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三月に入ったというのにまだまだ寒くて、なかなかコタツをしまうタイミングがない。
引越しの日は三月二十日の春分の日だ。
その前の十九日が小学校の終了式で、それまでまだ余裕があると言えば確かにあるんだけど、父さんがお仕事だなんだでなかなか作業が進まない。
平日家にいる時も、ジムに行かなきゃ、飲みに行くからとかで一切やらない。
いい加減頭に来たのでボクが隣について掃除をさせることにした。
「…一人でできるよ」
「できないからこうやって怒られているんですよね。ホラ、手を動かす!」
「…奥さん怖い」
「何か言いました?」
父さんは口笛なんか吹いて知らん顔をしている。
家電製品買いに行って以来、お父さんは度々ボクのこと「奥さん」や「嫁」とか言っては茶化す。
あぁもぅムカつく。
今回整理しなくてはいけないのは、ほとんど開かずの間と化していた押し入れだ。
ボクが初めてここに来た十月の時に掃除をしようとして雪崩にあってからほとんど手をつけていない。
…十月っていうことはここに来てから、もう六ヶ月くらい経つのか。
そう考えると途端に何だか寂しくなってくるので、自分を励ましながら掃除を始める。
押入れに詰め込まれていたのは、着なくなった服、ゲームセンターでとったと思われるぬいぐるみや細かいキーホルダー、なんかの健康食品、なんでとってあるのかわからない書道の書き損じ、あと着物の切れ端と言えば聞こえのいいボロ布…。
…多分まだ全体の半分位。
ボクが絶句している横で、お父さんは「懐かしいなぁ」とニコニコしていた。
正直ガラクタにしか見えないのに、お父さんはほとんどを残す物として分けていた。
「ちょ!コラ捨てなさい!!」
「えー、俺の思い出の品なんだけど」
「また新しいお家をゴミ屋敷にするんですか!?」
「大丈夫だって。俺には綺麗好きの嫁さんが…」
「あ゛ぁ!?」
「…俺トイレ行ってこよーっと」
逃げやがったあのたこ親父は。
ボクは父さんがいないのをいいことにさっさとゴミを袋に詰めていく。
ボロ切れの層があったので、ブツブツ文句を言いながら掘り起こしていると、布の柔らかい手触りと違う固くて冷たい物に手が当たった。
何だろうと探ってみると、古ぼけたクッキーの丸い缶が出て来た。
振ってみると色んなものがぶつかる音がする。
タイムカプセル的なものかとちょっとだけワクワクしながら開けてみると。
中には、女の人の写真が沢山入っていた。
綺麗な長い金色の髪の毛。
ガラス玉のような空色の瞳。
白い肌にピンクのほっぺた。
長いまつげにピンク色の唇から見える歯並びはすごく綺麗だ。
優しく笑っている写真が何枚も何枚も入っていた。
綺麗なものもあれば、ビリビリに破いたのをテープで貼り直したものや、濡れた跡があるものなど沢山。
その写真に隠れるように、青い玉がついたカンザシと、猫の飾りがついたネックレスと。
二つの指輪が入っていた。
「こう太、手を動かしなさい!てね」
お父さんがボクの口調を真似しながら肩に手を置くまで、ボクは写真に見入っていた。
ボクは写真を手にしたままお父さんの方に振り返ると、これ、と缶を見せる。
途端に、お父さんは見たことない顔のまま動きが止まった。
「…懐かしいな」
お父さんはボクの隣に座ってから缶を受け取ると、写真を一枚一枚見ていく。
ほとんど一人で写っている写真だから、多分お父さんが撮った写真なんだと思う。
お父さんは見たことないような寂しそうな顔で写真を見ていた。
「…ボクのお母さん?」
「うん。見ろよ、この写真なんかそっくり」
そう言って見せてくれたのは、墨を使って自分で書いたと思われる「夢」という字を見せたまま微笑む写真。
お父さんは懐かしいと笑っていた。
「お名前、パトリシアだっけ」
「そう。俺は、パティとかパットって呼んでた」
「お母さんてどんな人だったの?」
ボクは本当に単純な好奇心で尋ねた。
なんにも考えないで、ごく普通に。
「どんな…」
お父さんはそう言ってからしばらく考え込むが、顔がどんどん暗くなっていく。
そのうちうなだれてしまうと、右手の掌で顔を覆った。
「…ごめん、ダメだ。すっげー、落ち込んできた」
今まで聞いたことのないような声で振り絞るようにお父さんがつぶやいた。
そして、ごめんを繰り返す。
「え、あの…ぼ、ボクの方こそごめんなさい…変なこと聞いて…」
「いや…あーでもダメだ、テンション今ガンガン下がってる。ごめんな…もう大丈夫だと思ったんだけどなぁ」
それを聞いた瞬間に、以前の保村さんと垓くんのお父さんの会話を思い出す。
なんでパトリシアという名前を出したからお父さんが帰ってしまったのか、その時のボクにはわからなかった。
でも今ならわかる。
お母さんの名前を聞いただけで、お母さんとの思い出が浮かぶんだ。
楽しい思い出だけじゃなくて、死んじゃった悲しい思い出も。
大好きな人が死んでしまうのは、簡単に元気になって、簡単に話せて、簡単に忘れられるものじゃないんだ。
なのに、ボクは何にも考えないで…。
いつも大きくて、明るく笑っているお父さんが、何だか小さく見えた。
なんて言って励ましていいかわからない。
でも、元気になってほしい。
ボクが泣いちゃったりした時にお父さんがしてくれるように、ボクは手を大きく開くとお父さんの胸に飛び込んだ。
本当は胸に抱きしめてあげられたらいいんだけど、父さんはボクの三倍くらい大きいから難しい。
何だかクマに抱きついているみたいで、頭の中で思い描いていた光景とちょっと違う。
「な…なんだよ、どうした?」
「ほ、ホントはね!お父さんみたいに抱きしめてあげられたらいいんだけどね!!」
あぁ、やっぱり変だと思われている…。
そう思うと声が上ずるけど、頑張って伝える。
「…たまにはボクにも甘えてください」
あぁ、でも普段ボクに甘えてるよなぁ。
掃除しないし洗濯物もちゃんとカゴにいれないし、最近ボクが強く言わないからって相変わらずお酒飲んではパンツ一丁でウロウロしているし。
何だろう、泣かないで?
でも泣いてないしなぁ…。
そんなこと考えていたら、頭の後ろを掴まれて顔を上に向けられる。
え?と思っていると、お父さんが唇にキスしてきた。
そのまま視界がぐるっと移動して、気がついたらお父さん越しに天井が見えていた。
畳の上に寝転がるボクをお父さんが四つん這いになって見つめる。
やっぱり悲しそうな顔だったので、ボクはいよいよどうしていいかわからなくてパニックになる。
「こう太…」
掌でほっぺたを撫でてくれると、お父さんはそのまま倒れてきた。
ボクの心臓の音を聞くように胸の上に頭を置くと、じっと動かないでいた。
正直重くて潰されそうなんだけど、嫌な気持ちではなかった。
いつも何か悪さした時にはたいてしまう頭を撫でてあげる。
「ごめん、今日はもう掃除できねぇや…」
「うん、わかってるよ」
「ごめん…」
お父さんの下がってしまったテンションが早く上がりますように、と思いながら。
ボクはお父さんの気が済むまで胸を貸してあげて、ボクの気の済むまで頭を撫で続けた。
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