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海蛍 31
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アランの突然の告白に薫は驚き寄り添っていたアランの顔を見た。
アランにいつもの笑みは無くただ、月を目で追い続けている。
「田舎町で医者は牛でも馬でも人でも診なければならい。
死なせてしまえば残された者の生活が成り立たなくなるからな。
正直、忙しくて気の休まる時は無かった。
でも、そんな境遇のおかげで自分は軍医として任務をこなせたと思う」
戦争に勝利し浮かれ喜ぶ目の前の艦員たちを薫は違う世界のできごとのように見ていたが、ここにも命の刻限に迫られながらも笑顔で全力で己の責務を果たそうとする人間がいたことに驚く。
「カオルは死は怖くはないというが、私は恐ろしいと思っている。
いや、恐ろしいのは自分が生きた証をこの世に残せないことなんだよ」
薫の視線に気づいたアランは力なく笑った。
「いや、子や財を残すというのではなくて、自分が学び得たこの知識を抱えたままに死んでいくことが残念 でな。医学を学びたい者はどこ国にも多くいる。
でも、私が自分の持つ知識や経験を伝え残したい者となると話は別だ。
人は思う程に利口な生き物ではない、寧ろ愚かだとさえ私は思う。
今やっと終わった戦いだが、それを昔話だと嘲笑する者が現れ、そしてそう遠くはない未来に再び戦い は始まる。私は断言するよ」
アランの言葉は大袈裟ではないことを薫は実感する。
現に生前の日向も敏子も同じことを言っていた。
「お気持ちに感謝は致します。
けれども、どんなに夢や希望を持っていても、それがすべて叶うことはないのだと私は身に染みて知って います。正直、何も無くなってしまった日本へなんて帰りたくはない。
いっそこの地で処刑された方が私はどんなに幸せか……」
「よし、だったら私がカオルの命を預かることにしよう、敵国捕虜としてな。
それなら文句はないだろう?」
言葉とは裏腹にアランは月下で弾けるような笑顔を薫に見せた。
それから五日後、艦はアメリカの軍港に到着した。
薫は一時的に捕虜として独房へ入れられたが、アランと海軍中将である叔父の働きかけで一週間もするとそこを出ることを許された。
アランは合衆国政府からの特別な薫の身分証明書を手渡した。
「待たせて済まなかったな、カオル。
これはここで生きるための君の身分を証明する大切なものだ。
何があっても絶対に身体から離すな、いいな」
手の中の紙には自分の写真が貼られ名前、生年月日、日本人であることが記載された中に『米国海軍による特殊任務遂行中に付き、この者の妨げになることを排除し米国内で暮らせるよう、最大限の協力を望む』との一文があり、薫は驚きアランを見上げた。
「叔父は子供がなくて俺をわが子のようにかわいがってくれてな。
大抵の我が儘はきいてくれたよ。
ただし、叔父の愛犬のジョンの全身を赤いペンキで塗った時は、さすがに叱られたがな」
と、アランは笑った。
反感を買わぬようにと古めの目立たない服を用意され、それに着替えると古びた荷台付きのトラックを見せられた。
「さぁ、これでオレゴンまで突っ走るぞ。
何日かは車中泊もあるけど、太平洋で浮いていたことを思えば屋根もあるし水や食料もある。
問題はないよな?」
動揺する間もなく、薫は車に載せられるとアランは思い切りアクセルを踏み込んだ。
想像もしていなかった薫のアメリカでの生活が幕を開けた。
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