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海蛍 53
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薫もヘレンもジョージも、そして町中の者たちが一丸となって、クロエを掴んだ死神の手を
引き剥がそうと、不眠不休のゴールの見えない戦いの日々を続ける。
医学の知識のある薫の代わりはなく、薫はふらつき倒れそうになりながらもギリギリのところで
クロエを死神の手から奪還しようと奮闘する。
「何か起きれば呼ぶから、少し休んでくれ」
布で覆われ昼夜もわからぬ診察室で、クロエに付き添うジョージが薫に小声で言った。
「自分は大丈夫です」
そう言いながらクロエのそばに行こうとする薫を、闇の中でジョージは自らの身体を盾にして阻止した。
「向こうでアンナたちが食事の用意をしている。
アンタがクロエを思う気持ちは十分に分かっている。
しかし、まずはスープだけでも飲んで来てくれ。なっ、ドクター」
薫の耳元でジョージが囁く。
あれだけ憧れていた「ドクター」の名が、今は鉛のように重く薫に圧し掛かる。
薫は無言で頷くと部屋を出た。
居住スペースのリビングは、町の者たちが自由に出入りしていた。
クロエを救うために女たちは洗濯や料理などの家事を分担してこなし、男たちも薫が治療に
専念出来るよう率先して何でもした。
「さぁ、これを少しでも飲んで横になって」
薫を案じた消化の良い家庭料理が並ぶテーブル。
スープからは手招きするように湯気が踊っている。
瞬間、テーブルが二重に見え、同時に身体の前後左右が分からなくなった。
声を上げる間もなく薫はその場にしりもちをつき崩れるように座り込んでしまった。
「ドクター!?」
女たちが驚き駆け寄り、薫の身体を支えた。
「大丈夫です、だい……っ」
言葉と身体の動きが一致しないまま、薫は立ち上がれず動けなくなった。
「ドクターは“Physician, heal thyself(医者よ、汝自身を治せ)”ってことわざを知ってるかい?」
アンナは動じることなく、座ったままの薫の手にスープの入ったマグカップを手渡しながら言った。
「日本でも同じ意味のことわざがあります。“医者の不養生”って……」
薫はポツリとそう言うと、立ち上がることを諦めそのままカップに口をつける。
スープのぬくもりが、自分のことを『ドクター』と呼び受け入れてくれた町の人々の思いに思えた。
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