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海蛍 34
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ふたりが旅の途中に出くわした牛の出産や怪我をした馬の手当、怪我や病に苦しむ者たちに出来得る治療を施しながらオレゴンのアランの家に辿り付いたのは、雷雨の夜から更に幾日かを経た蒼ざめた月が上りきった深夜だった。
街から外れた静かな一角の病院兼自宅の小さな診療所。
5年も留守にしていた家屋はかなり傷んでいることがひと目でわかった。
「俺が戦死したと思ってここを処分されてしまったかと、実はここへ着くまで冷や冷やしてたんだ」
アランは懐かしそうに家を見つめながら笑った。
「カオル、手伝ってくれないか?」
アランは玄関前に立つと、入口に打ち付けられていたその板を剥がそうとしていた。
返事よりも身体が先に動き、アランと共に打ち付けていた板に手をかける。
腐食していた板はあっけなくはがれアランはポケットから赤茶けた鍵を取り出し差し込む。
家主であるアランを待ち構えていたかのように苦もなく扉は解錠された。
扉が開くと同時に湿気を含んだ埃と微かな消毒液の匂いが鼻腔を衝く。
ランプを手にアランがあちこちを懐かしそうに見渡す。
今まで見たことのない一国一城の主たるアランの表情を、ランプの仄かな灯りが浮き立たせる。
と、その時だった。
「ここは貧乏医者がいた廃墟だ。金目のモノなんて何もない。
言い訳もできないまま撃ち殺されたくなかったら、両手を上げて外へ出ろ!」
背後から野太い男の声がした。
玄関先で月明かりを背にした男のシルエット。手にはライフル銃を構えている。
「声がかすれているな。
俺が出征する時に酒は控えろと言ったはずだぞ」
背を向けたままのアランの言葉に、銃を構えた男の身体がビクッと反応した。
「アラン……?お前はアランなのか!?」
「戦争で生き残って、まさか帰郷して背後から親友に撃たれるとは思ってもいなかった。
相変わらず冗談がキツイな、ジョージ」
男は銃を投げ捨てアランに抱きついた。
「アラン、お前生きてたのか!?」
「あぁ、帰ってきたよ、ジョージ。約束通りにな」
ふたりは闇の中で抱き合う。
「知らせをくれれば、掃除してすぐにでも仕事が出来るようにしておいたのに」
涙声で責めるジョージに
「おいおい、戻ってきてすぐに仕事をさせる気なのか?」
とアランは軽口で答える。
「ん、誰か一緒なのか?」
奥の薫の影に気付いたジョージが闇に目を細める。
「あぁ、友人を連れてきたんだ。しばらくここに滞在して俺の右腕として町のために活躍してくれるはずだ」
アランに手招きされ闇からゆっくりと歩み出てアランの横に立つ薫。ランプの淡い灯りがその顔を照らす。
漆黒の瞳と毛髪にジョージの表情から再会の嬉しさは消え、憎しみが滾りだすのがはっきりとわかる。
「こいつジャップじゃ……?」
「ジョージ、戦争は終わったんだ」
「アラン、聴かれたことに答えろ。お前の連れはジャップなのか!?」
「あぁ。彼はカオル。カオル・ハシモト、日本海軍の衛生兵だった」
アランの毅然とした態度にジョージは不快感を隠すことなくカオルに手を差し出した。
「アランの幼馴染のジョージ・リチャードソンだ。
お前らジャップが硫黄島で殺したアランの兄貴、ライナス・マイヤーズとは同い年で実の兄弟のような仲 だった」
ジョージの言葉に差し出す薫の手が大袈裟なくらいに震える。
ジョージの手に触れそうになった時、ジョージは震える薫の手を思い切り叩き払いのけた。
「俺はジャップと挨拶する手は持ち合わせちゃいない。
ライナスは馬鹿が付くほどのお人よしだったが、まさかアランがジャップを連れ帰るライナス以上の馬鹿 だとは思ってなかったぜ」
薫は戦勝国と言えども、戦争という行為の上に幸せはないことを今更ながらに知った。
闇の中で行き場を失った薫の手を見て鼻で嗤いながら、ジョージはアランの肩を抱くと言った。
「明日、町でお前の帰還祝いをするぞ。
今夜はもう遅くてもてなしは出来ないが、酒とベッドは提供する。さぁ、来い!」
力任せに出口に押されるアランが慌ててそれを制した。
「カオルも一緒でいいのか?」
しかし、ジョージはアランの言葉など聴こえぬふりをして建物から連れだそうと、決して力を緩めない。
「ジョージ、俺はカオルも一緒でいいんだろうって聞いているんだ」
「お前と一晩飲むくらいの酒とチーズはある。
が、生憎、黄色いサルの餌を用意するほど、俺は用意周到じゃねぇんだ」
アランの足が強い意志を持って踏み止まる。
「カオルが招かれないのなら、俺も行くわけにはいかない。私たちはここで寝るよ」
アランの言葉に薫は慌て、傍に早足で歩み寄り言った。
「アラン、私はここにいられるだけで助かります。だからどうか彼の家へ……」
アランは薫の肩を軽く叩くと
「再会できて嬉しかったよ、ジョージ。また明日、会おう」
と言いながらジョージを見つめた。
「どんなつもりでそいつを連れ帰ったのかは知らないが、ペットのサルの躾くらいはちゃんと済ませておくべ きだったな。
騒がず行儀よくひとり寝ができるとか、人間同士の付き合いの邪魔をしないようにとかな」
ジョージは言葉を吐き捨て、振り返ることもなく出ていった。
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