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海蛍 20
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出撃当日。遠雷響く鉛色の空の下、名簿に記された者たちが最低限の荷物を手に乗艦する。
「先に行って待ってるからなっ!」
死出の旅に向う艦への行進に声をかける方も掛けられる方も笑顔でもう動揺などみせはしない。
ただ、タラップに足を載せた瞬間、覚悟を決めていたはずの屈強な男であっても一瞬、表情が強張る者もいる。
艦はひとりひとりを喰らうかのように、若者たちを飲み込んでいく。
「格納庫に艦員を集めました」
艦長室で落ちてきた大粒の雨を見つめていた日向の元へ報告が入る。
「わかった。すぐに行く」
最後、薫の笑顔が胸を過る。
『死んでもいい』
背中でそう言った薫の言葉を思いだす。
「もしも本当に魂の存在があるのなら、この肉体が果てたらすぐに、真っ先に君の元へ行くから」
初めて思いを声に出した日向。
軍服を整え帽子を被る。この部屋を出た瞬間、死を迎えるまでもう薫のことは考えまい。
数百人の命を預かる艦長の責務は重い。磨かれ光る革靴。手入れされたサーベル。
瞳を閉じ最後にもう一度だけ薫の笑顔を思いだす。
「君が健やかに生きられるよう、この命、惜しみなく捧げよう」
重いドアノブに手をかける。冷えたドアノブがあの日の薫の手の温もりを奪っていく。
毅然と前を向き日向は歩きだした。
数百人の総員が整列するのを眼下にして、日向は立った。総員は姿勢を正す。
「私が艦長の日向総一郎だ。乗員諸君の命を預かることとなった。
いいか、私は無駄死には決して許しはしない。最後の最後まで生きることに貪欲になれ。
戦いの終着点は死ではない。各自、自らの任務を果たしながら共に助け合うこと。
私の希望は以上だ」
挨拶を終えタラップを降り始めた時だった。
数百人の列の後方に、日向の視線が釘付けとなり動きが止まった。
「日向艦長、何か?」
傍にいた士官が尋ねる。
「いや、なんでもない。私の元へ総員名簿を持ってきてくれ。
いいか、最新のものだ。すぐにだ」
早足で艦長室に戻った日向は、後ろ手で戸を閉めると同時に頭を抱え壁にもたれかかってしまった。
「なぜ、なぜお前がこの艦にいるんだ。
うそだろう?見まちがいだよな、なっ、橋本!」
タラップを降りながら日向の視界に入ったのは、遥か後方に姿勢を正し敬礼していた薫の姿だった。
いや、そんなはずはない。この艦への乗艦名簿は自分が中心になって作成したのだ。
確かに薫は候補には入ってはいたが、怪我がまだ治らず任務に障りがあるという理由から約1か月の出撃は見送らせたのだ。それがなぜ!?
「乗員名簿をお持ちいたしました」
「入れ」
「入ります!」
士官の退出後、日向はそれを机に放りだすと同時に震える手で数センチはある厚い名簿を捲り始めた。
自分が見た薫の姿が幻覚であることを祈りながら。
しかし、最後のページに追加乗艦として「衛生兵・橋本薫」の名を見つけると、震えながら頭を抱えてしまった。
出撃まであと30分。何とか口実をつけて薫を艦から降ろす方法はないかと思いを巡らせる。
グォォォン!雷鳴がとどろき響く。
気付けば雨は激しく艦長室の窓を打ち付けていた。
「そうだよな。お前は確かに俺に『死んでもいい』と言ったんだよな」
やがて銅鑼が鳴り響く中、多くの兵士に見送られながら日向の駆逐艦は戻ることのない戦いへと船出した。
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