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海蛍 44
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「助けて、お願い。娘を助けてっ!」
彼女の腕の中には三歳前後の子供がいた。
彼女が『娘』と言わなければ、薫はそれを精巧に出来た人形と思う程に、その子供には生気が
全く感じられない。そして、全身を硬直させ苦しそうに身体を仰け反らせた。
「診察室へ!」
そう指示しながら薫は、クローゼットから洗いざらしの上着をひったくるように掴むと、素早く
それを羽織り母娘の後を追うように自らも診察室へと入った。
動くと背中の傷が痛み思わず顔を顰めたが、診察室へ入ると同時にその顔は一人の医師として
凛としたものになっていた。
ここにアランはいない。
敗戦国の一衛生兵である自分しかいない。
逃げも隠れも、誰かのせいにもできない。薫は腹をくくった。
焦りから声が出ず涙と震えが治まらない母親に、その子を診察台に寝かせるように手で促す。
「娘さんの命にかかわる大切なことを質問します。
落ち着いて正確に答えてください」
薫の静かな問いかけに彼女は頷く。
「いつから、どんな症状が出て来たのか、その症状に対する心当たりがあればそれも教えてください」
ゆっくりと薫は問いかける。
「い、一週間前に自宅物置でクロエは古い釘を踏んでしまって……
痛がってかなり泣きました。
そこは日に日に赤黒く変色し腫れてきました。
と、同時にクロエはだんだん元気がなくなってきて。
顔、顔が!引きつったように歪んで……
で、喋ることができなくなってきて、ついに口が開かなくなったんです!
夫が隣町の診療所に連れて行くというので支度をしていたら、引きつり笑いをしながら
こんな風に仰け反って……
隣町まで馬車で何時間も掛けて行くなんて私、無理だって思ってそれでここへ」
彼女は診察台で苦しそうに仰け反る娘を押さえながら、縋るような目で薫を見つめた。
クロエの身体に触れ、目や口の状態を診る。
そして、釘を踏み抜いたという傷に目をやる。
その足は赤から黒へと変色を初めていた。
薫が一瞬息を飲む。
クロエの身体が硬直し始めていたのだ。
毒素は神経の一部に接合し神経の抑制系が侵され始めている重篤な兆候でもあった。
薫は思わず天を仰いだ。
「娘さんは破傷風です。
一週間前に踏み抜いた古釘により感染したのでしょう」
薫の言葉に母親は力を無くし、その場へとへたり込んでしまった。
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