるよりはずっと良かったんだと思います。
姑は餞別としていくらか渡してくれました。
本来は、夫の相続分がもっとあるはずですが、財産目当ての結婚だったとののしられるのも嫌だったので、黙って受け取りました。
それから、18年が経ちました・・・。
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