アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
海蛍 30
-
「カオル、甲板に出て見ないか?星が空からこぼれ落ちそうだ」
器具の消毒を終えたばかりの薫にアランはそう声をかけた。
「はい」
薫は濡れた手を拭きながら、アランに付いて甲板へ出た。
「あ……」
アランの言う通り、空には無数の星が競い合うかのように煌めいていた。
そして、あの日と同じ様に東の空から蒼白い月が海面に揺れる光の道を描きながら静かに上り始めていた。
日向の背から見た月を通じて思いを明かし合ったことを思いだすと、堪えていたはずの涙が視界の月を小刻みに揺らす。
そして、その揺らぎはすっと薫の頬を流れ落ちた。
「カオルには家族はいるのか?」
薫の涙に気付かぬふりをしてアランはその横に座ると語りかけるように尋ねる。
「親とは色々とあって縁が切れてるんで、生きているのか死んでいるのかもわかりません。
優しかった姉は死にました」
「恋人はいなかったのか?」
この問いに薫は唇を噛みしめ、言葉を発することができなかった。
アランはその問いを続けることはなかった。
「この艦は五日後に米国に帰還する。
私は今回の任務を最後に除隊して故郷に戻る。
カオルが医者になる気持ちがあるのなら、私と一緒に故郷のオレゴンに来る気はないか?」
思いもよらぬアランの言葉。
「フフッ…何を……」
薫はアランが自分をからかっているのだと思い嗤った。
「アメリカ本国へ行けば私は正式に捕虜として身を拘束され、明日の命もわからない状況になるというのに」
「カオルの仕事ぶりを見ていた。
カオルは実に飲み込みが良く、あらゆる仕事を素早く覚え自分のものにしていった。
分からないことを先延ばしすることもなく、敵兵である私たちを『ひとりの患者』として扱っていた。
私の目の届かない所では日本兵と言うことで随分と嫌な思いもしたのは知っているが、カオルはそれで も分け隔てなく患者に手を差し伸べ続けた。
見ていてすぐにわかったんだ。君は看護兵ではなく医師に向いているってな」
アランは月を見上げたまま言った。
「捕虜の私が帰国どころか、まともに生きていられるなんて考えてもいません。
むしろ今のこの生活が恵まれ過ぎておかしいんです。
死は怖くはありません。少し遅れて仲間の元へ行く、ただそれだけですから。
覚悟は出来ています」
あの時、日向の背で仰ぎ見た蒼白い月はあんなに美しく思えたのに、甲板上でアランと見る月は何故か物悲しささえ感じた。
あれだけ前向きで明るかったアランが押し黙る。
艦が波をかき分ける音だけが響く甲板で闇に紛れたアランは言った。
「私は不治の病を背負ってしまったんだ。
除隊も自分の意思ではなく病故の命令だったんだ」
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
30 / 200