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それからすぐに蓬莱さんは腫瘍の摘出手術を受けた。胃を半分切ることにはなったが、幸いまだ転移は見られず、手術も成功した。それから暫くは入院しながらの抗癌剤治療が始まった。話には聞いていたが、目眩や吐き気といった副作用がひどい様子だった。俺が見舞いに行く時は、それでも強がりなあの人らしく、にやりと笑ってたいしたことないと言っていた。
一ヶ月もすると髪も抜けてしまったそうだが、特注でカツラを用意していたらしく俺はしばらく気づかなかった。なんでも金をかけるだけかけられるんだと、また笑っていた。容態もいくらか落ち着き、副作用で食欲は戻らないものの、吐き気止めとの併用で食事も取れるようになり、体力も少しずつ戻ってきた頃、退院することになった。2月の末の話だ。
通院での抗癌剤治療がメインだった。俺や芹沢が様子を見に行けるように東京にいろと言ったのに、名古屋の自宅から通える病院を見つけてあるとさっさと帰っていってしまった。
元々仕事を詰め込む人ではなかったから、数ヵ月姿を見かけないくらいでは誰も特に気にしなかったが、春になる頃には最近見かけないなと話題に上がることも増えてきた。
俺は蓬莱さんの様子にばかり気をとられ、雅と龍弥の関係がどうなっているのかよくわかっていなかった。龍弥が大阪の本社に配属になったという話は、雅が倒れてから初めて知った。
蓬莱さんに続き雅まで倒れた時にはこっちの心臓が止まるかと思ってしまった。雅は精神的ストレスによる拒食症気味になっていて栄養失調になっていたが、命に別状はなくホッと一息ついた。
しかしその一週間前には、実は蓬莱さんはまた吐血と下血によって入院しているところだった。2月には転移は見られなかったはずだが、5月の時点で大腸と肝臓、それに脳にまで影が見つかっていた。まだ小さいこともあり手術で切ることになったのだが、脳の腫瘍が難しい手術になるかもしれないと言われた。名古屋の病院では100%の治療ができかねないとして、東京の病院へ移ることになった。念のために蓬莱さんを迎えに名古屋まで出向いたその日に、雅が倒れた。轟さんから受けたその連絡を横で蓬莱さんも聞いていて、自分の病院へ行く前に雅に会っていくと決めた。
いつもの蓬莱さんだった。今この瞬間でさえけして体調は良くないだろうのに、雅にはそんな素振りを一切見せずにいた。
雅の病室を出て、蓬莱さんはぽつりつ呟いた。
『死にたくないな......今すぐにでも傷ついたあの子の元へ行ってやりたいのに......』
40も歳が離れているとか、雅は俺の息子だとか、そんなことどうでもいいと思った。この男が、たった一人愛した人間が雅だ。傷つき悲しむ姿を助けられずに、そして自分は今にも命の灯が消えてしまうかもしれない状況は、想像するだけでもやるせない気持ちになる。
『今、あんたが死ぬようなことがあれば......雅が泣きますよ』
『本当に綺麗な涙だった。でも、それ以上に笑っている顔の方が綺麗だからね......泣かせるわけにはいかないね。それに、きみの泣き顔は目もそらしたくなるほど不細工そうだし』
『一言多いんですよあんた。誰が泣くか、誰が』
そうして臨んだ手術は、成功した。
しかし回復して退院する度にまた倒れ、病魔は蓬莱さんの身体全体を蝕んでいった。
『全身に転移しています。体力も落ちてきていて、これ以上の手術は困難を極めます。緩和ケア、または痛みをとることを優先する方をおすすめいたしますが......』
蓬莱さんが倒れて1年が経った時、ついに医者に言われた言葉だ。
『......余命は』
『もって、2ヶ月かと......』
蓬莱さんの口元は、何故か笑みを浮かべていた。
そしてこの時初めて、蓬莱さんの目に浮かぶ涙を見た。
『帰ろうかな。家に』
そう言って笑む蓬莱さんを見て、俺はただ、頷いて笑みを返した。
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