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第三十七話
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四月三日、七時。
スマホのアラームが鳴り響き、颯希は重い瞼を開いた。
「そういえば、今日だったっけ」
昨日の出来事で、今日が四月三日、つまり三人で遊ぶ約束の日だということをすっかり忘れてしまっていた。
いつもの癖で、毎朝七時にアラームをセットしていたことが幸いした。
約束の時間は十時。
洗面台で顔を洗う。
鏡を見ると、自身の下唇には痛々しい傷跡が残っていた。
颯希は準備を済ませ、家を出た。
電車に乗り、スマホを弄る。
グループチャットでメッセージを送る。
「今、電車に乗ったよ。九時四十五分に着く予定」
瞬時に既読マークが一つつく。
「マジか、颯希はえー。さすがだわ」
マークをつけた人物はやはり悠馬だった。
「俺は十時ぴったりかなぁ。
そんで既読一ってことは、伊織はまた寝坊かな」
悠馬のそのメッセージに、颯希は安堵した。
伊織を前に、素直に笑えるのか不安に感じているからだ。
「そうかもね」
颯希はそう返信すると、チャットを閉じ、イヤホンをつけて音楽を聞く。
伊織と会う前に、少しでも気を落ち着かせるために。
四十分間電車に揺られ、乗り換えを一回行い、再び二分ほど電車に揺られ、ようやく目的地へと着く。
颯希が左手首の腕時計を確認すると、時刻は九時四十五分。ぴったりだ。
「着いたよ」
そう返信すると、既読マークが一つつく。
「えっ」
一瞬、颯希は目を疑った。瞼を擦り、しっかりと画面を確認する。けれど、目の前の事実は変わらない。
その既読マークをつけたのは、伊織だった。
「俺も、そろそろ着くよ」
颯希が数秒固まると、今度こそ悠馬がコメントする。
「え。伊織!?」
きっと今頃、悠馬は電車の中で颯希と同じように瞼を擦っていることだろう。
「伊織がこんな早くに!?え。何事?」
コメントの記号の多さが、悠馬の驚きを伝える。
「悠馬、驚きすぎ」
「そりゃお前だからな。驚かない方がおかしいだろ」
伊織が淡白に反応すると、悠馬は失礼極まりないほどに率直に返す。
そんなやりとりとしているうちに、伊織から電話が入り、颯希は心を落ち着かせてそれに出た。
「もしもし、颯希?今、どこ?」
「改札の前にいるよ」
「わかった」と一言だけ返した伊織はそのまま電話を切る。
まさか、こんな早くに伊織が来るとは思っていなくて、颯希は胸に手を当てて、息を吐いた。
「颯希。おはよ」
「おはよう」
ほどなくして伊織と合流し、二人で悠馬を待つことになった。
颯希の顔を見た瞬間、伊織は心配そうな表情を浮かべる。
「どうかした?」
無理矢理に落ち着かせた声で、颯希は尋ねた。
突然、伊織の真っ白で細い右手がゆっくりと颯希の頰に触れ、その親指で唇をなぞり出す。
擽ったさよりも恥ずかしさで顔を赤くした颯希が「えっ」と声を出して驚いた。
「颯希、これ…」
伊織がさすものを颯希は瞬時に理解した。
それは、昨日つけた痛々しい傷。
同じところを連続して噛んだせいなのか、複数の痕が残っていた。
「なんでもないよ。大丈夫だから」
颯希は笑顔でそう言い、自らの左手で頰に触れていた伊織の右手をそっと離した。
「…わかった」
頑固な伊織が案外素直に諦めてくれたことが不思議だったが、正直助かったと感じる。
けれどその後、お互い黙り込んでしまい、なんとなく気まずくなる。
何かを話さなくてはいけないわけではないけれど、静かな時間が流れるほど、神崎と伊織とのことが颯希の脳内で広がり、伊織といるのが辛く感じてしまい、颯希は伊織に話をふった。
「今日、早いね。俺も驚いたよ」
できるだけいつもどうりに、変なところを感じさせないように話す。けれどすぐに、違う話をふればよかったと後悔した。
「…うん。なんか、眠れなくて」
俯いてそう言った伊織の表情は颯希からははっきりと見ることはできないが、その頰は確かに赤かったからだ。
今、伊織は何を考えて、その頰を赤く染めているのか。そんなことはわかりきっていた。
落ち着かせたはずの心が騒めきを取り戻す。
「穂積」
呼ぶと、二つの青緑色の瞳がしっかりと自分をうつした。
その瞳に、自分以外うつさないで。
そんな浅ましい欲がふつふつと湧き出る。
「颯希?」
綺麗な瞳が不安げに揺れる。
駅の改札前。
周りはどこを見ても、人、人、人。
しかも、友人を待っているこの状況。
そんな場面であっても、自分の中で抑え続けた欲が溢れ出す。
これ以上は望まないから。
だから、これだけは許して欲しい。
そんな気持ちを込めて、颯希は伊織に告げる。
「…ごめんね」
「えっ…?さつ…」
伊織が口を開き、颯希の名前を呼ぶけれど、その声は途切れる。
「…!?」
気がつけば、伊織は颯希に抱きしめられていた。
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