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浴室から出てみると志野は全身濡れていて、裸足のまま寝室に入って萩谷に着せる服を取りに行く間もぽたぽたと水滴が廊下に滴っていた。そんなところは気にしない質なのだろうか、事前に用意されていたタオルを手に取りながら志野の姿を一瞥する。綺麗な部屋とはあまり結びつかない性格だ。
志野はすぐに服を持って戻ってきた。濡れてしまったついでにシャワーを軽く浴びると言いながら、萩谷がまだ服を着ている途中から服のボタンを外し始める。濡れたシャツに白い肌が透けていた。
男の萩谷から見ても志野の容姿は整っていてかっこいいと素直に思う。背も平均的な高さがあるし、体も引き締まっている方なのだろう。こんなおじさんにかまっているよりも女性と付き合っている方が似合うだろうに。
とことんこの男の目的が見えない。不安というより不思議な気持ちだ。
服を着終えると、萩谷は狭い脱衣所から出た。「先に寝ていていいですよ」と、ドアの向こうから志野の声が聞こえた。返事をする気はなく、そのままリビングに戻るとソファーに体を沈めた。ここが定位置になりそうな気がする。
昼に組み立てたペダルのついた自転車型トレーニング機械を眺め、リモコンを手に取ってみる。赤い電源ボタンを押すと、クイズ番組が流れ出す。頭の良さそうな芸能人が、肖像画の人物の名前を当てていた。
遠い昔に死んだ人物についての解説が流れていく。どこかの国の王様らしい。特に目立った業績はないらしく、名前とその家系で有名な人物が紹介されて次の問題に移る。
家が偉ければ、何もせずともその家系の中に自分の名前が刻まれて、何100年も後の若者に名前を呼んでもらえる。なんとなくそれが卑怯に感じ、そんなことを思った自分を笑う。何を考えているのだろう、馬鹿馬鹿しい考えを振り払う。
ぼんやりと画面に目を向けると、また同じような問題が続いている。つまらない。体を丸めて顔をひざに埋めた。湯船に浸かって温まった体が気持ちがよかった。
「……あ」
少し時間が経ったと思う。ふと、そんなテレビから聞いたことのある文章が流れてくる。思わず目線をあげると、懐かしい文字列が流麗な字体で画面に映し出されていた。
有名な唄だ。まだ教師をやっていた頃、何度も生徒たちに教えた唄。そんなに重要でもない、歌物語の中に出てくる目立たない唄。
誰もボタンを押さない、分からないようだ。萩谷は思わず画面を見つめ、そわそわと唇を舐めた。自分は答えを知っている、テレビの向こうの司会者に届くことはないのに、その物語の題名と作者の名前を口にする。まだ誰も分からない。タイムリミットが来て、正解が表示されて解説が始まる。
「へぇ、すごい。そんなの詳しいんだね」
いつの間に後ろにいたのか、Tシャツ姿の志野が萩谷と一緒にテレビを覗き込んでいた。
「好きなの?」
「……仕事で」
「仕事? 仕事でこんな知識使ったりするの?」
驚いた声を上げる志野の頭の中に、萩谷が教師をしていたと言う考えはないらしい。萩谷がおずおずと学校で教師をしていたことを呟くと、志野は意外そうな顔をするも納得した様子で頷いた。
「優しい教師だっただろうね」
「……なん、で」
「だって優しいもん、英治さん」
けらけらと笑った志野は、まだ水滴が垂れている自分の髪をかきあげた。
「昨日、酔っ払ってぐずぐずのくせに俺に迷惑かけたからって謝ったりしてたし、普通俺が風呂入ってる間に黙ってテレビ見てたりしないでしょ?」
「……」
「嫌がらせするとか、少しは逃げ出してみるとか。体も洗わせてくれるし、一緒に寝てくれるし」
それは全部お前に脅迫されているからだ。何よりも大切なものをお前が握っているからだ。そう反論したかったが、志野の言うことは、正しいのかもしれない。
この男に逆らいもしない自分は、「すごい」と言われて少し嬉しくも思ってしまっていたのだから。
「体疲れてるでしょ? そろそろ寝に行こ」
後ろから声をかけられるも、萩谷の目はテレビの画面を名残惜しそうに見つめている。まだ同じような問題が続いている、これなら答えられる。そんな萩谷の様子に志野は口を閉じる。それから画面を眺めて察したように笑うと、静かに萩谷の横に座った。
萩谷が答えるものは大体正解していた。その度に微かな満足感が得られていく。隣に座る志野は黙ったままだった。
結局最後までクイズ番組を見終わると、志野は「寝ようか」と当然のように腕を引いて寝室に萩谷を連れていく。しかし萩谷はそれもどこか上の空で、ベッドに横になるとすぐに眠りに落ちていった。
疲れも温かい体も、少しだけ満足した気持ちも久しぶりで、隣で横になっている志野は忘れてしまってもよかった。目を閉じたまま、こんな感じで眠れていたら問題もなかったのにと、そんなことを考えてしまっていた。
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