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目を覚ますと見慣れない寝室にいた。驚いて軽いパニックを起こしそうだったが、昨日のことを思い出し、何とか冷静になる。
自由になった手や足はありがたかったが、どうせここから出ることもできないのだから何がどうなろうと同じな気もした。
カーテンが締め切られてぼんやりと暗い寝室を眺める。あの男はもういないようだ。昨日、夜中に逃げ出すかもしれないからと、思ってもいないだろう言い訳をしながら萩谷と一緒のベッドで寝ていた男。
誰かと一緒に寝るのは久しぶりだった。妻がいなくなってからは、寝る時に1人で横たわっていると酷く人肌が恋しくなったものだ。しかし、だからと言ってそんな人肌を見ず知らずの同性に求めているはずもなかった。昨日の夜、あったのはただの違和感で、萩谷はずっとあの男に背を向けていた。
人を殺したというあの若い男。まだ名前も名乗っていない。自分の名前はあの男に知られているのに、自分はあの男の名前を知らないのだ。愉快そうに「英治さん」と萩谷を呼ぶあの声が自然に脳内で再生される。まさか下の名前で呼ばれるとも思っていなかった。
深いため息が出る。これで何回目だろうか。こんなところに連れてこられてから、こんな状況を突きつけられ、ため息しか出てこない。数秒天井を眺めたあと、覚悟を決めて上半身を起こし、足を地面に下ろした。
昨日、萩谷がオムライスを食べている間、男は追加して萩谷に約束をさせた。男が提示する作業を毎日ちゃんとこなすように、ということだ。それは毎朝リビングに置いておくから、作業が終わったらチェックを入れて自分に提出するように、と。まるで小学生の夏休みの宿題のようだと、萩谷は思いながら聞いていた。
寝室を出ると左側に廊下が伸びており、目の前にはもう一つのドア。右側には玄関が見える。目の前のドアの向こうは脱衣所と浴室だ。そこで男は拾ってきた萩谷を風呂に入れ、体を洗ったらしい。自分の記憶が全然ないことだけが救いだった。
今の状態で玄関から外に出て走り出せばそのうち近くの交番にでも駆け込むことができるだろう。そんなことをしてしまえば萩谷の持ち物は全て処分されてしまい、たった1枚だけ残った家族写真も、結婚指輪もなくしてしまうのだが。ここから出たところでどうやって生きていこうか分からなくなるのだけは避けたいところだ。萩谷は玄関から目線を外し、ゆっくりと廊下を歩いて左側の突き当たりにあるドアを開ける。
そのドアの先がこの家のリビングになっていて、左にはキッチンとテーブルに2つのイス、右には足の短いテーブルとソファー、テレビ、窓がある。カーテンが外れた窓の外には曇り空が見えており、テレビの横に置かれたデジタル時計は午前10時を示していた。アパートの一室らしいここからの眺めを見ると、萩谷の住む場所から結構離れているようだ。
平日の昼間に家にいないということは、あの男は働いているのだろう。グレーのスーツがよく似合っていた姿を思い出す。ぐるりとリビングを見て回ると、足の短いテーブルの上にラップのかかった皿と青いはし、その下に折りたたまれた紙を見つけた。
皿の上には目玉焼きとポテトサラダが乗っていた。紙にはテーブルの上の朝食を食べるようにと書いてある後に、腹筋や背筋などトレーニングのメニューが続き、ランニングの文字の横には11時頃に宅配便が届く、と書いてあった。
あの男はここに自分を閉じ込めてトレーニングをさせたいらしい。メニューの内容を眺めながら、学生時代所属していた陸上部の練習風景を思い出す。特に速い生徒がいる訳でもないその部活で、体力作りにはなるだろうとあまり本気で活動に取り組んでいなかった萩谷の成績はそこそこのものだった。
紙を折りたたむと、裏側には、さぼったら分かるからね、という文字を見つけて眉根を寄せた。こんなもの無視をしてしまえば済むのだが、萩谷の性格上やってもいないことをやったと言うのは非常に苦しいものだった。どうせやることもないのだから大人しく従っておこう。「分かったよ」と自然に言葉が漏れる。
ラップを取ると目玉焼きはまだ微かに熱を持っていた。はしでそれをつまんで恐る恐る口に運ぶと、黄身がパサついていた。飲み物が欲しくなって立ち上がるも、他人の冷蔵庫を漁るのかと考えて思わず座り込んでしまう。
なんの味もしないそれを何とか飲み込んでポテトサラダも食べ終わると、キッチンに皿を持っていく。綺麗に掃除されたシンクには、目玉焼きを焼く時に使ったのだろうフライパンが放置されていた。皿とはしをシンクに置き、近くにスポンジと洗剤を見つけると、自分の使った皿を手に取る。
何をしているんだろうか。簡単な皿洗いを済ませながらそんなことを思う。自分はここに閉じ込められていて携帯や財布などを取られているのに、そんなことをした男の家で律儀に皿を洗って片付けているのだ。濡れた手を眺め、近くにタオルもないことに気づいてわざわざ脱衣所に取りに行く。
提示されたトレーニングも、適当にチェックをつけてしまえばいいのだ。そう思いながらもやってしまう自分が情けない。家に引きこもっているばかりで体を動かすこともなかった萩谷は、ひと通り書かれたトレーニングをやり終わる頃には全身がだるさに襲われていた。汗もじっとりと染み出して数滴ぽたぽたとフローリングの床に落ちる。ソファーに座り込み、その様子をぼんやりと見つめながら、1人で何をやっているんだと心中で呟いた。
紙に書かれたトレーニングは残っているのはランニングだけとなった。デジタル時計に目をやれば、まもなく11時となるところだ。もうそろそろ宅配が来る時間だろう、そんなことを思っているとちょうど玄関からチャイムの音がした。
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