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海蛍 22
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警戒しながらも幾日かは穏やかな航行となった。時折、上空を特攻隊の零戦が編隊を組んで通過するのを見た。
「おーい、俺たちもすぐに行くからなぁーっ!」
甲板に出て零戦に向かって大きく叫びながら手を振る艦員たち。
その様子を見て零戦は翼を上下に動かしながら応える。
互いに名も顔も知らないが、行きつく先は同じ。
甲板から叫ぶ声は、もうすぐ自分達が迎えるであろう試練を前に自らを奮起させるものなのかも知れない。
艦長室での抱擁以降、二人が顔を合わせることはなかった。
互いに自分が背負った任務をただ精一杯にこなす日々。
しかし、会えないことは決して不幸ではない。
同じ艦に乗っていることがふたりにとっては嬉しくてならなかった。
日を追うごとに艦内に緊張が走る。
この静かな紺碧の海上は既に我が国の軍力は及ばない。
日本国籍のものは全て撃破され視界に入るものがあれば、それは有無を言わさず敵となる。
そして、晴天の朝、ついにその時はやってきた。
敵機襲来の叫び声と共に、艦は大きな衝撃を受け爆発音と共に熱風が広がる。
薫は急ぎ手当道具一式の入った袋を手にすると爆撃を受けた艦後方へ走りだした。
燃え盛る格納庫に飛び込むと、そこには多くの兵士が血塗れになり倒れている。
消火活動をしている者もいるがまさにそれは「焼け石に水」状態。
消火活動をしている兵士も負傷者ばかりで、流血して前が見えず倒れそうになりながらも必死に見当違いの場所へ水を掛けている。
あれだけ日々、学び訓練をしたというのに、一気に出た負傷者の群れに薫は何から手を付けていいのかもわからず呆然と立ち尽くす。
ドーン!再びの大きな衝撃に薫は尻もちをつく。
その足元に今、バケツで消火活動をしていた兵士が飛ばされて来た。
「いっ、今、手当するか、ら……」
袋を手にしたまま言葉が途切れた。
足元に転がる男は確かにバケツを手にしていたのにそれがなかった。
いや、バケツを持っていたはずの腕そのものがちぎれ消えていた。
煤に塗れた頬に触れるが既に息は絶えていた。
これが薫が目の当たりにした初めての戦争だった。
「衛生兵っ!!」
その言葉にハッとした。
そして、薫は自分の役割を思いだしたかのように負傷者の元へ駆けだした。
次から次へと包帯で止血をしていく。
『ヨーチン野郎』と蔑まれていたが、現実の戦場ではその『ヨーチン』ですら使う余裕などない。
包帯もすぐに底をつき、既に息のない者へ心の中で手を合わせ、身に着けているものをはぎ取り、それで息のある者の止血や手当に使う。
「ここはもうダメだ。外へ、甲板へ出ろっ!!」
誰かが叫ぶ。
炎はいつしか自分を取り囲むように迫っている。一人でも助けたい。
しかし、衛生兵ひとりに何ができるというのか。
『外に出ろ』と言う言葉が、そこにいる負傷者を見捨てろということだとやっと気づき薫は唇を噛みしめた。
どの顔も皆、共に辛い訓練に耐えていた仲間。
火が回り熱くなる格納庫で薫は深く一礼すると出口へ走りだした。
と、その時だった。
壊れた扉の下で誰かが自分の足首を掴み、薫はその場で膝を着くように倒れた。
「は、しも、と……」
その声は闇の中で自分を辱めた男の一人のものだった。
自分の足首を掴むその様を見て、あの夜の悍ましい記憶が蘇る。
薫は思わずその手を払いのけた。
払われた手は床に落ちたまま動かない。
薫は自分の中の残虐さを見た気がして愕然とする。
「いいんだ、お前、に、酷いことしたのは俺…だし。
ただ、謝りた、かったんだ。ずっと、ずっ、と……」
払い落された手は動かぬままに、次第に血色を失い白くなっていく。
身体が動かないのか、それでも男は言葉を繋ごうとする。
「お、れ……昔から不器用で、好きって言えたら……きっとお前と、仲良く親友として死ねたか、も。
もしも、生まれ変わったら俺……お前の、ため、に、何でもする。
お前がよろこ……ぶこと、絶対にするか、ら……」
突然の男の告白に薫は驚き言葉を失った。
思いを告げた男の目から涙が流れ出る。
「好きだったのにごめん。ほんとう、に……ごめん……」
薫は男を抱きしめた。
「一緒にここを出ましょう」
自分よりも身体の大きな上官を抱え立たせようとするが、男の身体はもう動かない。
「行け、ここから逃げろ。俺の分の寿命やるから……お前はい、きろ」
男の言葉が途切れると同時に、その唇が薫の唇に触れた。
目の前の男は幸せそうに微笑みながら力尽きその場に倒れた。
「起きてっ!立ってっ!!」
叫びながら揺さぶるが男は息絶えていた。
笑みを浮かべたままに。顔にこびり付いた血と煤を手で拭ってやる。
あれだけ憎かった男に今は、憐みの気持ちしか感じられない。
こんな時代でなければ今頃、親友となって共に学び笑い合っていたのかもと思うと胸が苦しくなった。
涙で男の姿を潤ませながら、薫は格納庫から飛び出した。
数歩離れたと同時に気化した燃料へ引火し格納庫は爆発炎上した。
爆風で飛ばされ這いながらも薫は振り返らず前へと進んだ。
重すぎるほどの衛生兵としての責務が薫を前へ前へと歩ませた。
傾き始めた艦の中をやっとの思いで甲板に出ると、そこは更に地獄絵図と化していた。
前後左右に敵戦闘機が容赦なく爆撃を仕掛ける。
バラバラと機銃の音が重なる。
機銃が弾を打ち込むのはもはや屍と化した兵士達だった。
薫は寸前で敵機から身を隠した。もはや薫の視界に生きている者が入ることはなかった。
「あ、日向艦長は……!?」
甲板に出ることはもう無理と諦め、ばら撒かれたように散らばる屍たちを踏み越え、薫は日向の元へ走った。
「艦長!日向艦長っ!!」
叫びながら艦長室へ飛び込んだ薫。
純白の軍服を着た日向が驚き振り返る。
「橋本、生きていたのかっ!?」
乗艦して初めて日向は薫に向って優しい笑顔で両手を広げた。
「日向艦長、艦長……」
薫は躊躇うことなく日向の胸へ飛び込んだ。
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