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―― 愛執(8)
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――――――
あの夏の日、父さんと手を繋いで、雲一つ無い青い空をいつまでも見ていた。
煙突からは、煙なんて立ち昇ってないように見えるのに。
不思議と涙が出なくて、実感が湧かなくて。
明日も朝になったら、『朝よ、早く起きて』と、優しい声で起こしてくれる。
カーテンを引く音が聞こえて、閉じた瞼に朝陽が射し込んで、眩しくて…… 僕は上掛けを引き上げて顔を隠すんだ。
―― だから…… 涙なんて出なかった。
繋いだ手をぎゅっと握りしめられて、僕は隣に立っている人をそっと見上げた。
父さんは、空を見上げながら、静かに涙を流していた。
その表情が、子供心にとても切なく思えて…… だから、僕は余計に泣けなくなってしまった。
―― 母さん、どうしてこの人を置いて、先に逝ってしまったの?
―――――
それから数年の年月が過ぎて…… また、暑い夏は繰り返しやってきた。
僕と父さんの関係が変わったのは、確か…… 中学一年の夏休みに入る前の日だった。
終業式が終わって、みんなが今夜の花火大会に行く計画を立てていた。
地区で行われる小さいお祭りの、最後に打ち上げられる本格的な花火を、毎年僕達は楽しみにしている。
女の子達は、浴衣を着ようかな? なんて話していて。
男連中は、それをちょっと楽しみになんかしてて。
「ね、伊織くんも浴衣着てくる?」
女子の一人が、僕にそう訊いてくる。
「え? どうして? 男子は浴衣なんか着ないでしょ?」
みんなの顔を見渡して訊き返すと、その子は指先が顎に触れる辺りで手を合わせて、お願いのポーズをする。
「伊織くんは、着てほしいな。 ほら、小学校の時は着てたじゃん」
(…… だって、あの時は皆も着てたし……)
―― それに…… 母さんが、着せてくれたから。
中学になったら、男子は浴衣なんて、着ないんじゃないかな。
「じゃあ、俺たちも着るから、伊織も着てこいよ」
「嘘だー、みんな、浴衣なんて用意してるの?」
僕がそう言うと、クラスメイトの男子の一人が僕に肩を組んできて、耳元でコソコソと囁く。
「しーーっ、伊織は女子のアイドルなんだから、浴衣着てくるっつーたら、一緒に来たがる女子が増えるかもだろ?」
「…… そ、そんなこと……」
「ほら、お前の好きな菜摘ちゃんも、お前が浴衣着るって言ったら喜んで来るかもだぞ」
「そ…… そうかな」
菜摘ちゃんとは小学校も同じだったけど、おとなしくて、二人で会話したことなんて、本当に数えるくらいしかなかった。
少しは、話しかけるチャンスがあるかな……。
そんな、浅はかなことを考えてしまう自分に気が付いて、顔が熱くなる。
「でも、僕も浴衣なんて、家には無いと思うよ?」
母さんが死んでから、浴衣なんて着たことないんだけど。
「いいんだよ、着てくるって言っておいて、待ち合わせ場所で、やっぱり無かったって言えばいいから」
そう言って、その友人は悪戯っぽく笑うから、僕もつられて笑った。
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