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「おかえり」
「......もう話は終わったの?」
「いや、二人で話してて俺は用なしになったから、手伝いに来た」
「ふぅん」
両手一杯の荷物を受け取ってやり、台所へついていった。ふと見た雅の頬には涙の筋が見えた。目は潤んでいて泣いたばかりなのがバレバレで。しかし雅は澄ました顔でエプロンを着けると手を洗ってさっさと料理を始めた。
「手伝おうか?」
「いらない。ろくに台所に立ったこともないくせに」
「まあな」
俺が話しかけないとこっちを見もしない。淡々と食材を調理していく。まるで料理人のように無駄のない手捌きだ。魚を捌く手つきも、野菜を飾り切りするのも、家庭料理の域を越えている。いつも家で作ってくれていたのも十分に旨かったし、季節の食材に拘り、皿から盛り付けまで拘っているのも知っている。それ以上なのだ。きっと、蓬莱さんに合わせるために。蓬莱さんに見合う自分を作ろうと......それでも、無理しているように見せないから、我が息子ながら尊敬する。
「すごいね、おまえ」
「なにが」
「なにこのキュウリ。見たこともない形してる」
「父さんは食べられたら何でもいいもんね」
「あー、いや、おまえの作る飯は好きだぜ?」
「父さんのために天ぷら作ってあげる」
「おっ」
「竹の子の天ぷら。好きでしょ」
ようやく俺を見てにこりと笑った。少し疲れた表情だが、俺にだけ見せる子供の顔だ。
「大変か」
「そうでもないよ、フライより楽だよ、天ぷらは」
「天ぷらじゃねぇよ。......ここでの生活」
雅の表情が明らかに陰ったのがすぐわかった。
「大変なわけないじゃん。蓬莱さんだよ?足りないものなんて何もないし、あってもすぐ手に入る」
はらはらと零れ落ちる涙。カウンター越しに俺は雅を見守った。
「まだ話は終わらねぇよ。俺の前では繕うな。辛いなら辛いって言えばいい」
「ふ......っ」
雅は包丁を置くと、両手で顔を覆って泣いた。
「咳が......」
「うん」
「咳が酷くて......きっとつかえるんだと思う......食べる量が、ますます減って......」
蓬莱さんもまだ平気を装っているが、日に日にやつれているのは明らかだった。突然の死なれるのと、死に向かう様を見届けるのと、いったいどちらが酷なのだろう。
「怖くて......離れてるのが怖くて」
「うん」
「さっき、久しぶりに一人で外に出た。近くのスーパー......前は、一緒に行ったのに......色んな、食材、何でも買えばいいよって、笑って、珍しい外国の調味料、今度本物を食べに行こうかって......もぉ、どこにも行けない......もう、一ヶ月しかない......なにもしてあげられない......」
「おまえは十分やってるさ。蓬莱さんは満足してるみたいだったぞ。おまえが隣にいると、別人かって思うくらい鼻の下伸ばしてニヤニヤしてやがった」
この不安を、蓬莱さんの前では見せないようにしているに違いない。優しくて、健気で、弱い。龍弥に気持ちがバレないようにしていた頃も、本心を隠して時々俺の前で泣いていた。俺だけはいつでも最後の砦でいてやりたい。台所へ入り、細い身体を抱きしめてやった。
「おまえはよくやってる。誰もが蓬莱さんを羨むほどに、おまえは完璧にやってるよ」
「ひっ......ぅ、う......」
「ただ俺はな、おまえが心配なんだ。おまえは鬱陶しいと思ってんのかもしんねぇけど、親父のお節介だと思って聞いとけ。頼むから、無理だけはするな。たまには蓬莱さんの前でもこうして泣いていいんだ。だてに歳取ってるわけじゃねえからな。おまえの全てを受け止めてくれるさ。そんなこと、おまえだってわかってんだろ?」
「うん......っ、うん」
「もっと甘えて困らせてやれ。おまえになら、そうされるのを望んでるよ、あのオッサンも」
「ん......っ」
エプロンでごしごしと涙を拭くと、下手な笑顔を見せた。頭をぐりぐりと撫でてやってから、赤くなった目尻に口付ける。くすぐったそうに抵抗する雅の隙を見て最後に唇にキスしてやると、少しむくれてからクスクスと笑っていた。
「最後のキスは余計だよ」
「嬉しいくせに」
「もう父さんとの恋人ごっこはおしまいだよ」
「つれねぇなぁ。ま、今んとこは蓬莱さんに譲るか。あ、そうそう、俺こないだ人間ドック受けてきたんだよ。聞いて驚け、俺の身体年齢はなんと、38歳!」
「へぇ」
「なんだよ、もっとリアクションしろよ。どの検査もオールAよ。胃も腸もピンク色」
「......へぇ」
「おまえ、今嬉しそうにニヤついただろ、なぁ」
「ふふっ、うん」
「素直だな」
「嬉しい。いつまでも健康でいてね、お父さん」
どうあがいても、普通にすれば俺の方が早く死ぬ。でも、まだ雅を悲しませたくはないから、当分死なないように努力はしている。いつだって笑っていてほしい。雅と......そして龍弥にも。かれこれ1年音信不通のもう一人の息子を想いながら、兄弟の縁が切れていないことを祈るばかりだった。
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