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玄関の除き穴から外を見ると、宅配サービスの業者が待ち構えていた。そっとドアを開けると、まだ若々しい印象を見せる青年は萩谷を眺めて表情を固めた。
じっとりと汗をかいている萩谷に驚いたのか、部屋の主であるあの男の姿が見えなかったからなのか。青年は目線を萩谷の奥にさまよわせたが、それも一瞬で、営業スマイルを浮かべてみせた。
「お届けものです。ここにサイン、お願いします」
「……あ、はい」
ボールペンを差し出され、萩谷は狼狽ながらも受け取った。ここに住んでいる人物の名字すら知らない男が、汗をかきながら中から出てきて疑われるのは最もな話だ。そんなことがバレてこの部屋を引きずり出されたらあまりにも呆気ない。
とっさに辺り目を走らせると、青年が持ってきた大きな荷物に伝票が貼ってあった。配達先の住所とともにこの部屋の主人の名前が雑多な文字で書かれている。運がいい、青年の目を盗んでその文字を確認する。
『志野 一輝』。萩谷は慌てて青年が指し示した場所に『志野』書き込んだ。「ありがとうございます」、青年は何事も無かったかのように笑顔でそう言うと、大きな荷物を萩谷に渡してそそくさと立ち去っていった。
結構重たい荷物を引きずりながらリビングに戻る。どうやらあの男……志野が通販で買ったものらしい。昨日カッターをしまった場所を探ると無事に見つけることができた。ダンボールを切って中を見てみるとこれもまた組立式の何かなようだ。
ランニングの横にこの宅配のことが書いてあったのだから予想はついていたが、説明書を見て確信した。自転車の形をしたトレーニング用品、ルームランナーのようなものである。これの組み立ても自分でしろ、ということなのだろう。一つ一つが重たい部品を取り出しながら、文句を言っても何にもならないと分かっていたため、萩谷は無言のまま作業に取りかかる。
しかしその作業は、昨夜の志野のように簡単に短時間ではいかなかった。説明書に書いてあることは分かるのだが、一つ一つの作業が萩谷にとっては重労働だ。これは1人でやるものではない、そんなことを考えながらも何とか組み上げた自動車型の機械を眺める。これでもうトレーニングを終えてもいいような気がしたが、ここまで来たら仕方がない。萩谷は諦めてそれにまたがってペダルを動かし始めた。
目標時間に達成した時には、全身から汗が吹き出していた。ハンドルに顔を突っ伏しながら深呼吸をして心臓を落ち着かせる。ふらふらとそこから降りると、ソファーに倒れ込んで改めて息を吸った。昨日まで飲んだくれだった自分がなぜこんなことをしているのか、とても不思議な感覚だ。
なにはともあれ、これで今日の目的は達成できた。しばらく寝っ転がったまま体のだるさが少し癒えるのを待ち、タオルを取りに行ってからランニングの項目にチェックをつける。律儀なものだ、自分がつけたチェックのマークを眺めて苦笑を漏らす。嘘をつくよりすっきりとした気分で悪い気はしなかった。
冷蔵庫をそっと開くと、あまりものの入っていない中にスポーツドリンクのペットボトルが数本入っていた。1本だけ取り出して中身を飲むと、一気に体全体が潤った気がした。そう言えば昨日から何も飲んでいなかったことを思い出す。スポーツドリンクなんてものも久しぶりに口にした。ほっと息を吐き出すと、じんわりと達成感が滲んでくる。なぜここでそんなものを感じるんだろうか、苦笑しかこみ上げてこない。
あの男、志野に踊らされているのが分かる。大切なものをとられて弱みも握られて、特別な秘密も共有させられた。鍵も拘束もない今の状況でも逃げ出せず、指示に従って運動させられて達成感を覚えさせる。
道で酔っ払っていたおやじを部屋に閉じ込めてそんな経験をさせて何をしたいのだろうか。明確な目的が全く分からない志野の行動は怖い気もしたが、自分はこのまま素直に従って満足してもらうだけだ。なんの抵抗もする気はない。萩谷は昨日のうちにそう決めていた。波風を立てないままこの生活を続ける。そのうち萩谷の家を訪れた門井が異変に気づいて自分を探し始めるだろう、それまではただただ我慢するのだ。
ペットボトルを冷蔵庫に戻す。志野はいつ帰ってくるだろうか、そもそもあの男の名前は本当に志野 一輝なのだろうか。そんなことを考えながらリビングに戻りソファーに座ると、辺りの静けさが頭に入り込んでくる。
一日中何もせずにぼうっとしているのは嫌いだった。考えたくないものを考えてしまいそうになるから酒を飲んで気分を紛らわせていた。そんなことを思い出して再びキッチンに戻るも、酒は見当たらない。どうやら他の方法で暇を潰さなければいけないらしかった。
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